荒木飛呂彦が執筆25周年ということですが、能力バトルマンガを突き詰めると「JOJO」的なものが多い気がします。そこで、「スタンド」とは別の、能力バトルを考えてください。凄く面白い発想があれば、いわしとは別にポイントを贈ります。
バトルマンガってものを突き詰めていけば、駆け引きのジョジョか燃えインフレのドラゴンボールかに行き着きますよね?
本当に別パターンがないのか気になりました。バトル漫画を「おれはおまえより強い」と言うための枠とすると、上記二つはこう言い換えられます。
この二つ目の解釈の余地が広すぎるために実質すべてがジョジョになってしまうわけです。そこで、主人公の能力が上がらず、ルールの改変もないバトルが成立しないものか考えた結果、ひとつ思いつきました。
ゲームで言うところの『風来のシレン』です。プレイヤーの知識と判断能力が上がることで強くなるタイプ。ただ、リトライ自体を能力と定義すると『ジョジョ』のバイツァ・ダストやリンゴォ・ロードアゲイン、または『時をかける少女』になってしまうんですが。
無能力・欠点バトルと現代異能社会という感じですか。
具体的にどういうことなのかもう一歩分からないです。
無能力(欠点)バトルの「自分だけの特別な災難」は、
普通のバトルでも知人がさらわれたり災難があります。
現代異能社会の方は、あまり大人数になってしまうと、
能力を考えるのが大変で一人一人のキャラも立たない。
実際に作品化する際に困難が出そうなので、もう少し
「災難」が何かとか、一言で具体化して欲しいですね。
バトルマンガってものを突き詰めていけば、駆け引きのジョジョか燃えインフレのドラゴンボールかに行き着きますよね?するってえと、異能力者とDBを組み合わせても魅力を打ち消しあうだけだろうし、工夫の余地を見つけるのは困難です。
また一方で、これだけ異能力者が氾濫した現在、斬新と受け止められる能力を考案するのは輪をかけて難しいでしょう。
そうすると残る探索の道は、異能力とバトルのかかわり方においての工夫か、よりメタな視点での異能力の捉えかたの工夫ということになります。
で、2種類ほど考えたんですが。
ある種の異能力は才能の隠喩として使われることがありますよね。というか、異能力を武器として使い続ける限りそうした側面が出てきてしまいます。これを反転させてみたい。
才能の反転を努力とすればmizunotoriさん案のような話になりますが、では異能力の才能としての側面を反転させて欠点の喩えとしてみてはどうでしょうか。
物語の登場人物たちはみな、自分だけの特別な災難と戦いながら、さらに他の何かと戦っていくことになります。これはなかなか心に響きそうに思うんですけど。
あるいは、個人という狭い領域から脱出してみるのも手かもしれません。シャカイ系異能力モノであります。
そうですね、例えば、生まれた時に国家が個人の異能力を徴収・調整し、インフラに組み込んでいる、デストピア系のSFみたいな社会を想像してみてください。
本来この世界では、自分が社会のどういった機能を受け持っているのかは隠されているはずなのですが、それが何らかの事情で漏れだしてしまうわけです。
これを使ってバトルをしてみましょう。表立って戦うか戦わないかの選択肢がありますが、前者なら例えば最小単位の国家機能を備えたチームを作って沈黙の艦隊ごっこが出来たりします。また後者であれば社会の機能のさまざまな一部を違法に使って金儲けや殺し合いをする、ジョジョ系異能力バトルの規模を大きくした変種などが考えられると思います。