下記のレポートは、
どのように展開していけばよいでしょうか?
『社会制度』としての社会福祉は、
世界史的にも日本史的にも
歴史的にはどのような目的意図の下に展開、発展してきたのかを
社会福祉思想史も踏まえ明らかにしなさい。
その上で
社会福祉が今日的に目的としている『自立生活』の捉え方についても論述しなさい。
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元々近代以前の中世では個人が観念されない代わりに共同体による規範が存在していた。これは産業が未発達であったため、人口=生産力であったため、人口を減らすことは避けなくてはならないという意味で、共同体を維持するための牧歌的な福祉はあったと言える。
しかし、産業革命以降、近代は国家と個人の間の中間団体を否定することで進み、財産権は絶対視された。この中では、適者生存・優勝劣敗の社会進化論が唱えられ、個人は自助自立を旨とすべきで、社会政策としての社会福祉という者はありえなかった。
ところが、自由の過当競争の結果、イギリスでは資本家と労働者階級が明確に対立し、労働者階級の生活は凄惨を極めた。その為、社会主義革命が成立し、自由主義は自らの存立基盤を大きく揺らされた。
一方、アメリカでは自由主義競争の結果、大恐慌が発生した。その後ニューディール政策によって、有効需要を生み出すために弱者を保護する政策を選択することが是認されるようになっていった。
日本では、明治以降、近代化する過程において海外の事情をつぶさに研究している。その結果、後発国として経済発展するためには、人権を抑圧してでもシンボル(日本は天皇)の元で結集して産業の発達をさせなければならなかった。この中では、社会権による国民の救済は、自由主義とは異なった視点から否定された。
ただし、急速な身分社会の崩壊は、ロシアにおける農奴解放後の資本家と労働者の階級対立に見られるように、格差による行き詰まりを生み出す。その為、都市と農村が共存する形態で富国強兵の労働力を生み出した。具体的には長男は家督で縛り、農村に残し、次男以降を都市の工場で働かせる。働けなくなったら農村に戻る過程で結核で亡くなって口減らしもする、という具合である。
さて、では社会権を徹底化し、自由を廃してでも平等を進めればいいかというとそうではなかった。第二次世界大戦では社会権条項を盛り込んだ民主的なワイマール憲法体制下でヒトラー政権が誕生した。
これらの経緯をふまえ、社会福祉は自由主義を究極的には維持し、原則としながらも、そこで起きる不合理な格差の是正手段として認容され、その為には資本が必要であることから、第二次世界大戦では第一次世界大戦のような過酷な戦後賠償を請求しなかった。
その後しばらくの間はケインズ主義を基礎とする社会福祉制度によって国内はうまく回るとされた。
ところが、戦後経済は発達し、プラザ合意以降富は国歌の枠を越えだした。元々ケインズ主義は一国資本主義の側面があり、国内という単位の中で経済が回ることを前提としている。すると、対象を国内としながらも、前提となる富が海外へ流出する現代ではケインズ政策はたち行かなくなり、新たにマネタリズムが台頭した。
また、ケインズ政策は行政国家現症を生み出し、国家作用を肥大化させてきた。その為、福祉を受ける側の立場にとって見ても、画一的で、不要な所への過大干渉、必要な所への過小干渉が発生していた。
そこで、現在福祉される側を「保護される存在」ではなく「保護は必要だが、それ以外は自分で出来る存在」として捉え直し、可能な限りの自立を容認することで、福祉における自由競争の発達可能性が見いだされている。
といったところでどうでしょうか?少し極端な見識かもしれませんが・・・
URLはダミーです。すみません
なるほど、
経済的な側面から、
福祉を斬っていますね。
丁寧に
有難うございました。