あると思います。以前剣術をへたくそなりに嗜んでおりましたが、私のかつての師匠はともかく、
「お前が剣を振るんじゃない。剣の振りたい方向に合わせろ」
と仰っていました。その方とは今は疎遠で、剣の腕も相当さび付きましたが、当時は剣を振る度に、空間に向かって剣が吸い込まれてゆくような感覚がありました。それはまるで、剣がそこゆく予定でもあるかのように身体が動き、気付けばゆったりと振り下ろしているのです。
最初は質問内容の通り、身体に体術をを覚えさせる事に必死になりました。そのうちだんだんと身体が慣れてくるようになると、無意識になり、無意識になると無駄が分かり、その繰り返しで次第に“吸い込まれる”感覚を覚えていったのです。
武術の先達の方々からすれば、私の段階は全く生悟りもいいところですが、きっと名のある武術の先生、現代のトップアスリート(最近ではフィギュアにそれを感じます)はみなこういう、地上にありながら別世界へとトリップする感覚を持ってらっしゃるのだと思います。
しかしそれは特別ではなく、五感を澄まして無意識的に集中する事が出来るならば、誰もが可能な境地であると思います。きっとid:aoi_ringoさんが感じられた境地は、禅に近いもので、もちろん茶道とも非常に関係が深いものと思います。
簡潔に言うならば、風呂掃除から即禅、皿洗いから即禅、煙草を吸う時間、即禅。顕在意識と潜在意識の狭間でバランス良く“すっぽり”と入り込む空間、それが禅ではないでしょうか。
恐れながら、およそこういう事だと解釈しています。
※ただし、禅の適用範囲は広いので、必ずしもこういうものだけを禅と規定することはできません。強いて言うならば、禅の一種ということです。
「床掃除(床みがき)」「キッチンシンクの掃除」をしていると同じような感覚になります。
たぶん単純作業で、目に見えて綺麗になっていくのでそれが気分を高揚させているんだろうと思います。
部屋の中が綺麗になるのはいいですよね!
クルマはダメなんですが、「高揚感」がありますね。
同じ方がいてよかったです。
ありがとうございました。
おはようございます。
以前 折り紙のユニット作品を作っていたコトがあります。
http://origami-ya.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/u...
↑こんな感じです
(http://origami-ya.cocolog-nifty.com/origamiya/のページより)。
これは、そのべユニットをちょっと違えたモノですね。
カンタンなパーツをたくさん作り、それを組み合わせて
ひとつのくす玉を作るっていうタイプの折り紙です。
写真にあるのは30枚組みです。
以前、それの270枚組みに挑戦したコトがあります。
一応、ちゃんとできたんですよ。
そのトキにはもちろん270枚の折り紙を使って、
270個の部品をひたすら作っていたわけなのです。
あのトキの感じは、もしかしたら
今のaoi_ringoさんの気持ちに似ているかもしれませんね。
http://hobby.coomin.lomo.jp/?cid=31825
このURLはおまけです。写真がキレイ☆
こんにちは。
ありがとうございます。
実は最近、折り紙にも興味津々です。
気持ちが伝わりうれしいです。
ありがとうございました。
(きれいな写真も)
私も似たような経験があります。
私の場合は「封筒の袋詰め作業」でした。
若い頃ですが、封筒にチラシと案内文書を入れ封をし宛名シールを貼るだけなのですが、慣れてきて「機械のように」一連の動作が決まるとちょっと快感でした。
最近はそうゆう作業をしてないので、今も快感を感じるかどうか分かりませんが・・・
そうですよね。
一種の思考停止なのかもしれませんが、
快感なのです。
ありがとうございました。
解ります
体が覚えると、それはまた、何かをしているようで、それは体との一体感の動作と感じるものですよね。
無意識にも体を動かすことができ、その間中、イロイロな考え事をしていても、いつもどおりにその動作をしっかりと終えることが出来る
アル意味、その動作は、動作のようで、動作ではなく、同時に他の動作を交えることが出来るような感覚。
ちょっと伝わりにくかったらすみません
いえいえ、質問自体が意味が伝わりにくいですから。
そういえばその動作中他ごと考えていますね。
無意識ですが。
ありがとうございました。
http://www.daiouji.or.jp/sutra.html
単調な作業が心を清めることがあるのは、大昔から人間は経験的に感じています。
典型的なのは写経です。
ただお経を書き写すことは無意味と考える人もいるでしょう。
現実には写経で多くの人が癒されています。
現代ではロールプレイングゲームなどの経験値稼ぎは、写経に通じるものがありそうです。
「多少頭を使うけれど、どちらかと言えば、単純作業でそれはほぼ永遠に続くもの」をすることで雑念を払うということが考えられます。
私の場合はパソコンのデータ入力をしているとき、充実感を得られたことがあります。
写経も少し関心があります。
やっばりそうなんですね。
ありがとうございました。
そういう快感はあります。
ただ、自分の場合、ランナーズハイとは意味が違うと思いますが。
例えば、他人より優れていると思うと優越感から快感を得たり、完全・完璧に出来た時の自己満足(もっと言えば自己陶酔?)から快感を得たりします。
会社の仕事にしても、手順を覚えていくと、何もミス無くルーティンで出来るようになります。仕事をしている流れの中でなぜか調子良く感じる日があります。「自分は仕事がデキる」という感覚(錯覚かもしれませんが・・・)からも快感が得られます。
茶道の事は分かりませんが、きっと同じ感覚だと思います。お風呂掃除にしてもそうです。
そうですよね。
ありがとうございました。
★残念ながら私はそこまで掃除には没頭できないので、未体験の領域ですが、映画「ガンシャイ」で、妻の尻に敷かれたマフィア組織員(だったと記憶)が、ストレスがたまった時に狂ったように家中の掃除をする場面がありました。
http://direct.nagase.co.jp/dvds/ItemMMDK-2.html
★したがって、この掃除没頭現象は人類に普遍的に存在する法則であるものと思われます。没頭することほど精神衛生上すばらしいことはないと思います。
★なお、昨今の「そうじ力」ブームにもありますとおり、風水の観点からも、そうじはあなたのまわりの負の磁力を除去し、幸運をもたらす根源となる、そうです。(もう、他の方も指摘されていると推測しますが・・。)
掃除に魔力が・・。
ありがとうございました。
その気持ちはわからなくもないです。
わたくしも同じように感じることがあるので。。
ファイリングなどの事務処理仕事をしている時、
あまりにも紙が多いとそのようなことを感じる時があります。
単純作業は最初は抵抗するのですが、
意外と快感です。
ありがとうございました。
あると思います。以前剣術をへたくそなりに嗜んでおりましたが、私のかつての師匠はともかく、
「お前が剣を振るんじゃない。剣の振りたい方向に合わせろ」
と仰っていました。その方とは今は疎遠で、剣の腕も相当さび付きましたが、当時は剣を振る度に、空間に向かって剣が吸い込まれてゆくような感覚がありました。それはまるで、剣がそこゆく予定でもあるかのように身体が動き、気付けばゆったりと振り下ろしているのです。
最初は質問内容の通り、身体に体術をを覚えさせる事に必死になりました。そのうちだんだんと身体が慣れてくるようになると、無意識になり、無意識になると無駄が分かり、その繰り返しで次第に“吸い込まれる”感覚を覚えていったのです。
武術の先達の方々からすれば、私の段階は全く生悟りもいいところですが、きっと名のある武術の先生、現代のトップアスリート(最近ではフィギュアにそれを感じます)はみなこういう、地上にありながら別世界へとトリップする感覚を持ってらっしゃるのだと思います。
しかしそれは特別ではなく、五感を澄まして無意識的に集中する事が出来るならば、誰もが可能な境地であると思います。きっとid:aoi_ringoさんが感じられた境地は、禅に近いもので、もちろん茶道とも非常に関係が深いものと思います。
簡潔に言うならば、風呂掃除から即禅、皿洗いから即禅、煙草を吸う時間、即禅。顕在意識と潜在意識の狭間でバランス良く“すっぽり”と入り込む空間、それが禅ではないでしょうか。
恐れながら、およそこういう事だと解釈しています。
※ただし、禅の適用範囲は広いので、必ずしもこういうものだけを禅と規定することはできません。強いて言うならば、禅の一種ということです。
なるほど、これは「禅」的境地だったのですね。
納得できました。
ありがとうございました。
(パチンコ即禅という方もいますね 笑)
私の場合は、寝る前のストレッチ体操ですねぇ・・・
何がどうってわけじゃないし、凝ったことはなにもしていません。
単純に体の疲れをほぐすのと、柔軟性を保つのにやってるだけなんです。
この質問を読んで、「はっ!」としました!
最近は伸ばす場所と順番が決まっている!
う~ん、単純作業、恐るべしっ!
・・・こういう話は違いましたっけ?
いえいえ同じです、きっと。
お風呂で体洗う順番も決まっていますよね。
ありがとうございました。
整理整頓すると達成感があります。
単に物を収納するのではなくて、カテゴリー別に分類して、どこに何があるか次回その場に来たときに時間をかけずに分かるようにする片付けです。片づけが終わった後、われながらよくできたなと、片付けた場所を何度か見渡してしまう癖がつきました。
片づけも快感ですね。
ありがとうございました。
掃除は精神的にいいんですよ。多少なりとも欝を解消する効果があります。薬のみたくないヒトは、いやでも毎日掃除するといいそうです。
そして、その感情はランナーズハイというよりは、癒しの効果によるものでしょう。自分ランナーズハイを経験したことがありますが、掃除や洗車を始めて終わった後までに感じるものとはまったく別物です。
そうなんですか。
知らない言葉を使ってしまいました。
鬱にいいんですか。いいこと聞きました。
ありがとうございました。
自分で作ったカレーをゆっくりひたすら永遠にかき回す。
自分で作ったシチューを煮込んでかき回し続ける。
で、aoi_ringoさんと恐らく同じような気分になったとおもいます。
ただ、友人に頼んでカレー鍋を20分くらいかき回してもらったところ、友人は「結構苦痛だな」といってました。永いことやっていることじゃないとつらいのでしょう。きっと
この「自分で」が大事ですね。
ありがとうございました。
みなさん、ありがとうございました。
「もしかして自分だけ・・」と思って、
少し外出していましたので、たくさん回答がいただけて
うれしいです。
基本的に均等にポイントをお贈りします。
「鬱」のことを書いて頂いた方にはありがたかったので
少しプラスさせて頂きます。
ありがとうございました。
なるほど、これは「禅」的境地だったのですね。
納得できました。
ありがとうございました。
(パチンコ即禅という方もいますね 笑)