「○○な人」だけでなく、ある程度の量を書いてお答えください。
ポジティブで、何事にも前向きな人
人の幸せは考え方一つです
さじ加減で、変わりますから
足元の小さないいことにも気づけるような人は、幸せな人です
http://blog.so-net.ne.jp/ettyu/2006-07-30
こんなのもありました
「自分で自分のことを幸せであると感じられる人間性と豊かな心をもった人」
「努力した目標を達成できた人」
「感謝の気持ちを持てる人」
「人生につき物の運の良し悪し、これをポジティブに捉え、困難を克服する方法を考え、将来の成功をイメージしている人。」
ご質問をよんで、真っ先に思いついたのが、少女パレアナ(ポリアンナ)!
何事も良い方に考える超ポジティブさんです。
この人はぐじゅぐじゅ悩んだり、人をうらやましがったりしません。
常に自分大好き!みんなに感謝!なのです。
・・・とまあ、これはちょっと大げさですが、こんな風に考えられたら、意味不明のイライラや漠然とした不安感は感じずにすみますよね。
これにまさる幸せはないと思います。
現在の生活に満足している人が幸せだと思います。
どんなに財産があっても、それをより増やすことを考えている人は不幸です。
貧しくても、不平不満がない人は幸せです。
他人の幸せをともによろこぶことができる人は幸せです。
人が不幸になることをよろこぶ人は結果として自分も不幸になります。
健康な人は幸せです。でもそれを当たり前のことだと思っている人は幸せではありません。
病気であっても、現状を受け入れて前向きに生きている人は幸せです。
お互いに信頼し、信頼される間柄の相手がいる人。
相手の人数は互いに命を懸けれるほどだと1人でベスト、そうでなければできれば5人以上がベターなんでしょうね。
一例ですが、こんな感じだと思います。
ジェームス・スキナーが言ってた言葉で
「成功とは、すばらしいことだけが起こるという意味ではなく、
どういうことが起きても、素晴らしい反応を選ぶことである!」
というのがあります。どんなことがおきても幸せに変換できる反応を取れる人が最も幸せな人だと思います。
幸せだと思っている人。
他人の幸せだろうなんて推測よりも、
本人が幸せかと思うかだと思います。
そしてその「幸せな人」の幸せだと思える状態が続いたならその人は「幸せでい続ける人」で、もっと素敵だと思います。
本人が浴するものを得ている人
それが愛だという人もゆとりというひともいると思います
でも人ってそれを手に入れると
それ以外、以上のものを欲するんですねえ(笑)
それのポジティブさをもっている人が幸せなのかもしれません
幸せとは欲しいものを得たり、なりたいものになったり、したいことをしたりするところから来るものではなく、
今得ているもの、今していることを、あなたが好きになるところから生まれる。
トリーチェ
生きていることの素晴らしさ、偉大さを感じられる人はみんな幸せだと思います。
生きていくのにはお金が必要だし、あればいいと思うけど、楽しいことをするためにお金を稼ぎたい。稼ぐために稼ぐのは嫌。
仕事は責任を持ってやりたいけど、自殺するほど追い詰められたり疲れたくない…と最近のニュースを見ていてすごく思う。
給料下げられても、仕事を首になっても、みんなに迷惑かけちゃっても、どんな失敗をしてしまっても、それでもやりたいこと、楽しいことがある、だから生きていたいって思える人はとても幸せ。
そして、与えてもらった人生を目一杯楽しむことが生んでくれた人への感謝だと思う。はなしそれてるけど…人生は楽しまなければならないもの、"You must!"です(笑)
さぁ、頑張って楽しむぞ!
正しいと思える何かを胸のうちに秘め、その信念にそって真っ直ぐ生きている人は幸せそうに見えます。自分を貫けるというのはすなおに羨ましいです。
かといって、「自分の価値観を信じていること」は「わがまま」とはまた違いますね。
わがままに振る舞っている人を見ると哀れに思えてしまうので。
争いの無い人。
愛和の人脈に恵まれている人は幸せです。病気を抱えていても、貧困を抱えていても、悩みを抱えていても、人の愛がそれを救ってくれます。
逆に、対立、抗争の人脈を持ってしまえば、そこから修羅の道が始まってしまうでしょう。そうなれば、せっかく素晴らしい人脈に恵まれていたとしても、それはいつの間にか対立を有利に進めるための「道具」に過ぎないものになってしまいます。そんな人脈が幸せをもたらしてくれるとは思えません。
争いを避け愛和を尊しとできる人は、いつも幸せな環境の中に住んでいます。
「足を知る」事を知っている人ではないでしょうか。
自分の現状を充分と感じ、それ以上の高望みをしないこと。
こういう考えを心の底から感じられる人。
人の欲は尽きません。欲が満たされない内は、本当の幸せは感じられないのではないでしょうか。かくいう私も欲の塊ですが、何とか欲をコントロール出来るだけの精神力がほしいです。
何を以って幸せとするかは人によって様々です。
人によっては金銭や貴金属その他物質的な事柄を以って幸せの基準とするでしょうし、逆に精神的な充実や繋がりを以って幸せの有無/多寡を測る人もいるでしょう。更には、それらの物差しは個々人において多種多様であり、コレといった絶対的な指標は存在し得ないといっても過言では無いと思います。
ただ、私が考えるに幸せには二つの種類があると思います。
一つは「動的な幸せ」。これは何かを得たり達成したりする事によって得られる幸せです。例えば大金を得たり、素晴しい記録を達成したり、輝かしい栄誉を受けたり。或いは意中の人の心を射止めたり、テストの点が良かったり、バイトの時給が上がったりなど。どちらかと言えば一般的な意味で幸福な人はこちらではないでしょうか。
もう一つは「静的な幸せ」。前述のモノとは反対に『変化しない事』が幸せであるという事。不景気なのに給料は変わらなかった、テストの点が前と変わらなかった、等。ぶっちゃけて言えば、回答者:jyousekiさんが挙げられているような事柄ですね。
どちらを以って上となすかはケースバイケースだと思いますが、瞬間的な幸福の変動で言えば前者が後者を上回るだろうとは思います。
まぁ、結局は他の方々も仰っているように本人の心構え一つだと思いますけれども。
わたしは「生きている人」だと思います。
どんな状況であれ、生きていれば今日がある。
そして、明日がある。未来がある。
未来には、計り知れない可能性が待っているのです。
明日を楽しむため、そして未来を明るくするため。
今日を生きられる人。その人は幸せなのです。
たとえ、現状がどんなに辛くても、生きていればきっと明るい未来が待っている。
死んでしまっては、もう未来はやってこない。
今こうして生きていること。このことが真の幸せなことだと考えています。
日常生活(=家族関係、現場)に充実感を抱いている人。
つまり、自分の立つ場所に満足しているということでしょうか。
また、その中で夢中になっていることがあれば輪をかけて幸せです。
何気ない毎日に幸せがあると気づくことが、幸せの根源だと思います。
幸せを感じるチカラのある人。
どんな状況に陥っても、良かった部分を探し出して、本心から「良かった」と思える人。
たいしたことのない例ですが、私の知人で彼女とデート中に、高速道路でレンタカーのタイヤがパンクして、帰る時間が1時間遅れ、レンタカー代も延長料金をとられて、とさんざんな目に会った人がいました。
しかし、その知人がそのことを話すときは
「パンクしたのが左側のタイヤで良かったよ。右側だとスペアタイヤに交換するときに、あとから来る車にはねられるかも知れないしね。」
「スペアタイヤに交換する間、雨が降らなくて助かったよ」
(その日が微妙な天気だったので)
と、パンクしただけでついてないのに、いかにも運が良かったように話します。
私はそれを聞いたとき、「この人はどんな状況に陥っても、こんな感じなんだろうな。これは人生を楽しく生きる秘訣かも・・・」
と感じました。
ポジティブシンキングとか意識的にやるんじゃなく、自然と本心から思えないと意味無いですけどね。
ごくごくたわいもない例ですが、一事が万事だと思います。
語弊があるかもしれませんが・・・
とある病院の精神科で看護師をしている友人が言っていました。
「うちの病棟には白髪の患者が一人もいない。なぜなら彼らには悩みが無いからだ。」
ストレスが無いのは幸せかもしれません。
心が揺れない人
外部の環境に左右されず、心に平安を保つ事が出来る人ではないかと思います。
幸せが外部の状況によって成立したり、しなかったりするものであれば、幸せは一時成立したとしても、変化によって直ぐに失われてしまうでしょう。この世にあるものは全て、時間によって変化する事が免れないのですから。
故に幸せは外部の状況に求めるべきではなく、心の中に求めるべきであると思われます。
精神的に「安定」している人。
なので、現実的にやりたいと思うこととやるべきだと思うことが同じ人。
心の中の需要と供給のバランスがとれていることが、
心の安定に一番必要なのだと思います。
どちらが多すぎても不幸に感じてしまうので。
無欲な人。
今、やりたいことを精一杯やっている人。
単純(無邪気)な人。(おいしいもの食べただけで、「あぁ~幸せ~」見たいな人)
人を心から愛せる人。
人を幸せにしたいと思う人。
悪いことの数じゃなくて、良い事の数を数えられる人。
〇〇があったら、幸せだ。 とか
〇〇になれたら、幸せだ。
という考え方もありますが、それよりも、もっと幸せな人は
こういう人だと思います。
自分の内面をみつめ、自分が何をしたいかを知っていて
それを行動することができる人です。
自分が本当に望んでいる事ができることが、とても
充実して幸せな事だと思います。
だから、上辺だけのお金があったら、とかだけではなくて
もっと、本当に自分にとっての幸せな物を見つける事
が大切だと思います。
私も時々同じ事を考えます。迷いがあるからでしょうか?突っ走りすぎて時々自分が本当はどこに向かっているのかも悩む事があります。でもそんな事を考えていられるのは既に幸せなのかなと思ったりもします。これでは全く回答になっていないですよね。ただ、我慢をしない環境にいられる人は幸せなのかなと思います。生きていれば多少の我慢は日々つき物です。そういうものは別として、事情があり現状を脱出することが不可能だとかそういう我慢ですね。
私も時々同じ事を考えます。迷いがあるからでしょうか?突っ走りすぎて時々自分が本当はどこに向かっているのかも悩む事があります。でもそんな事を考えていられるのは既に幸せなのかなと思ったりもします。これでは全く回答になっていないですよね。ただ、我慢をしない環境にいられる人は幸せなのかなと思います。生きていれば多少の我慢は日々つき物です。そういうものは別として、事情があり現状を脱出することが不可能だとかそういう我慢ですね。
詩があります。
山のあなたの空遠く、
「幸(さいわい)」住むと人のいふ。
ああ、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く、
「幸」住むと人のいふ。
カール・ブッセ作(上田敏訳)
山の向こうの遠くに幸せがあると人がいうので
探しに行ったが見つからず、涙を流して帰ってきた。
その人に聞くと、もう少し向こうに行けば幸せがあった
のに。という内容の詩です。
”幸せ”は、変化の中にあると思います。
現在のStepから一つ上のStepに達したときに幸せを感じるのです。
金銭的な幸せも大切ですが、限りがある気がします。
そういう点では、知的(学問的)な幸せは限りが無く良いと思います。
ここで回答をするとすれば、
幸せな人とは、知的探求心を持って、
新しいことを学び続けている人でしょう。
ポジティブで、何事にも前向きな人
人の幸せは考え方一つです
さじ加減で、変わりますから
足元の小さないいことにも気づけるような人は、幸せな人です
コメント(0件)