「教師が悪い」「学校が悪い」「教育委員会が悪い」「政府が悪い」etc....
子供たちが自らの命を絶つという異常な事態に陥っているのに、誰もがヒステリックに攻撃の矛先を探している状態です。
「政府が悪い」と叫べば子供を救えるのでしょうか?
学校や教師を責めれば子供が安心するのでしょうか?
確かに、教育現場にも行政にも政府にも問題はあると思いますよ(それを否定するわけではないです)。ていうか、ある。
しかし、「○○が悪い!」「○○に責任があるはずだ!」と誰かを指弾するだけじゃ何も変わらないじゃないですか。
法律が変わったって、役人が変わったって、いじめがなくなるわけじゃない。
なのに、誰もが責任者探しと攻撃に執心するばかりで、子供を守るための意見なんて誰も言いやしない。
こういう現状、どうよ?
どうすりゃ子供を守れる?
何をすべき?そして、何ができる?
やっぱり、誰かを攻撃するのが最善なの?
自分にできること、皆にできること、今、皆で何をすべきか、そういう意見が聞いてみたいです。
>本人が考え方をかえるしかない
確かにそうかもしれません。
でも、誰も「本人が悪い」なんて言えないじゃないですか。
ましてや苦しんで死んだ子供に鞭打つ事なんてできないじゃないですか。
本人が考え方をかえても、それはいじめられる側にとっては逃げるか、耐えるしかないんですよ。
それに「そうだ」と言い切ってしまうような世の中は、もう救い様がないと思います。
批判だ攻撃だ、と「それそのものを批判し攻撃する」のではなく、
その事によって晒される「悪い部分」や「矛盾した部分」が重要なのだと思います。
晒されることですぐさま改善はされないと思う。
けれど、「いじめゼロ報告」の矛盾や、頼れない学校や教師、そして様々な機関に、
親も子も「頼れないんだ」という考えが徹底抗戦を生めばいいと思っています。
学校側も、進学だ効率だ平等だという考えで勧めてきた教育が生んだ自らの歪みに、
自分達が信頼に値しないという現実を真正面から感じれれば良いと思います。
っていうか、ヒステリックにさえならなかったからこそ
誰もが出口を求めて足掻いたり、不安や悲しみをぶつけなかったらからこそ
子供や校長が自殺という方法を選んでしまうんじゃないでしょうかね。
「本人が悪い」から、本人が幕を引いてしまった…。
なるべくしてなった結果かもしれませんが、
憂慮するからこそ「本人が悪い」で終わらせない事が必要じゃないかな。
現在、本人に諭すと言う形では「考え方を変えてみようよ」と言っていても、やはり降り積もった「負」の力は強大で簡単にはいきません。それこそ専門的な知識もいり機関を通して改善して行くしかないのです。子供も大変ですが、大人も大変です。学校は社会に出る前の力をつける所だとは思いますが、同じような世界が大人の世界でも起こっているのです。親も大変、子供も大変な課題だと痛感します。誰に合わせるものでもなく、個人個人の問題なのですから。人と人との繋がりが希薄になってきているのも問題なのかもしれません。実際に直面して初めて痛みが分かる。分からずに生きている人の方が多いおは確かですし。
「考え方を変える」=「心を変える」ではないでしょうか?私もまだ、段階の途中なので何も偉そうな事は言えませんが、現在イジメで必死に戦っている家族もきっと多いはずです。この討論は参考にもなりました。
>本人が考え方をかえても、それはいじめられる側にとっては逃げるか、耐えるしかないんですよ。
まずは思いつめて自殺するよりは、逃げればいいと思う。それでも意思表示になると思うし。そりゃ相手がいじめをやめるのが一番いいに決まってますけど。
難しいですよね。。。「時には逃げてもいい」という考えを思いつかない場合もあるので、
十分戦った強さや優しさを尊重して、視野が広がるきっかけを
大人が作れるようになりたいですね。。。
私もキレイごとは言えますが、姪っ子や甥っ子が巻き込まれたとき
助けてあげれるのか不安になります。
関心を持ち考え続けたいと思います。
身近な子供以外に対しても、何ができるのかも。。。
世の中変わらないし、いじめもなくならない。本人が考え方をかえるしかない。死ぬくらいだったら学校なんて無理して行くことない。