そんなの犬も喰わないという意見も結構です。
引用が全文なのか一部なのかにもよるのですが、議論の流れがうまくまとまっていればおもしろいです。
ちょっと違いますが2chのスレをまとめてブログにしているところもあって興味深く読んでます。
なお、自分の発言については責任をもっているので、自由に引用してもらって構わないです。
関わりたくないので。
TBで知らされたりとか、したくないと思ったのです。
気付きたくはないですね。
何故なんでしょう? 自分の意見と異なることがかかれたりするからですか?
転載自由な人もいますが、私は無断での転載は許可していないです。引用ならもちろん問題ありませんが。
リンクされるのもまったく問題ありません。むしろ、私のものへの反論等を他所のサイトでやる場合は極力リンクして欲しいです。リンクしていた場合、それの読者が私の主張を読むことが容易になりますから。例えば、一部だけを取り上げて文意を汲まずに反論をされたときなどにその意味がでてくる。
では、嫌なリンク・コピペのやり方ってありますか?
それとも、やっぱり多くの人は転載自由・リンクフリーでしょうか?
気づく事は少ないと思います。
当事者で不快な思いをする方もいるかもしれませんが、私は気にも留ないと思います。
気付きたくはないですね。
からどうでもいい。
何十ページもネチネチ完全否定の人格攻撃されたら、さすがにキレる。我ながら大人気ないけど、宣伝してくれてありがとうとは言えない。こういうのってマナー違反だと思うけどね。転載許可ぐらい取ろうよ。
実際にそんな事がありました。
でも、議論をしてもそれほど嫌いではない人なら別に構わないと思っている。
相手に反論されないように、自分の部屋に引きこもって一人相撲をとってるみたい。
指人形で遊んでるのかな?
やってるんでしょうね。当事者になったことがないからわからない。
「暇なのか」、というより「好きなんだなあ」と思うくらいです
というか、見ない。見る気になれない。
まねされることは光栄です
質問主さまの質問の主旨を「はてなブックマーク数が多い記事にああだこうだ言ってたり、はてなダイアリー同志で意見を交し合ってるのって正直どうなの?」という風に質問を拡大解釈させていただくとするならば、私個人としては「そんなことMIXIコミュかスタバで喋れば?」と思います。
話が少しそれてしまいますが、ソーシャルブックマークというものは、はてなにしろ、もともとのDIGGやdel.icio.us自体も、数が多いものだけがその中身が吟味されずに、被ブックマーク数に影響されて釣られてブックマークしている人が多い、というのが現状だと思います。もちろんサクラブックマーカーもいるでしょう。具体的な数値ではっきり定量化されると、人間はその価値基準に弱いですから。偏差値ですとか。
アルファブロガーさんが発信した記事に対して、またアルファブロガーさんがウンチクを述べるというのは、本能的にやっている部分と、一方で、ブックマーク数が高い話題を取り上げることで自分もブックマークをたくさんともらいたいという衝動があるのでは(アフィリエイト欲も含む)。また、挑発的な記事を書くとそれに対してまた引用記事を書くはてなダイアリーが出てくる。そしてその狭いコミュニティで議論しあってるブログ同志がどんどんブックマークされて上位を占めると、ホントにいい記事が埋もれてしまうこともあると。
これでは、ただ自分のブログのPageRankやを上げたいだけにも端からは見えますよね。また、ただ単に人気ブログのブランド力や、周りがそうしているから釣られて同じようなことをしているだけの方もいらっしゃるかもしれないと感じます。
もし議論するならその人の記事のコメント欄で正々堂々とやるべきかなぁと感じます。すばらしいなぁと引用しているのならもちろん読んでて気持ちいいですが、ここが悪いあそこが悪いなど、自分のブログ内でねちねち言ってるのは「ひきこもりブロガー」という印象をうけます。ただ、賞賛するのも自分のブログでやる前に、まず当方の記事内のコメント欄でコメントするのがいいと感じます。映画やゲームや書籍の評論ではないのですから。
自分の意見が誰かの意見を誘発させたのだからありがたいと思う。
自分のブログをコピーされることは光栄なことだと思う。
私は気にならないので、引用でも愚痴でも入れればよいと思う。
ただ、人によってはいやがる人もいると思うので、相手の行動が予想できない限りやりませんが。
別にいいんじゃないかな。何か問題あるの?WWWに公開するということはそういうこともあるってことは理解しないと。
なるほど。関わりたくないということですか。それなら了解です。
私は自分の意見或いは自分の興味がある内容に対する意見なら肯定的なものも否定的なものも読みたいので知るだけは知りたいです。その後関わるか否かは別途考えるという感じ。