■人はなぜ「自己保身」するのでしょうか?
■「自己保身」とは日本文化特有のものなのでしょうか?
■本来、日本人は「切腹」など「潔さ」を美とする文化だったはずなのですが、いつから日本人は「自己保身」するようになったのでしょうか?
■「団塊の世代」と関係があるのでしょうか?
■中国・韓国人も自己保身するのでしょうか?
■男女の性差は関係あるのでしょうか?
日本人の「自己保身」いついて、意見をください。
保身というのは人間の能力のひとつであり、まったく保身能力のない人間は現代社会では生きていけない(専政国家中国においては、生き残るための必須能力である)。また、世界史の本を読めばわかるが、まったく自己の保身を考慮しない人間が何かを成し遂げたことはほとんどない。結局、その程度が問題なのである。
その点、日本史上で最悪だったのは、江戸後期と戦中である。江戸中期から外国船は多数出没していたが、官僚の保身から国防問題は先送りされつづけた(ペリー来航は一年前からわかっていたが何の対策も取られなかった)。また、戦中、日本はアメリカの国力を知らなかったのではなく(明治維新後無数の日本人がアメリカに渡っていた)、知っていながら有効な手を打たなかった。それは、上層部が組織の保身と組織上における自己保身を優先させたためである。
個人的には、切腹という行為には、問題を自分の死でうやむやにして、家や組織を守るという日本的な自己保身の面があったように思う。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%85%B9
http://q.hatena.ne.jp/answer(ダミーURL)
■人はなぜ「自己保身」するのでしょうか?
私も人のことはいえませんが、多くの人は勇気がないからです。心理面だけを言うならば、明日の自分の身のフリを考えて尻込みする、というあたりが大まかなところでしょう。日本人がよく口にする「死ぬ気になれば何でもできる」という言葉がありますが、これは死ぬ気になったとき、自身の身を案ずる気持ちが無くなるから思い切った行動がとれる、という言葉です。
人間に限らず生物は基本的に明日を生きることを義務づけられています。これはDNAによって義務づけられている、という意味です。このシステムが無ければ人類はとうの昔に滅んでいたでしょう。いえ、それ以前に生存本能を持たない人間の始祖は生き延びることができず、絶滅していたかもしれません。
■「自己保身」とは日本文化特有のものなのでしょうか?
全く違うと思います。アメリカ人によく見られますが、自らの国の尊厳を他国を踏みにじってでも保とうとします。野球の日本代表とアメリカが闘った時、審判の不審な判定に日本国民の怒りが爆発しましたが、あれは狭量で保守的、かつ自己保身たっぷりの人間がアメリカにも存在していることを表しています。
しかし、彼らは一見おそれることなく行動しているかのようにみえます。ですが、これも一概にはいえません。パックンことパトリック氏が
「アメリカじゃ成功できない。だけど日本だったら売れると思った。負けるのが嫌なんですよ。勝てる勝負しかしたくない」
とチャラい発言をぶちかましていました。保身以外の何者でもない。アメリカで玉砕することができない人間が日本じゃ結構名の売れた芸能人なのですから、日本も馬鹿にされたものです。
■本来、日本人は「切腹」など「潔さ」を美とする文化だったはずなのですが、いつから日本人は「自己保身」するようになったのでしょうか?
それは“侍”という一階級だけが美徳としていたもので、日本に昔から大勢いた百姓と商人はそんなことを美徳だとはこれっぽっちも思っていなかったのではないでしょうか。保身は主に商人から発しているものかと思われます。また百姓文化にしたところで、「村八分」という自己保身システムを構築していました。侍が潔く死ねたのは彼らが踏み台になる身分制度があったためです。逆に、百姓や商人に切腹が推奨された試しはありません。
■「団塊の世代」と関係があるのでしょうか?
これについては詳しくは分かりかねますが、群れなければ何もできない日本人、という体質を作り出す一因にはなっているとは思います。しかし、全ての原因ではないでしょう。
■中国・韓国人も自己保身するのでしょうか?
分かりません。ただ、保身よりも文化面での侵略思想が強い気がします。
■男女の性差は関係あるのでしょうか?
あると思います。しかし、これも一概には言えず、セコイ人間は男女ともにいると考えるのが普通です。男は仕事、女は恋愛面で保身傾向が強いように感じます。
自己保身は本能だと思います。日本人に特有とも思いません。
最近の外国製エレベーターの事故など見ていても、むしろ外国人は簡単には責任というものを認めません。組織防衛もあるし、責任者の自己保身もあると思います。
昔の日本人は潔さを美とするというのも、本当にそうだったのか?疑問だと思います。時代劇の様にためらいなく自ら腹を切れる人が本当にそんなに居たのか?
切らなければ一族郎党に害が及ぶとかどのみちの自分の首を切られるとか、そういった外的要因も大きかったのではないでしょうか?自分の美意識だけで腹を切れるとしたら、相当に偏った教育で洗脳された結果だと思います。
生き延びるのというのがすべからく生物の本能であって、人間もまた例外で無いと思っています。(男女の性差については良くわからない)
日本特有の自己保身があるとしたら、組織のあり方に関係があるのかもしれません。ほとんどの組織体は
・建前はともかく、結局誰が何に責任を持つのかわからない運営がされている
・問題が発生した場合の責任の取り方がはっきりしていない
(辞めるのは責任を取ることでは無いとか言う人を良く見ますが、私には詭弁に聞こえます。その地位にいることで相応の収入を得ている人は、なにか問題があればやはり現在の地位を返上すべきでしょう。)
以下、参考になると思います。日本に限らず、海外でも色々なものがシステム化され、組織が巨大になっているのが、自己保身が増えたとすれば、その理由のひとつなのかもしれません。
そもそも日本の文化は「自己保身」の文化だと思うのですよ。古代より日本文化の中心に天皇が位置して、その中心の存在を空洞化して周辺にいるものが実権を握る歴史が繰り返されてきたわけです。現在の象徴天皇制もそうですが、中心を空洞化して周辺に権力が分散する仕組みになっているわけです。別の言い方で言うと責任の所在があいまいになっている。誰か一人が責任をとるのではなく、「赤信号みんなで渡れば怖くない」といった感じで、「責任をとる」ということをあいまいにする装置が働く。これは日本という島国に単一民族が仲良く共存するための歴史的・風土的な知恵で、「自己保身」というのはそんな歴史的・風土的必然の所産だと思うのです。
ただそんな歴史の中にあって「武士道」の出現は「特異点」だと思います。主君という絶対的な権力者に対する忠義を「武士道」というかたちで昇華させ、「死の美学」に貫かれた「潔さ」を美徳としたのは、後にも先にもこの時代しかないわけで。福沢諭吉は「やせ我慢の説」で、明治維新の後、それまで幕府側の中心にいたのに、手のひらを返すように明治政府の高官として出身した勝海舟や榎本武揚に対して、その姿は筋が通らない‘やせ我慢’すべきだと痛烈に批判したのですが、武家社会の終焉と同時に「武士道」の中で培われた「潔さ」の美徳も同時に終わってしまったというのが認識としては正しいのではないでしょうか。
団塊の世代はベビーブーマーで、人が多いんですよね。その直前の世代が太平洋戦争の影響で出生が極端に少なく、急激に出生が増えたことから、同世代の競争が激しく、青年期を迎える頃には、他の世代に比べてとりわけ自己主張が激しく世代だと言われています。彼らは、戦後の日本の高度成長を支えた世代ですが、90年代に入りバブルがはじけてそれまで忠誠を果たした会社に裏切られるわけです。終身雇用はなくなり、リストラの嵐が吹き吹き荒れ、何を信じていいのかわからない状況のなかで、もともと自己主張が激しい世代ですので「自己保身」に走る。バブルがはじけて、ほんとに世の中がおかしくなってしまいましたが、その責任の一端は彼らにあるとぼくは思いますよ。
陸続きの外国人は「自己保身」を行動の原点にしないと外敵にやられてしまうので、攻撃的ですよね。何かあっても自分から絶対謝らない。直ぐに他人のせいにする。日本人はすぐに謝るけど。だから、責任の所在をあいまいにするような日本人の「自己保身」とは同じ「自己保身」でも対局にあるんですよね。
なんか結局、人間はみな「自己保身」の動物であるという陳腐な結論になっちゃいましたが、絶対的な権力が登場した場合の日本人は、武士道も第2次対戦もそうですが、「死の美学」に貫かれた「潔さ」みたいなものが美徳となっちゃたりするで、そんな時代よりも今のほうがよっぽどいいと僕なんかは思うのですが、どうでしょうか。
■人はなぜ「自己保身」するのでしょうか?
自分や、自分の組織の人間を大切に思うあまり、そのほかの人間への配慮をないがしろにしてしまうからではないでしょうか?
■「自己保身」とは日本文化特有のものなのでしょうか?
エレベーターの問題のとき、アメリカメーカーの人間も自己保身していたように記憶していますので、日本文化特有というわけではなさそうです。
■本来、日本人は「切腹」など「潔さ」を美とする文化だったはずなのですが、いつから日本人は「自己保身」するようになったのでしょうか?
切腹の文化があった時代より、生き方が多様になり、文化も進化(複雑化)するうちに、「潔さ」を意識することが少なくなったからでしょうか。
■「団塊の世代」と関係があるのでしょうか?
特に関係ないと思います。
■中国・韓国人も自己保身するのでしょうか?
するんじゃないでしょうか?
■男女の性差は関係あるのでしょうか?
特に関係ないと思います。
経済の成長とともにそれまで存在しなかった会社という法人格がでてきたことが原因にあると思います。これは民間ですが、公務員も同じように会社と同じような国や自治体に雇われた個人とは別に人格を形成してきているため、その立場から考えてでた行動は自分の思っている感情とは別であっても、『そうせざるを得ないから』と理由付けをして、法人格の人間としての行動や言動を行ってしまうのではないかと私は思ってます、さらに現代人は裕福な生活に甘えてきて感情や個人の人格も甘えてしまっているのもさらにこういう事になってることにつながってるように感じます。
まず誤解されている点があると考えます。
①今朝の「朝ズバ」でも同様のコメントがされていましたが、校長が守ろうとしているのはご自身ではなく、教育行政であり、その稚拙な手法は最近の謝罪方法を知らない。温室栽培された人間と推測されます。
②確かに潔い武士もいましたが、それ以上に未練たらたら腹切った者も、抵抗したことから数人がかりで押さえられて首を撥ねられた者もいます。
③さらに、武士の場合家を守るという考えがありましたので、損得勘定で腹を切った者もいます。
自己保身は全ての動物が擁している「防衛本能」が人間が社会生活を営み始めたことから変化していったものと考えられます。例えば群れ社会を形成する野生のサルやイヌでも自己保身の行動が見られます。
ご質問の基本的なところで勘違いをされています。
中国や韓国でも自己保身的な行動は一般人でも有力者でもあり得ます。例えば中国なら周恩来が色々と自己保身の行動をしていますし、今回の北朝鮮の核実験で大統領が弁明やらをしています。
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