先日ホワイトカラーエグゼンプションについての質問をした際にも感じたのですが、現在あらゆる労働に関する問題において課題として挙げられるのが、労働に費やした時間単位に代わる人事評価の客観的な指標をいかにして共有するかという点だと思います。
そこで質問なのですが、そもそも労働の賃金を時給で換算して支払うようになったのは、歴史的にはいつどこでどのような事情からそうなったのでしょうか?
別の言い方をしますと、人事評価の基準としての労働時間=時給という指標の歴史的起源について教えていただきたいということです。
よろしくお願いします。
(個人的には工場労働など、投入した労働時間が確実に生産量と比例する業種の誕生が、時給という概念が発生するにあたっては不可欠だったのではないかと思うのですが…)
*なるべく情報のソースを明記してください
*あくまで世界史的な視点からお願いします
私論・試論・史論 ~ 労働量×時間=賃金 ~
旧約聖書《創世記》で、蛇にそそのかされたイヴが、林檎を食べた。
リンゴは、知恵や性の象徴であり、時間の概念とも解釈できる。
真実を知ってしまったアダムとイヴは、楽園から追放された。
ミレーの絵画《晩鐘》は、農業が時刻によって支配される図である。
カトリックは、世界中に教会を建て、鐘を鳴らして時刻を告げた。
季節に応じた相対的時間よりも、絶対的時間が尊重されていた。
かつて産業革命以前のイギリスでは、いまだ労働時間の概念がなく、
へとへとになるまで働くことが(老若男女を問わず)強制されていた。
ハーディの長編小説《テス》が、その時代の状況を伝えている。
フランクリンが《カレンダー》を普及し《富に至る道》を出版した。
ギリシャ起源の「時は高い出費である」に由来して、16世紀後期から
「Time is precious」を経て「Time is money 時は金なり」に転じた。
マルクスは《資本論》によって、労働が商品であることを論じた。
ただし「労働者の賃金は、資本家によって搾取される」と考えた。
低い賃金のもたらす余剰によって、市場経済が独占されると説いた。
自動車王フォードは「歩く労働者」に気づいてベルトコンベアを開発。
チャップリンが映画《モダン・タイムス》で、未来社会を予言した。
トフラーは《第三の波》をとなえて、きたる情報革命を示唆した。
第一の波は、農耕革命だった。朝日とともに集まって、日没に終えた。
第二の波は、産業革命だった。みんなが時刻にあわせて労働し始めた。
第三の波は、情報革命である。一部の人たちが、自由に作業し始める。
現代人の平均寿命は、約82年=30000日の三部交代制である。
第一部の20年は養育、第二部の40年は労働、第三部が余生である。
第一部と第三部が長くなるにつれ、第二部の年代の負担が重くなる。
さきに年金を受取る老人がうとまれ、掛金を支払わない乳幼児や少年
少女の出生が減少する。ただし、もしすべての人が一斉に生れて労働し、
一斉に引退したら、国家体制は成りたたず、歴史や文化が継続しない。
自由を我等に(↓)近代工業社会を皮肉たっぷりに描いた傑作喜劇。
http://www.harvardfilmarchive.org/calendars/05_summer/images/a_n...
── 《A Nous La Liberte 1932 France》
給与分割史 ~ 年棒・月給・週給・日給・時間給 ~
江戸幕府の武士の禄高は年棒でしたが、明治政府の公務員にはじめて
月給が採用されました。ところが明治七年には閏月をふくめて十三ヶ月
となるので、あわてて陰暦を廃止して「西洋太陽暦」に移行しています。
さらに、一日を24時間に分けて、正午に大砲を“ドン”と鳴らした
のが“土曜半ドン”の由来です。一説に、オランダ語の“ゾンタク”を
「西洋日曜日」といったので「西洋ドンタク」に転じたともいわれます。
かくて日本では、週の制度が導入され、百年もかかって民間企業での
週休制が定着しますが、ついに週給は普及しませんでした。
むしろ、日雇いの日給よりも、時間給になじんだ気配があります。
この傾向は、季節工や、期間社員を生みだし、のちに派遣社員から、
非正社員やフリーターのような格差社会に発展します。
── 鎌田 慧《自動車絶望工場 ~ ある季節工の手記 ~ 19731205 徳間書房》
ヒトラーは《わが闘争 19250718》で、週給制を非難しています。
土曜日の夕方に賃金を払うと、労働者は酒場に直行するので、月曜の
朝には家族が困窮するというわけです。
フランス革命暦(1793~1805)では“十日週”を試行錯誤しています。
ソヴィエトでも、五日週(1929~1931)六日週(1932~1940)を実施
しましたが、さほど効果がなく、もとの“七日週”に復帰しています。
時間の概念は、一見わかりやすいため、しばしば誤って運用されます。
季節を無視して(年間を通じての)一日を24時間に定めています。
健康な人の体内時計(生理的周期)は、約25時間らしいのに……。
あるいは、冬の一時間と夏の一時間が、おなじ賃金で支払われます。
蟻とキリギリスに、冬も働かせたら、イソップ《寓話集》は別の展開
になるはずです。たぶん、かならずしも「時は等しくない」からです。
── 時よ止まれ、君は美しい ── ミュンヘン五輪:Goethe《Faust》
40,000,000 m ÷ 86,400 sec ≒ 463 m/sec
(地球の円周 m ÷ 一日の秒数 ≒ 一秒間の自転距離)
── 時は金であることを忘れてはならない。一日の勤労によって一〇
シリングを稼ぐ人が、戸外で散歩したり、室内でぶらぶら過ごして半日
をついやすとすれば、たとえ娯楽のために六ペンスしか使わなかったと
しても、それだけを消費したと考えてはならない。そのほかに(半日分
の収入)五シリングを支出してしまったことを忘れてはならない。
── ウエーバー《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 1904》
上記の警句は、下記に引用されています。
── 織田 一朗《時計の針はなぜ右回りなのか 19941025-19951212 草思社》
ほかに、つぎのような書籍も、とても分りやすく紹介されています。
── ダンテ《神曲 1317-1320 Italy》
── 角山 栄《時計の社会史 1984 中公新書》
── ジャック・アタリ/蔵持 不三也・訳《時間の歴史 1986 原書房》
なお、超現実画《記憶の固執 ~ 柔らかい時計 ~ 1931》が辛辣です。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200505/23/39/d0056439_20361816.jpg
── ダリ/鈴木 雅雄・訳《ミレー「晩鐘」の悲劇的神話 200301‥ 人文書院》
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