他人を裁く責任なんておいたくないし、仕事まで休まなければならないので、今から非常に憂鬱です。避けて通れるなら、なんとしてでも避けたいです。
裁判に一般人の感覚を取り入れるためと聞いていますが、そのメリットがまったく理解できません。
いったい誰がどういう意図で、日本にこんな制度を作ったのでしょうか?またはこの制度を作ることで誰が「得」をするのでしょうか?という質問のお答えください。
http://www.kensatsu.go.jp/oshirase/00111200607280/saibaninseidon...
検察の意図の説明
http://www.saibanin.courts.go.jp/introduction/reason.html
裁判所の意図の説明
http://kyuen.ld.infoseek.co.jp/tendency/
>司法改悪の柱とされる裁判員制度の本当の目的は、タウンミーティングでのサクラ動員でも見られるように、
>陪審制の真面目な導入などではさらさら無く、この制度を起爆力にした「簡易・迅速・重罰」の戦時司法への国民総動員である、ということがますます見えてきた。
こう考える人もいるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%88%B...
ウィキペディア‐裁判員制度
「クリアでわかりやすく」「専門家以外の声も入れることによる世論からのガス抜き」ってとこなのでしょうか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%88%B...
http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/c1_3.html
http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/index.html
ご存知の情報も多いかもしれないですが。
建前の情報は上のwikipediaなどで簡単に入りますが、
本当はどうなのか。ということになると見えないですね。
ご回答ありがとうございます。
参考になりました。
世論の圧力もあり死刑判決(重大事件が対象)を増やしたい。
が、マスコミにたたかれる。
では、国民の意思で・・・・・ということにしようじゃないか。
で、裁判員制度。
司法への批判をかわす狙いじゃないかな?
ご回答ありがとうございます。
死刑だけ増やしても執行されなければ意味ないと思いますが・・・。
でもそういうことなのかもしれませんね。
戦前も、短期間ではありますが、陪審制が敷かれていました。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/citizen_judge/about/column2.html
ここにあります通り、明治・大正時代の当時、大逆事件など大いに疑問とされるべき判決が相次いだこと、また、普通選挙導入前でありましたから、どのような形でもいいから、国民が国政への参加を求めたことが、その背景としてあげられています。
ただし、選択制でありました。被告人本人が、陪審裁判か裁判官による裁判を選べたわけです。そして結局のところ、被告にとっては陪審裁判は不利であるという空気が生まれ(裁判官が不愉快に思うわけです、素人が判決をどうこうするということになれば)、年々実際におこなわれる事例は少なくなっていったようです。そして自然消滅しました。
私個人は、やってみたらいいのではないかと考えています。国家の名において刑罰が課されているわけですから、われわれ国民が頬かむりをして良いものだとは思いません。日本の司法制度は、今日はまずまずの運用がされているとは思いますが、あまりお役所に任せきりというのも、どうですかね? 昨今の危険運転致死傷罪の適用などは、「法解釈」としては正しくても、「被害者感情」「国民感情」からすれば、なかなか納得できるものではありません。
ただ、実際問題として、そんなもんやりたくない! というひとが多数なのは当然でしょう。私、実はアメリカの永住権を持っていまして、五年間のあいだ、一度だけ陪審員になってくださいと案内が来ました。「忙しいから無理」と返事をして、それで問題ありませんでした。あの訴訟国家ですら、そんな具合ですから、kumankumanさんがあまり心配されることもないように思います。
貴重なご意見ありがとうございます。
大変参考になりました。
国民感情という感情に左右されてしまうと判断がぶれるような気がします。裁判官が完璧でないというのはもちろんですが、素人の感情よりはずっとマシなのではないでしょうか?と思いました。
・・・というのは単なる言い訳で、結局は人の生死の責任追いたくないというのが本音です。
アメリカの裁判ですか!?外国の話しでも「いそがしい」で済ませられるなら安心しました。
メリットは、特に事実認定において国民の一般的な常識が反映され、ともすれば、かつて極一部の裁判において裁判官の下した判断が、国民の一般常識からかけ離れているという欠点が是正される可能性が高いことです。
そして、裁判官にとっても、様々な意見をきくことで、自身の考える社会通念を確認したり、場合によっては補正したりできることです。
せっかくご回答いただいたのですが、建前論は理解しているので必要ありません。
ご回答ありがとうございます。
「主として殺人のような,重大事件が対象です」
例え犯罪者が対象といえども、一般人が目の前の人間に死刑を言い渡せるものなんでしょうか?
「専門家以外の声も入れることによる世論からのガス抜き」
個人的にはかえって不満が爆発しそうです。
http://kyuen.ld.infoseek.co.jp/tendency/
は読んでて疲れました(笑)