最近、よく世の中便利で効率的になったなーと思います。
で、ふと思ったんです。
効率的な世の中になればなるほど、人の仕事って減るんじゃないかなーって。
どんどん効率的になって、どんどん人間の仕事が減るはずですよね?
ね?
でも、なんで社会って成り立つんでしょうか。
こんな僕にもわかりやすいように、そして、なるべくロジカルに解説していただきたいです。
よろしくお願いいたします。
わかりやすくするために、原始時代風に考えてみましょう。
最初はみんなが自分で畑を作ったり、獲物を捕ったりして生活しています。
1日に1人分の食料を手に入れるのが限界です。
しばらくして、Aという人が効率的に畑を耕せる道具を作り出しました。
その道具を使えば1人で2人分の食料を作り出せます。
Aさんはどんどん食料がたまっていきます。
そこで、AさんはBさんに「食料あげるから肩を揉んでくれ」と交換条件を出しました。
現代でいうと「食料=お金」です。
『効率化→人がいらなくなる→その分の人件費が浮く→誰かの手に渡る』
仕事の効率化は、結局のところ「効率良く稼げるかどうか」です。
いくら速く作業出来る機械があっても、その購入金額分の元を取れないなら誰も使いません。
効率を生み出し、利用した人間は多くの利益を得られるってことがわかったと思います。
そして、その余ったお金を何かに使おうと考えます。
稼げば稼ぐほど、どうでもいいことにお金を使うのが人間。
例に挙げた「肩を揉んで貰う」という行為も生活するのにまったく必要が無いことです。
現代だとペットを飼うとか、タバコを吸うとか、ゴルフをやるとか。
効率化は、生活にかかせないような需要の高いものほど優先されます。
そして需要の高いものが効率化されれば、今度は需要が低い部分の需要が増えるわけです(日本語おかしいかも)。
カラオケ屋に行く人間が増えればカラオケ屋は従業員を増やしますよね?
IT産業のように新しいジャンルの仕事が開発されること。
既存の娯楽などの低需要の業界の需要が増すこと。
この2点でバランスが取れているんです。
減りったり増えたりします。
社会の発展に伴って、減る職種(例:1次産業従事者)もあれば、新たに作られる職種(例:IT関係業種)もあります。そうやって社会構造が変化しながら、成り立っています。
この説明でどうでしょうか?
なるほど。回答ありがとうございます。
新たな職種と言っても、日本で考えるとIT業種以外に思いつきません。
他に何かありますでしょうか?
これから、どんどん効率化されていくと、そのうち日本はエンジニアだらけになるということでしょうか?
わからないところを、さらに質問にしてみました。
ほんとに納得できるまで、理解してみたいので。
今現在の状況は、、、
*景気が上向き加減でどちらかというと人手不足
*少子化とニート・フリーターの増加(働かない若者)で人手不足
*団塊の世代が大量退職する2007年に現役がごっそり減るので人手不足
と、いう具合で仕事を効率化しても人手不足をまかなえない状況のようです。海外からの出稼ぎ労働者の活用などを柔軟に出来るようにしていかないという議論もされています。人手不足をカバーするためにロボット技術の開発や生産設備への投資が盛んに行われています。
もちろん、将来、景気が後退したら人手があまる局面もあるでしょうが、現状の少子化・高齢化傾向がすぐに変わることはないでしょうから当面はどちらかというと人手不足という状況は続くでしょう。
回答ありがとうございます。
今は人手不足だからもっともっと効率化しても、当分は大丈夫ということですね。
とてもわかりやすいです。
まず産業構造についてですが、これは簡単に分類すると、
といった分け方がよく知られています。
この中で特に人海戦術でやっていた第一次、第二次産業は、たしかに近年、あまり人手を必要としなくなってきたかもしれません。
しかし反面、時代の進展は新たな職業の創出の歴史でもありました。特に近年は第三次産業における新たな職種が多数登場しています。要するに、たとえば第一次・第二次産業の省力化は、第三次産業の中の情報通信などが発展したからにほかならず、結局人は働いているんですよね。その場所と働き方が、昔と今とでは違ってきている、というだけです。
もっとも最近は雇用が不安定で、仕事が激減しているように見えることは事実です。しかしそれは「労働者派遣法」の施行などにより正規雇用が減り、必要な労働力をパートやバイトや派遣でまかなうといった企業が増えてしまったからで、労働の場が減ったから募集が減ったというわけではありません。
おそらく今後も「消費」は増え続けるでしょうから、それに伴って「生産」も増え続けます。そうすれば、それに伴うあらゆる場で仕事はあり続けていくことになるでしょう。
むしろ今後の日本は少子高齢化によって、消費人口に対して、それを満足させるだけの労働人口がまかなえなくなる恐れも出てきます。だからニートを減らそうなどと国も騒いでいるわけです。
丁寧な回答ありがとうございます。
とても、分かり易く。なるほどなーと思ったのですが、
なぜ、今後も「消費」が増え続けるのかが分かりません。
昔より人はご飯を多く食べるようになったわけではないですよね。では、消費が増えるとはどういうことなのでしょうか。
作業をいくら効率化しても人の仕事は減りません。細分化したりします。
例を挙げると、畑を耕すのにクワを使うと5人必要とします。トラクターを使うと1人で済むので仕事が減ったように見えますが、トラクターを作るにはその数100倍、数1000倍以上人員がかかります。
こんな感じでいくら効率化しても仕事量とはあまり関係ないかと思われます。なので社会は大丈夫なんじゃないでしょうか。
回答ありがとうございます。
いえ、そんなことはないでしょう。パソコンで仕事が減った分の人がパソコンを作ってるとは思えません。
わかりやすくするために、原始時代風に考えてみましょう。
最初はみんなが自分で畑を作ったり、獲物を捕ったりして生活しています。
1日に1人分の食料を手に入れるのが限界です。
しばらくして、Aという人が効率的に畑を耕せる道具を作り出しました。
その道具を使えば1人で2人分の食料を作り出せます。
Aさんはどんどん食料がたまっていきます。
そこで、AさんはBさんに「食料あげるから肩を揉んでくれ」と交換条件を出しました。
現代でいうと「食料=お金」です。
『効率化→人がいらなくなる→その分の人件費が浮く→誰かの手に渡る』
仕事の効率化は、結局のところ「効率良く稼げるかどうか」です。
いくら速く作業出来る機械があっても、その購入金額分の元を取れないなら誰も使いません。
効率を生み出し、利用した人間は多くの利益を得られるってことがわかったと思います。
そして、その余ったお金を何かに使おうと考えます。
稼げば稼ぐほど、どうでもいいことにお金を使うのが人間。
例に挙げた「肩を揉んで貰う」という行為も生活するのにまったく必要が無いことです。
現代だとペットを飼うとか、タバコを吸うとか、ゴルフをやるとか。
効率化は、生活にかかせないような需要の高いものほど優先されます。
そして需要の高いものが効率化されれば、今度は需要が低い部分の需要が増えるわけです(日本語おかしいかも)。
カラオケ屋に行く人間が増えればカラオケ屋は従業員を増やしますよね?
IT産業のように新しいジャンルの仕事が開発されること。
既存の娯楽などの低需要の業界の需要が増すこと。
この2点でバランスが取れているんです。
ああああ!すごい!
かゆいところに手が届いた感じです!
そうそう、こういうことが聞きたかったんです。
ありがとうございます!
ポイントは「食べきれないご飯の使い道!」ってところにあるのか!
うわーすごい勉強になった!
だいたい労働は時間でやるから、機織りが自動織機にっても、コンピューターで作業が早くなっても、新幹線で移動時間が短くなっても、労働している時間はかわらないし、賃金も同じようなもののはずです。だから、国内の金の量はかわりません。
でも、生産性が違うから、生産される物やサービスの量(こなせる仕事の量)は違いますよ。
コットンがたくさん生産できるようになる。するとそれを売って、しかもまだ自動織機のない国に高く売れば、外貨が稼げますよね。貿易黒字になる。こうやって日本は金を貿易でかせいできたわけです。この場合は国が全体として豊かになります。ただし、再配分されなければ、人びとの暮らし向きは似たようなもんです。
ま、効率化して農業にいる人の数や工場にいる人の数は減ったから、これを他の産業に振替えないといけないですけどね。で、サービス業社会というわけ。
こんなもんでどうでしょう?
回答ありがとうございます。
うーん。なんとなく言わんとすることは分かるのですが。
全世界での話しで考えたとき、外貨がどうこうって話しじゃないと思うのですよね。
これでは、全世界が効率化されれば、世界は成り立たなくなる気がします。
>今後も「消費」が増え続けるのか
それは、一言で言うと、「人間の欲望」が無限大だからです。
「パチンコ依存症」も科学的に解明されてきましたが、「買物依存症」も同じようなメカニズムです。そして、「人間の欲望」も、同じようなものです。快楽物質であるドーパミンの分泌による、興奮状態と、脳の興奮を沈静するために分泌されるコルチゾールとの綱引きの繰り返しにより、耐性が出来、同じ量のドーパミンでは満足出来なくなります。より強い刺激を必要とすることになり、際限なくエスカレートしていきます。
>昔より人はご飯を多く食べるようになったわけではないですよね。
より高価なもの、高級なものを食べるようになったと言うことは言えると思います。昔は米を食べられるだけで幸せでしたが、昔でいう所の「標準価格米」(今は「たくわえくん」とか)なんて、今は家庭用にはほとんど誰も買わないですよね。学校給食用か、業務用に回されているわけで。
>では、消費が増えるとはどういうことなのでしょうか。
文字通り、消費は増えているんです。経済は今や日本だけで完結してはおらず、地球規模で回っています。もし中国の全人口が日本人と同じだけの生活を求めたら? それだけで、とてつもない消費が増えることになります。そして、それは既に、静かにそして確実に進行しています。中国の「爆食」により、日本のあらゆるものの値段が上がり始めています。
「パチンコ依存症」
http://allabout.co.jp/children/ikujinow/closeup/CU20060630B/inde...
なるほど!これもわかりやすい!ありがとうございます。
効率化すると効率化して儲けた一部の人のお金があまるから、シツゼン的にお金を無駄遣いしちゃうってことですね。
社会が成り立っているのは、需要と供給のバランスがとれているからです。
これは経済活動のすべてについていえるのです。
消費者が買いたい商品の価格と数量と、企業が売りたい商品の価格と数量のバランスが丁度よく、
働きたい人の人数と、企業が雇用したい人の人数のバランスが丁度よい。
こういうバランスの取れた状態が一番よいのです。
パソコンだって売れるからといってたくさん作りすぎてしまうと、商品があまってしまいます。
人手が足りないからといって、雇いすぎてしまうと今度は給料が払えなくなってしまいます。
バランスが大事なのです。
このバランスの取れた社会の基本が生態系です。食うものと食われるもののバランスが丁度よくないといけないですよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%85%8B%E7%B3%BB
社会は少しずつ進化しながら発展していきます。
でも、発展していくだけでは駄目なんです。
街が発展すれば、生活はしやすくなりますが環境は破壊されていきます。
こわした環境は何かで補わなければなりません。
効率的になるだけでは駄目なんです。
仕事が効率的になれば、企業は効率的になった分だけ人件費を減らします。
そうすると今度は失業者が発生します。
働けなくなった人の職場をどこかで補わなければなりません。
どんなに効率的な世の中になっても、人間の仕事は減らない(減らせない)のです。
回答ありがとうございます。
バランスが大切なのは分かるのですが。なぜバランスが崩れないのかがわかりません。
> 街が発展すれば、生活はしやすくなりますが環境は破壊されていきます。
> こわした環境は何かで補わなければなりません。
それすら、自動化されたら?
あと、環境を壊さなければ、需要は無くなるのでしょうか
> 働けなくなった人の職場をどこかで補わなければなりません。
みんながそんなこと考えてるとは思えません。
仕事は、「力x時間」で、仕事が効率化するというのは、力が増大する結果時間がするなくなるということですよね。
仕事が自動化するというのは、機械まかせになってそもそも仕事をしないということですよね。
質問は、機械まかせに全部できれば仕事はなくなるのではないかということだと読みました。
確かに全部機械まかせにできる技術があれば仕事はなくなると思いますが、これまで行われた技術革新は、機械に対する「指令」までは任せることはしない技術革新でした。ですから仕事はなくならなかったと言えます。「任せる」ということは要するに指令なので、究極的には「何もしないでも都合良く仕事をしてくれる」ことが必要になりますが、その「都合の良さ」が何か分からない以上、仕事はなくならないと思います。
回答ありがとうございます。
でも、指令を出す人だけで良くなれば、仕事はほとんど無くなると思います。
でも、そうなってないですよね。世の中
初めて回答します。
あなたの言っている仕事は共産主義の計画経済みたいな仮定を置いてますよね?
資本主義の競争原理を忘れているんじゃないかと思ったのですが。
例えば、パンを作る機械のおかげでパンの生産速度が倍になったとします。
すると働く時間は1/2になるはずだ、ということですよね?(計画経済なら。)
ところが、パンを作るコスト(時間)が下がることで、機械を使ってもっと安くパンを売る競争相手が出てくるわけです。
そうすると、こちらの高いパンは売れなくなるので、もっと生産速度や量を上げてコストを減らして競争することで、いままでと同等の稼ぎを得る(この場合は効率化によっても仕事時間は減らない)か、
もしくは他の店にはない味や生産方法の工夫によって生産速度を上げずに価格を保持してパンを売ることになります。(この場合は工夫という頭脳労働の仕事が増えます。)
ということで、競争原理のもとでは効率化というものがはたらくと仕事が生み出す価値を変えてしまい、その結果同じ仕事をやっていたのでは儲けが少なくなってしまうので仕事は減らせない(むしろ工夫という頭脳労働が必要になってくる)のではないでしょうか。
回答ありがとうございます。
なるほど、計画経済と資本主義の競争原理というものを学びました。それがまずうれしい!
たしかに、パンの価格競争でコストは減るけど、世の中のパンの量は変わらないわけだから、工場も減って、働いてる人は確実に減りますよね。
もし、パン職人が工夫して、おいしいパンを作ることでパン職人が減らないということなら。
昔から日本の米農家の人口って減らないはずですよね。
みんながおいしいお米を作ることに躍起になってるはず。でも、そんな世の中じゃないと思います。
最後の段落は難しくてわからなかったです。残念ながら。
あー。
うーん。やっぱ分かりません
逆に、世の中どんどん効率的になって、どんな困ったことが起きているか、いくつか例を挙げましょう。
「安いものを輸入する」
「安く働いてくれる人を呼んできて日本で仕事してもらう」
どっちでもいいようで、うまく言えないけど、全然違いますよね。労働者を暮らしごと輸出するのは、大変です。だから給料の安いところに、仕事のほうを持って行きます。データを手で打ち込む仕事は、もし英語や数字であれば、中近東やインドの会社に頼むことも増えています。日本語のできる中国人を使って、中国に電話サポートセンターを置いている会社もあります。
ところが、その場でしか出来ないのにキツくてキタナくて、ひとつミスをしたら訴訟を起こされる、などという仕事があります。入院患者の看護や介護です。すこし給料が高いくらいでは、人が居つきません。それでとうとう、看護師さんを外国から呼んでくる相談が、まとまろうとしています。
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200602_661/066101...
どこにでも人が移住できるようになっても、お年寄りは若者ほどうまく新しい土地になじめません。若者が便利なところに出て行って、お年寄りばかり住んでいる地域が出来たら、市役所や保健所があってもお世話を仕切れません。「限界自治体」という言葉で検索すると、そういう話がたくさん出てきます。
世界が効率的になって、遠いところと取引や移住ができるようになると、いいことも多いのですが、高く売れるところにモノやヒトが流れ、移動しにくい人や地域社会・地域文化にしわ寄せがきます。世界が市場としてつながることを「グローバリゼーション」といいますが、ここに並んだリストを見ただけでも、いいことも悪いことも起きるのがわかるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9...
いちばん動かしやすい「お金」の国際移動に税金をかけて、動きにくくしてしまえば、悪い影響が減るんじゃないか。そんなことを考えているグループもいます。
回答ありがとうございます。
えっと。僕は技術の進歩とかそういう効率化の視点で話していたので少し違う気がします。
人が移動してどうこうというはなしは、日本の仕事が海外に移ってるというだけで、仕事は世界全体では減っていないと思います。
経済が発展してもなぜ仕事はへらないか。
まず一つには、金が余ればそれまでお金を出そうとしなかった分野のことにもお金が回せるようになるので、新しい仕事を生み出す余地が出来る。
これはDRYさんが回答5で肩もみの例をあげたりしている通りですね。
つまり、効率が2倍になったとしても
10の労力で10の成果を生み出す社会=>10の労力で20の成果を生み出す社会
になるから一人当たりの仕事は減らないという説明ですね。
でも、人間には、ゆっくり休みたいという欲望だってあるんだから、仕事を目いっぱい増やすんじゃなくて、ちょっとだけ増やすことにして、後の2の分はゆっくり休もうよという選択があったって良いはずです。という疑問が生まれます。
10の労力で10の仕事を生み出す社会=>8の労力で16の成果を生み出す社会
ってゆうか、むしろ不精な私はぜひこうしたいです。
実際には過労死はなくならないし、サービス残業だの偽装請負だの仕事が楽になる気配はありません。
問題は、なぜ効率化した分余った能力が、仕事する時間を減らす方向でなく、よりたくさんの仕事の成果を作るための方向に発揮されてしまうのかってことですよね。
例えば、まあ仮に、1日8時間以上は働いてはいけないって言う国がどこかにあったとします。この規制を取っ払ったらどうなるでしょう。
まあ世の中にはいろんな人がいますから、私は16時間働けます。という人も出てくるでしょう。
私が雇用者なら、給料を倍払ったとしても、社員教育にかける費用や、社会保障やなんかを考えると、同じ能力なら、8時間労働の人を一人やめさせて16時間労働の人を雇うでしょう。
そうすると、失業者が一人増えることになります。
つまり
といえます。
また、そうして生まれた失業者は、食べていかなければいけませんから、求職しなければいけません。
これが金や株式なら、安すぎると思えば売らずにおいておくということも出来ますが、仕事という商品の場合は、たとえ不公正な買い叩きにあっても、とりあえず他の仕事が見つかるまでは売っといたほうが得という事情があります。
失業者は、3日休んだ分の仕事をためて置いて次の日4日分働くということは出来ませんから、失業しているぐらいなら、今までの生活を維持できない給料でも、働いたほうが得、ということです。
安売りが安売りを読んで価格が下がっていくのはどの市場でも同じことですが、普通の市場では、採算が合わないとなれば資本を引き上げて、それを作るのをやめてしまうという選択肢もあります。が、私たち下々のものは仕事するのをやめるということはなかなか出来ません。
だから、大体において
ということもいえます。
まとめると、
という2つの事情から、自由な競争に任せると、
といえそうです。
回答ありがとうございます。
なるほどー。
効率化→富の集中→使い切れないお金→新たな快楽の生成
これが、僕がDRYさんの説明で理解した仕事が減らないループでした。
そこまではいいのですが、その後の話しが世界全体の仕事量の話しからずれてる気がします。フルで働かされるから、仕事が減らないというのは少し違う気がします。仕事が減らないからフルで働かされるのではないですか?
でも、とても勉強になるお話でした。
amachangさん
そこまではいいのですが、その後の話しが世界全体の仕事量の話しからずれてる気がします。フルで働かされるから、仕事が減らないというのは少し違う気がします。仕事が減らないからフルで働かされるのではないですか?
ちょっと飛躍していたのかな。
というのを補うとどうでしょうか。
それに対して雇われる側が
「いや、私はそんなに長くは働きたくありません。今までどおりの成果は出すので、効率化した分時間を短くしてください。」
と断れば仕事は増えないわけですが、実際にはそれは出来ない。(その理由が私の説明の後半部です。)
うーん。。
たしかに、会社は効率化で浮いた分社員を楽にするんじゃなくて、仕事を増やそうとする欲求を持っているのですが。
世の中全体的に仕事(需要)がなくなるなくならないの話しとはすこし、違う気がします。
でも、小さな組織においても、みんなが需要を求めているということは分かりました。
マクロ的に考えたらの話ですが、効率的になった技術を駆使して、非効率な地域から富をぶんどってきて、社会内で配分に回しているからではないしょうか。
また社会内で余った人たちですが、こちらもその配分にありつくためには新しい何かを作り出すように迫られ、そうして生み出された新しい何かをさらに効率化して、再び他の地域に輸出する形で富をぶんどってくると。
産業革命や経済の歴史なんかを見てると、いま述べたような理屈で社会同士が互いに食い合う蛇のような姿を連想しますが、このように分業化が進んでいくプロセスこそ自由主義経済の仕組みではないだろうかと思います。
回答ありがとうございます。
富をふんどりあうのは理解できるのですが。
そうして、世界全体が効率的になっているのに、仕事が減らないのはなぜなのでしょうか。
仕事が減る = 就職先が少なくなって、失業者が増える。
ではなく、
仕事が減る = 全体の労働時間が減る and 働かなくても生活していける人が増える
と考えてみると、仕事は減ってきているんじゃないでしょうか?
確かに10年20年という期間で考えると変化がないように見えますが、100年200年という期間で見ると、着々と減ってきていると思います。減っているにもかかわらず、物質的には圧倒的に豊かになっている。
日本のことしか知らないので、とりあえず日本だけで見てみます。
まず、明治以前の日本には曜日という概念がなかったので、日曜日に休むことはなく、休みは盆と正月くらいだったと聞いています。これだけでも、今の週休2日制と比べて年間50日~100日の労働日数の違いがあります。(週休2日制も普及したのはここ15年くらいです)
また、労働開始年齢も、明治から今までの期間で考えると上がってきています。昔はある程度動けるようになると家のことを手伝っていたらしいので、労働開始年齢を10歳前後と考えると、今の20歳前後に比べ10年の違いがあります。ということは、昔に比べ10年間働かなくてもよくなったとも言えます。(少々強引ですかね。)
また、定年後も20年間働かない期間があっても社会全体で支えることができるようになってます。
次に家事も仕事と考えると、水道からはじまり炊飯器、洗濯機、コンロ、電子レンジ、湯沸かし器等のおかげで主婦の労働時間はどんどん減っています。
その分、外に仕事に出るようになってますが、上記の製品がなかったときの主婦の労働時間よりは少ないのではないのでしょうか。(♪母さんが夜なべをして手袋編んでくれた~、と歌にあるように昔の主婦の労働時間はとても長かったと思います)
今は、テレビを見る時間、パソコンする時間、読書する時間など普通にありますもんね。
で、日本の労働時間が減った分、他の国にしわ寄せがいっているのか、と考えてみると、奴隷制度もなくなり、昔のようなあからさまに搾取(巧妙にはなってきてますが)する植民地政策もなくなったことを考えると、世界全体の労働時間も減っているか、同じ労働時間でも昔より豊かな生活ができているのか、労働時間は増えてもそれに見合う以上に豊かになっているのでは、と思います。
結論としては、技術革新に伴い、着実に以前の労働に見合う以上の豊かさを世界全体としては、手に入れることができるようになっている、と言えるのではないでしょうか。
今の効率化は、産業革命期や電気製品が次々出てきたときの効率化の度合いには及ばないかも知れませんね。
もしくは、今は効率化された分以上に新たな快楽が考え出されているかも知れません。パソコンや携帯電話が日用品になるなんて、15年前には想像できませんでしたから・・・
回答ありがとうございます。
そうですね。ゆるやかには、仕事は減っているのかもしれませんね。
人が生きていくための仕事って結構大変だと思います。
例えば完全に一人で自給自足してる人だったら
・米を食べたい
→米を作る
・野菜を食べたい
→野菜を作る、自生しているものを採る
・肉を食べたい
→狩りをする
・魚を食べたい
→釣りをする
もう食べるだけで大変です。
だけど社会の中だと「米は俺がお前の分も作っておくから、お前は俺の分の魚を釣ってきてくれ」と作業分担ができるわけです。
それで米を専門で作ってる人は米作りのノウハウ(工夫、機械を使うなども含めて)など蓄積されてきて、複数の人がそれぞれ作るより少ない労力で米を作ることが出来ます。
これが効率化かと。
確かに作業量は減るけど米は誰かが作らなきゃいけないし、魚は誰かが釣らなきゃいけない。
米を作る人は野菜も肉も魚も欲しいから、交換してもらえる分の米を作る。
米を作る効率が上がって野菜・肉・魚と交換してもまだ米が余る。
じゃあ服も欲しいし、家も欲しい。
とりあえず生きていけるだけの衣食住をまかなえるようになったら、他にももっと欲求が出てくる。
服はもっと暖かいものが欲しい、果物も食べたい、快適な寝床が欲しい。
さらに本が読みたい、テレビが見たい、音楽が聴きたい。
そうすると本を作る仕事、テレビ番組を作る仕事、曲を作る仕事なんかも出てくる。
効率化に逆行して、大量生産じゃない職人が作ったもの、人の手が入ったものを好む人も出てくる。
効率化を進めるために仕事をする人も出てくる(エンジニア、アドバイザーなど)
それで結論としては
・作業が効率化されても、減るのは生産量に対する作業量であって需要(米・肉が食べたい)は減らない。
・むしろ効率化されて余裕が出来た分だけ需要が増える(本・テレビも見たい)
・需要が増えたら供給(仕事)も増える。
・効率化を図るのが難しい仕事もある(芸術など)
このへんでバランスが取れているんじゃないかと。
回答ありがとうございます。
結局のところ、主題の回答としては
むしろ効率化されて余裕が出来た分だけ需要が増える
ということなんだなと理解しました。
ああああ!すごい!
かゆいところに手が届いた感じです!
そうそう、こういうことが聞きたかったんです。
ありがとうございます!
ポイントは「食べきれないご飯の使い道!」ってところにあるのか!
うわーすごい勉強になった!