創価公明を擁護するブログや掲示板を立てると必ずと言っていいほど、否定的なコメントやレスを付けられ議論になります。逆に、批判者サイトにコメントやレスを付けたばっかりに批判者から袋だたきに遭う擁護派の方もいるようです。信仰はアイデンティティと深く関わっている為に普通の議論とは比べものに成らないくらいにこの界隈の議論はかなり精神的に重く堪えます。
では、質問です。信仰サイトへの否定的な意見に対してアイデンティティを傷つけられても、それを放置してスルーすべきでしょうか?それとも小競り合い覚悟で議論して正しい方向を示すべきか?教えてください。
そのブログや掲示板の目的によると思います。
目的が広く一般の人と議論する場として提供しているのであれば、他の人の心無い書き込みに対しても大人の態度で接すればいいと思います。ただし、その場合議論したいのが先で信仰は後付である方が多いので不毛な結果になることは覚悟しておかないといけないと思います。
それが身内や一部の親睦の場として提供しているのであれば、管理人の判断で書き込みを削除してしまい議論はしないのがいいと思います(スルー)
どちらでもいいと思います。ブログや掲示板では管理人こそが絶対的な決定者だと思います。
でも、議論を切り捨てるブログには何の意味も無いと思います。
だから意味の無い罵倒や根拠の無い批判等は無視して、あとは誠実に対応して行くしかないと思います。
でも、宗教や信仰のことを議論しても何の意味も無いし、絶対に決着はつかないと思います。ちなみに僕は創価が大嫌いです。
そうそう決着が着いた試しがない。やっぱり嫌な発言にも誠実な対応にまさるものはないですね。どうもありがとうございます。
本当に真面目な信仰者ならば、争いは避けることが大切ではないでしょうか。
個別の議論は大切です。しかしネットは「衆人環視」の場であり、個別の議論とは違います。小競り合いを通して第三者に与える影響も考慮すべきです。
衆人環視の環境で行う発言は、個人の発言であっても、それは自分の所属する陣営を代表します。そういう性質の発言は、十分な慎重さをもって行われるべきであり、そうでなければ、自分のアイデンティティどころか、大切な仲間や組織の名誉すらも傷つけます。
そこまで考えて小競り合いできるなら、それは止めません。しかし、えてしてコメント欄などでの言葉の応酬は感情的になりやすく、自分の人格が露呈しやすいものです。
本当に真面目な信仰者なら、いかなる言葉に対しても、ひとまず関心を持ってコメントを寄せてくれたことに感謝し、その上で誤解がある部分については、公式の文献などを紹介しながら、そちらを読んで納得してほしいといったやり方で理解を求めていくことが大切ではないでしょうか。
私は特定の宗教団体には属しませんが、論争で対立を広げていく団体より、穏やかなコミュニケーションで理解と融和を広げていく団体を支持します。おそらく大多数の人達が同様であると思います。衆人環視での議論は、そういう第三者の目も意識して行うことをお勧めしたいと思います。
TOMCATさんのおっしゃること良く分かります。ネット上については学会本部からの通達では「個々がネットマナーを守り、ネット上の批判者とは喧嘩をしてはいけない」というように言われています。また、学会員といっても様々な方がいて一人一人が個性豊かでもあり、信仰心の浅い人もいれば深い人もいます。確かにおっしゃるとおり感情的になり軽率な事をしてもいけませんね。それに、一学会員の発言だからといって本当はそれが額面通り創価学会の見解となるわけでもありません。学会員であってもやっぱりその人なりのフィルターを通した発言となります。それでも第三者的にみれば創価学会の発言ととられかねない。個人の見解でも「創価がこんなこといった」って騒がれることにもなりかねない。
そこまで、考慮して責任がもてるならやってもいいんじゃないかと言うことですね。
感情的にはならずに冷静に正しいソースを示しながら大人の対応をすべきですね。
色々と教えていただきありがとうございました。
基本的には、信仰への批判的意見も含めて、マナーを守った常識の範囲内の書込みであれば自由に議論を行わせていくのがサイトとしては人が集まると思います。つまり「スルー」していくのが良いと思います。
たしか10年ほど前から、さる宗教団体の信者らしき方が運営されている匿名掲示板サイトがあり、そこでは自由に議論が闘わされているそうです。私が見ていた時、ほとんどその宗教とは関係のない議論(政治経済・歴史等)が中心でした。
また、WIKIには「さる宗教団体が絡んでいるから、中味には注意するように」とのまことしやかなメールが流れたこともありましたが、WIKIぐらいの噂が立てられる程のブログ・掲示板サイトになれば成功だと思います。
わたしも常識的にマナーを守った発言であれば、批判的な意見でもいただいても差し障りありません。ただ、批判者側であれ信仰する側であれ、突飛な行動はいただけません。正しいソースもない罵倒だけつけてく人とか、ソースもなくどっかで聞いてきたような噂話で批判する人とか。「ああああああああ」
って書いてるようなコピペ荒らしをする人とか、こんな事はスルーしたほうが精神衛生上良いと思います。
釣りと対話する気のある人の違いは見分けないといけないですね。
貴方がネット上で議論なさるのはもちろん自由だと思いますが、貴方個人の行動が、ネット上では団体を代表しているようにとらえられたり、創価=貴方のような方ばかりだ、という風にとらえられる可能性が多分にあるということを考えられたほうが宜しいかと思います。
貴方の発言内容が団体すべてに当てはまるパブリックな発言なのか、それとも個人的な意見として述べているものかを閲覧している他者にも明確に伝わるよう考慮すべきではと感じます。
私個人としましては議論は大変すばらしいものだと思います。だたし議論から脱線し価値観の押し付け合いになるのは醜いものです。馬鹿といわれればどういった点がどのように馬鹿なのかを問うのが議論では無いでしょうか。相手を言い負かすのが議論ではなく、双方の理解を深め合うのが議論だと思います。決定的な価値観の違いが生じる場合もあるでしょうが、受け入れることはできないがいっていることはわかるというレベルまでならば話合えるのではないでしょうか?
もちろん議論に値しない相手もいます。貴方が相手にすることで貴方の格まで落としてしまう相手はスルーするに越したことがないと思います。
ハッキリ言ってここでの発言は個人の見解です。
>馬鹿といわれればどういった点がどのように馬鹿なのかを問うのが議論では無いで>しょうか。相手を言い負かすのが議論ではなく、双方の理解を深め合うのが議論だ>と思います。
そうです。批判する側にも色々な思いがあるんだとおもいます。「君の意見には反対だが君がそれを言う自由は死んでも守る」
と言ったある偉人がいましたが、こういう姿勢が必要なのです。
まったくです。不毛な議論にはうんざりしています。その掲示板なりブログなりの目的が明確であれば、そこに応じた対応が出来ます。どうもありがとうございました。