「神」
という言葉を発しますが、外国の人は本気で神様がいると思っているのですか?
①神とは彼らの中ではどういう概念なのでしょう?日本人が初詣にいく(自然崇拝的)のとちょっと違う感覚だと思います。
②どうしてそういう思想や仕組みが発展したのでしょう?
多民族間の契約の履行のため。
多民族の人民の統治のため。
島国と違って世間体がないので、すぐ離婚してしまうため?
①ヨーロッパの、キリスト教信者、ムスリムが共存している街に住んでいますが、神を信じる信じないは、日本と同様にどれだけ信仰心が強いかによります。信じていない人は全く無宗教といった態度ですし、信仰の深い人たちは教会やモスクに習慣として足を運びます。後者の場合、(あくまで私の主観ですが)「神」とは、超越創造神としての存在のほかに、自分を守ってくれる神としての身近な存在でもあると思います。日本の政治家が「神様が~」などと発言をしたら何か突拍子もない非論理的なものに聞こえますが、キリスト教圏、イスラーム圏では「神」を用いての表現・発言が多くみられます。私の周囲の、信仰深い人たちを見ている限り、「契約」や「統治」のみが理由で神を信仰している人は少ないと思います。また、「世間体を気にする」代わりの倫理としての宗教は、あくまで一面であって、思想が発展するための理由ではないと思います。
②世界宗教には2つの流れがあります。一つは東洋における輪廻転生、因果応報、天の秩序(コスモス)といった非人格的な力に対する信仰、もう一つは西洋における超越創造神という人格的な力に対する信仰です。この2つは超感性的力(霊)に対する観念から流れ出たもので、さらにその源流にはカリスマ(非日常的力)信仰があります。つまり宗教の起源はカリスマ信仰にあり、そこから超感性的力の観念が生まれ、その人格化されたものが「神」と呼ばれ、その非人格化されたものが「天」や「法(ダルマ)」と呼ばれるようになったのです。
ありがとうございます。こういう議論になるとどうしてもかみあわなくなりますよね…。
外国人でも信仰のある人もない人もあると思います。英会話学校では信仰はあまりないと言う先生に会うことが多いです。
(信仰があっても日本人がしらけるので黙っている先生も居てるかも知れませんが)
日本人でもキリスト教原理主義の人と激しく進化に付いて話した事があるので、日本人でも信仰を持っている人は居てると言えます。仏教や神道でも信じている人は居てるでしょうけどあった事はありません。
1.太陽が東から昇って、西に沈むのを信じていますと言うのに近いのでは?
信仰は空気のような物で、当たり前の状態で、信仰を失えと言うのは、死ねと言うのに近い事だと思います。
2.信仰の始まりは
ネアンデルタール人が持っていたかどうかが議論になっているので、何万年も昔の事です。
村と言う組織の組織化の為の機能だと思います。
多民族を統合するために使われた事例で有名なのはローマ帝国がキリスト教を受け入れた事だと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9...
でも、ローマ帝国の初期もイスラーム教国もみな宗教を国家の統合に利用していたと思います。
植民地支配に宗教が使われた面もあるかと思います。善意でまず小さいきっかけをつかんで民衆の中に入り、そこから徐々にという感じで。宣教師はほんとに純粋だったとは思いますが。
被支配階級を安定させるのにも、宗教が必要だったかもしれません。来世で救われるとか…。
>外国の人は本気で神様がいると思っているのですか?
思っている人も、思ってない人もいるでしょうが、私の考えでは、信じるもの、つまりは「真理」が、「科学」の側にあると思っている大半の現代人は、神様を信じていないことになります。あるいは、科学という神様を信じているというか・・・。
歴史的に見ると、天動説→地動説、とか、ダーウィンの進化論なんかで、それまで神の側にあった真理が、だんだん科学の側に移って行ったのだと思われます。
で、(1)ですが、先ほど述べた理由で、「真理」というよりも、「法」とか、「道徳」とかいう観念に近いんじゃないかと思います。例えば有名な、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という疑問なんかは、「神がそう禁じているから」という理由を持ち出さない限りは理由を見つけられそうにありません。
(2)ですが、私も興味はあるんですが、他にもたくさん興味があることがあっていまだ勉強していません。参考になりそうな書籍をいくつか挙げておきます。
聖なるもの―神的なものの観念における非合理的なもの、および合理的なものとそれとの関係について
http://www.aikis.or.jp/~kumagusu/books/jiten_matsui_ch1.html#shi...
神の発明は面白そうですね。
科学が宗教化してるとは、まさにその通りで、本来の科学的な思考をしてる人は少ないと思いますね。
人間というのは何かにすがらないと生きていけないものだと思います。(不条理の解釈の装置がいる)
オーラの泉とかも人気ですしね。
お正月、NHKでカイロの発展の理由が触れられていました。イスラム中心の都市ですが。
気がついた点は
①喜捨がさかん。
とめるものは貧しいものに毎年施しをする。それが誇りであり、義務。
病院や学校まで喜捨で建ってしまう。おかげで、お金の流れが一部に滞留しなかった。
②神の名においてという約束の厳守の姿勢から、信用取引(小切手などの多額の取引)が発展した。
※他宗教は排斥せず、どの宗教者も信用された。
という点でした。
http://www.amazon.co.jp/%E8%A8%80%E6%8C%99%E3%81%92%E3%81%9B%E3%...
http://www.amazon.co.jp/%E9%A9%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%99%BD%E4%...
②について
すごく大雑把にいって、痩せた土地のヨーロッパで、生活するために領土を侵略していく精神的裏付けを与えたため。
ありがとうございます。
ご紹介いただいた本おもしろそうですね~。
やせた土地というのはその通りで、かなり収穫量に差があるとは聞きました。メソポタミアの最盛期においてもぜんぜん日本には敵わないと。。
なんでもかんでも洋風にすると破綻するような感じがします。特に日本人はまじめすぎるのでw。
強烈な自然環境、それにまつわる強烈な争い、悪行が、強烈に明確な宗教を生んだのかなと。
だから、日本には緩やかな宗教、ええかげんなもの
しか必要なかったのかもしれません。
また、歴史が3000年以上遅れてるので、明確な経典もないのかもしれませんね。
アラーとキリストとエホバ(イスラム、キリスト、ユダヤ教)はもともと西洋の一神教であり根本は同じ教えです。その中でキリスト教を簡単にいうと、人は理由のない苦しみ(病気、心の弱さなど)を持った時に、代償を求める先を探すのです。えらい人になら取引もなにもなく全力ですがってもいいということで、キリストの神は苦しみを引き受けるからえらいのです。たとえば戦争映画で「おかあちゃん」といいながら死んでいく日本兵と、「神よ」といいながら死んでいくアメリカ兵を想像してください。
エホバの神とアラーの神は法律をつくりました(モーゼの十戒、コーラン)し、その法律のなかで自分をあがめよと言っています。つまり、いざこざを起こしやすい人間に合理的な行動プログラムを書いて与えたプログラマーですので、そのプログラムを生まれたときから受け入れつづけた人間に対しては無条件にえらいです。日本人でいうと、おふくろの味を与えてくれる母親ともいえます。
日本人は意外と縄文時代から母系が強くて地母神に対するアニミズム的なものがあると思います。ほら年が明けたから神社に行けとかケーキ買ってきてクリスマスやろうとか信仰をごたまぜにして与えているのはほとんど日本の母親です。父は宗教などという面倒なものを受け継ぐのはできるだけやめてしまい、いまや子供といっしょにテレビをみたりする役目です。
父母子供一体になって儀式を行うことにより、宗教や宗教を基礎とする法律が強固にうけつがれている国もありますが、完璧に政教分離した結果、不満が政治(経済)だけでは解決できないまま迷走しがちな日本と、どっちが幸せかは一言では判断できません。
その通りですね。
修身や教育勅語、天皇崇拝、儒教などに変わる価値観の柱がいりますかね。。
行き過ぎると支配者の統治の道具、イデオロギーの暴走があるという負の面をおしえつつ、そういう基本的な部分というのは見失ってはいけないと思いますね。
日本の迷走は、道徳的なものをすべて取り払ってしまったからだと思います。
やはり教えられないとわからない人々もいますので。。法というのはモラルのずっと下の最低限の判断基準のところで規定してますので法にひっかからないから…大丈夫となると世の中だめになります。今の法は「性善説」を元に成り立ってるので。
①英語の「GOD」を日本語の「神」と訳したのは明らかな誤訳だと思います。
キリスト教のGOD(英語)はユダヤ教のヤハウェ、そしてイスラム教(と言うよりアラビア語)のアラーと同一で「唯一神」の事です。つまり旧約聖書の「十戒」に書かれているこの世でただひとつの神を指し、他のすべてはニセモノで信じると地獄に落ちてしまうそうです。
日本でいう神を英語で言うと「スピリッツ」ではないかと思います。それをまた日本語に訳しなおすと「精霊」になってしまいますが、キリスト教徒の概念だとその辺りが理解の範疇でしょう。
日本では八百万の神(やおよろずのかみ)と言いますが、「GOD」あるいは「アラー」は沢山いるなどと言ったらユダヤ教徒やキリスト教徒、イスラム教徒の方に馬鹿者扱いされてしまいます。
つまり信仰の概念が違うんです。
ヨーロッパでもキリスト教化以前はギリシャ神話やローマ神話があり、日本の神話のような宗教観でした。エジプトもピラミッドの時代はそうでしたね。
そう考えるとユダヤ教を元祖とするキリスト教やイスラム教は今では教徒も増えましたが、それ以前の宗教観からすると非常に特殊な世界観だと思います。
また、自分たちの信じる唯一神のみが正しいという概念は多くの宗教戦争を起こしました。
そういう意味では神道であり同時に仏教徒、結婚式は教会で挙げちゃう日本人は少なくとも宗教戦争はなくていいのかもしれません。
②理由のひとつはキリスト教やイスラム教は新しく、理論が明確で他の呪術的宗教を駆逐して浸透して言ったのだと思います。
もうひとつは、自分たちの宗教のみが正しいとの観念から、十字軍のような大量殺戮集団を作り異教徒の浄化を武力で行っていったためではないでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A...
やはり誤訳でしたか。。
利他愛や汝の敵を愛せよ。の愛も誤訳だという人もありますが。。
理論が明確なのは確かにそうですね。
戦争起こす時点で平和を願う論理の矛盾に気づいてほしいのですが。その辺は一神教のあかんとこですね。実際は大義名分にだけ使われて石油や貿易の拠点がほしかっただけかもしれないのですが。
「民主主義」も同じですね。
質問に答えられるほどの知識はないので答えにはなっていませんが
電通総研が「世界60カ国価値観データブック」というものを発行しています。
その調査の中に「神の存在・死後の世界に対する見方(2000)」があります。
社会実情データ図録
ここの考察は他のデータ[世界各国の宗教][自然観・社会観の国際比較]等も含め参考になるかと思います。
pya.ccに転載されたもの。
身近な方が不運な死を遂げる地方ではす死後の世界を想像して精神を安定させるように働くと思います。そこに関連して神の意図という物語も生まれるのかなと個人的に思います。。。
神学や哲学、歴史の方面は他の方が答えてしまったので文学の方で参考になる本を紹介します。
遠藤周作氏の著書「沈黙」です。
日本に宣教に来たカトリックの司祭が、弾圧によって棄教する過程を通して、日本人の宗教観が暴かれていきます。
ご自身もキリスト教徒であられた遠藤氏は、この中で「日本人はいままで神の概念を持ったことはないし、これからも持たないだろう」と司祭の言葉を借りて主張しています。
恐らくこれは遠藤氏自身の経験からの実感でしょう。
司祭の視点からは逆に、我々日本人が特殊に見えるというのは面白い転回ではありませんか。
知識ではなく感覚として、彼我の隔たりを知る手がかりになるかも知れません。
②の質問とは少し離れますが、一読して損のない好著だと思います。
こちらは以前に読ませて頂きました~。
結構衝撃的な内容で話の展開が早く、読み進んでしまったのを覚えています。
最後は宣教師がお坊さんになるというのはほんとの信仰というものをわかってる人なのかな~と思ったのも覚えています。。
それにしても日本の新興宗教の多さはすごいですね。(会員数が人口を超えてるw)
①宗教法人の税制
②地域コミュニティ崩壊の受け皿
の面以外でも、オーラの泉が人気があるように
日本にも何かしらそういうものを求める気持ちがあるのかもしれませんね。形は変われども。。
「カリスマ」はたいていの人は体感できないで終わってしまうので、どうなのでしょう。
まず人間の苦しみ、寂しさが発生の動機かなあとも思いますが如何でしょう。
大陸の人は生活が厳しく、より孤独なので、より強いイメージの具体的な人格を持った神を作ったのかなあとも思います。
でも神がこの世を創ったというのは、難しい解釈ではあります。じゃあ神はどっから来たのですかといいたくなります。何億人もこれを信じているとしたらスゴイ!