バブルについて質問です。
プラザ合意による円高誘導→国内企業防衛策として公定歩合引き下げ→金余り現象(円高にも関わらす日本製品が売れた+電力、建設会社などは原材料費が安くなり潤った)→企業の土地株への投資。銀行の過剰融資…→バブルへ。
ここで、
①融資先が中小企業や個人に集中したそうですが、70年代に大企業の銀行離れが進んでいたのはなぜでしょうか?
②また、新しい産業を興すためのファンドなどを設立するなどの試みはなかったのでしょうか?またバブルを見越した堅実な経営の銀行はあったのでしょうか?
…→バブル崩壊→BIS規制→貸しはがしと貸し渋り→ドラマ「ハゲタカ」の舞台へ。となると思うのですが…。補足があればお願いします。
③銀行業界用語に関して面白い表現があったらお願いします。鷲津は「兵隊」と言われてましたが、ノンキャリアみたいなものでしょうか?「ゴミ」は十億以下の預金者と聞いたことがあります。「飛ばし」はドラマにありましたね。また、サンデートイズに天下りするということは何を意味しているのですか?たくさん書きましてすいません。。よろしくお願いします!
80年代の金融自由化・国際化に伴う金融構造変化は銀行行動を大きく変化させることになった。大企業は主要銀行にとっての安定した取引先であり、主要銀行にとっての収益源でもあった。しかし、自由化に伴ってこれらの企業群が資金調達先を銀行から国内外の資本市場へとシフトさせていった結果、主要銀行にはこれら企業に変わる新しいマーケットの開発が急務となってきた。建設・不動産・流通・ノンバンクなど土地開発関連の企業群がこの対象となった。
このような銀行の貸し出し行動は、土地と株式などの資産価格がプラザ合意以降に顕著に上昇していたからであった。とくに、土地に関する限り、東京金融市場の国際化と円高下での海外企業の日本進出がオフィス・ブームを招いていたこと、東京湾の埋め立てプロジェクトとしてウオーター・フロント開発が展開されていたこと、政府の地域開発政策の一環として全国的にリゾート開発が推進されていたこと、低金利下での住宅ブームが起こり、住宅着工戸数は年間170万戸前後の高水準が数年間も続いていたことなどが土地価格の急騰をもたらしていた。
大企業を中心とした銀行離れが起こり、新たな貸出先を求めていた銀行が土地開発関連企業に新規の融資対象先を求めることは極めて自然なことであった。しかし、今日から振り返って悔やまれることは、多くの銀行が効率的な審査体制を求めて審査と営業との一体化を進め、審査を十分に行わずに与信活動を積極化したことであった。とくに、“土地神話”が根強く存在する日本において、土地さえ担保にとれば安全だとする幻想が安直な貸し出し行動を誘発することになったと思われる。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/15/080/life/2003lifemag/03060...
バブル経済期における不動産・開発融資の自制に留まらず、経営のあらゆる局面において漫然とした取引や出費を戒める行風もまた、「シブ銀」と呼ばれ広く知られている。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/shinyachiyo/www/contents/shinbun/...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E9%8A%80%E8%A1%8...
①のみの回答ですがご容赦下さい。
日本の企業が事業資金を得る方法には直接金融と間接金融がありますが、1960年代までは金融機関から融資を受ける間接金融が主流がでした。
それが、貸出金利の高さから、1970年代からは社債を発行して、投資家から直接資金を得る直接金融が主流となりました。
直接金融の利点は、薄く広く投資家から資金を調達することで、金融機関に振り回されずに自らが資金を得る事ができます。
その上、金融機関の貸出金利よりも、社債の利率の方が低く設定されているので、仲介する証券会社の手数料を支払っても金融機関の貸出金利よりコストが削減できます。
1970年代には、「銀行よさようなら、証券会社よこんにちは」という言葉がはやったそうです。
この言葉からも、大企業が間接金融から直接金融にシフトした事がわかります。
http://www.boj.or.jp/type/stat/boj_stat/discount.htm
日銀のHP 基準割引率および基準貸付利率(従来「公定歩合」として掲載されていたもの)の推移(単位:年%)
「銀行よさようなら、証券会社よこんにちは」
なるほど~。相互に株の持ち合いをしてるわけだけでもないのですね。ではいつ買収されてもいい状態になっているのでしょうか。
○1 金回りがよくなると大企業は自力で資金調達ができてしまうから。しかもあの時期は金利も非常に高く借りると損だったので、銀行が頭下げても借りてくれなかった。
○2 銀行が個人投資先へ「ファンドする」ことができたので、別途インキュベーション(育成)ファンドをつくる必要がなかった。
銀行というのは基本的にリスクをとってギャンブル要素を含む「金貸し」が本業ですし、周りが組んで賭け金がつりあがり始めたら、いつか賭けにまける時がくるとおもっても今じゃないと思いたくなります。しかし今残っているのはそれでも手堅くやってきた(部署の割合が比較的多い)ところですね。たとえば、官公庁や大企業のお給料を預かるとか。
新産業ファンドもリスクが高いギャンブルです。
○3 さあ、これは特殊なのがありすぎ、面白いのが選べないのでは。
トリビアの泉では「ダイテください!」というセリフが取り上げられていましたね。(本日の代金取立て?手形の取引総まとめをみてください、みたいな意味のようです)
天下りは、たぶん経理担当の取締役専務とかになると思います。
銀行から派遣して、ちゃんと健全な経営が出来ているかをチェックするのです。これが社長になってしまうと、企業が銀行にほぼのっとられた状態になります。
金利が高かったのは初耳ですね。。2の意味が少しわかりにくいですが…。NAPORINさんは何でもご存知で驚きです!会社のっとりが日本にもあったのですね~。ありがとうございます。
①に関してですが、70年代に大企業の銀行離れが進んだのは
「株式市場」「債券市場(社債発行)」の整備によって、
大企業は直接、市場から資金調達が可能になったためと考えられます。
(直接資金調達したほうが、銀行に利ざやを抜かれることも無いので、
より効率的に大量の資金を調達できます。)
http://www.mof.go.jp/f-review/r23/r_23_073_095.pdf
②に関してですが、「バブルを見越した堅実な経営の銀行」としては、
都市銀行では旧三菱銀行、地方銀行では静岡銀行があげられると思います。
どちらも堅実経営で無理な融資に出ることは無かったようです。
(とはいえ、三菱銀行に関しては「バブルを見越した」というより、
「融資競争に出遅れた」感が強く、バブルがあと一年続いていたら、
三菱銀行も不良債権の山に苦しめられたと考えられます。)
なお、完全に余談になりますが、このバブルの時期に地方金融界では、
「相互銀行の普通銀行(第二地銀)転換」
が同時に行われました。
そして大半の相互銀行(第二地銀)は
『地方銀行に追いつけ追い越せ』
をスローガンに超積極融資を行い、このことが地方並びに都市圏における乱脈融資の増加の遠因になったと考えられます。
(破綻した地銀の不良債権の発生の大半は転換期=バブル期、
更にバブル後の景気回復策での大量の公共事業発注に伴う土木・
建設業者への融資が傷口を広げます。)
詳しくありがとうございます!!
当時はわからず狭く短い視野しか持ちえてなかったのですね。今も慌てて新規採用増やしていますし。そういう銀行が日本を支えてるとなると少し怖いです。銀行はその後、合併してよくなったのでしょうか。。給料もらうことだけを主眼にした行員が多いのかなと思います。そんなこと言いましたらすべての組織でそうですが…。家庭もあるし。。
①間接金融から直接金融への転換:企業が市場から直接資金を導入することが可能になった。70年代半ばに、企業の多くが転換社債や社債を発行することが許されるようになったことが大きい今考えれば、このようなことが法律ではなく大蔵省の行政指導で可能であったということが信じられません。
②「バブルを見越した」銀行はなかった思います。銀行だけでなく、大蔵官僚(金融庁官僚)も、他の一般企業もわかっていなかったと思います。
そして、「ハゲタカ」の舞台になっている、「バブル崩壊→BIS規制→貸しはがしと貸し渋り→ドラマ「ハゲタカ」の舞台」のストーリーに付けておくべき点として、銀行を監視指導すべき立場にある金融庁が、何の役割も果たしていないことがあると思います。金融危機の遠因は、大蔵省による甘やかし行政にあったと思っています。そのあたりにも触れておかないと片手落ちの気がします。
リンクは少し話題とは離れますが、金融庁の役割について書いた大前研一氏のレポートです。参考になれば幸いです。
第65回 役割を見失った金融庁
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/a/67/index.html
③は「人質」ですね。これは銀行業界側ではなく、天下り先側の言葉ですね。
詳しくありがとうございます!MOFと言われて優秀だと恐れられた官僚もバブル以前の話かもしれませんね。。プラザ合意=危機だとは感じていたが、それをバブルで(当時はバブルだと思ってない)何とか凌げたと思ったのかもしれません。プラザ合意やBIS規制などの強行な経済圧力の中で生き残っている日本という国もたいしたもんだと思いますが…。BISなどの外国のそういう不利な取り決めをするのは、アメリカ政府ですか?日本は今後も言いなりなのでしょうか。だいたいそういう場合は日本の側にも変わらねばならない「隙」があるのですが。。人質とは出向社員のことでしょうか?
子会社や被支配会社(融資や債務関係に基づく支配ー被支配関係)が、本社から出向・転籍してきた人間を「人質」と呼ぶのは、もし融資してくれなかったり、新たな仕事をくれなかった時に、「出向・転籍者をひどい目にあわせるぞ」という意味を込めて被支配者がいう言葉です。それは形式上、代表権をもった社長であっても、被支配者側には「ひどい目にあわせる手段」はいくらでもあります。陰湿な日本社会の縮図です。不二家と山崎パンでも同じような「人質」はいるだろうと思っています。
それと、アメリカの不当な取決めでによって押し付けられているのではなく、日本の金融行政がグローバル化についていけなかっただけです。グローバル化によって、自動車産業や電器産業等、競争力のある産業はメリットを受けているわけですから「不当な取決め」とは一概には言えないでしょう。日本の金融機関は、80年代から90年代にかけて、多くの人材を米国の大学に留学させMBAを取らしました。彼らの多くはMBAで得た知識を生かせないし、将来の展望が見えない日本の銀行を辞め、給与水準の高い外資金融機関に行きました。この4-5年は、会社から留学させてもらった人への風当たり(留学費用・給与の返還等の誓約書が義務付けられる)がきつくなってきたのもあり、自分で銀行を辞め、MBAをとるために渡米していると聞きます。ハゲタカの主人公もそうした一人になると思っています。
(MBAについて)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E5%A3%AB_(%E7%B5%8C%E5%96%B6%E5%AD%A6)
再回答ありがとうございます!
アメリカ的なもの西洋的なものには良い面と悪い面の両方が極端に混在していますので、全肯定はできませぬが…、おっしゃる意味はわかります!明治維新は内戦での改革。第二次大戦は外戦の改革。今は第3の改革。国の力だけでなく市場という力の改革の波だとおっしゃられた方がおられました。
自由化に伴ってこれらの企業群が資金調達先を銀行から国内外の資本市場へとシフトさせていった結果、主要銀行にはこれら企業に変わる新しいマーケットの開発が急務となってきた。建設・不動産・流通・ノンバンクなど土地開発関連の企業群がこの対象となった…。住専問題もよくわからぬまま終わってしまいましたが。。大変よくわかりました~。ありがとうございます。では今は何で稼いでいるのでしょうか?IPOやM&Aか。
銀行は借金返済して空前の黒字になったようですが…。