僕の子供の頃は学校の先生に
男の子が転び、痛さで泣くと
「男の子なのに泣くな!」
女の子が暴力ふるうと
「女の子はもっとおしとやかにしなさい!」
などと怒られていました。
最近は男女同権の思想が教育現場にも様々な
影響を与えていると聞いたのですが、
今でもこのような昔ながら(?)の躾は
残っているものなのでしょうか?
あるいは無くなったり減ったりしているのでしょうか?
また、無くなったり減ったりした場合には、
代わりにどういう方法で生徒に説いているかも
教えていただけると助かります。
姉が教師をやっているのですが、今はそういう男女差別的教育は無くなってるみたいですね。
昔は上履きやランドセルの色でも男が青、女が赤と決まっていましたが、それも時代の流れで固定ではなくなってきました。
教育方針についても、男女差別的な教育をするとPTAがうるさかったりするので今はそういうのは出来ないそうです。
高校生ぐらいになると差があって当然という認識もあるようですが、中学生や小学生の場合は出来るだけ男女平等にするのが当たり前になっているようです。
叔父と妹が教職についています。
転んだ子には、
「痛いなぁ~はいはい、もー泣かんの~、泣くのは赤ちゃんだけやで~」
みたいな感じ。暴力(かんしゃく?)だと
「叩かれたら痛いでしょ。自分がされて嫌なことは人にはしちゃいけないんよ。」
な感じかなぁ。
成長の過程で、男の子も女の子も「我慢をする」ということを覚えていくと思います。
そういう感情に任せた行為はちっちゃい子がすることで、
大きくなった子、大人はしないよ、ということがわかるようにしていくのがよいのではないでしょうか。
男の子だから、女の子だから、じゃないですよね。
大人になっていく過程で「他人を思いやる」「我慢する」を覚えていくのが大切なんだと思います。
昔は、そういう我慢の規定(行動規定)が『女の子』『男の子』というので社会的に準備されていたと思います。
しかし、現在の社会は違いますよね。
男の子だって泣きたいときは泣けばいいし、女の子だってグーパンチかましたいときだってあるわけですよ。
でも、しちゃだめ、て大人が叱るのは、「大人の世界(社会)がそうだから」なんですよね。
子供はいつまでも子供じゃない、子供は大人になるわけです。
子供が大人になったとき困ることがないように、ていうのが教育であって躾でなんだと思います。
昔だと「男の子は男の子」「女の子は女の子」ていうのが大人の社会で生きていくためには必要だったわけです。
今だとそこまでは必要とされちゃいませんが、ある程度は残ってますよね。
スカートはいて股おっぴろげはハシタナイ、わけですし。
なので、基準は子供が大人になって社会に出て困らないようにする、ていうのが根本じゃないのかなぁ。
あと記憶が不確かなのですが、
「泣いたあかおに」の作者さんの言葉かな?
『男の子は「強くやさしく」女の子は「やさしく強く」』
ていうのがありました。
男の子と女の子はやっぱり違うと思います。性別が違いますし。
でも、基本となる部分は同じだと思います。
なんか、だらだら書いちゃったので読みにくくなっちゃいましたが、参考になれば幸いです。
ありがとうございます。
こんな質問をしたのは、ご指摘されてた「行動規範」を知りたかったからです。
今は大黒柱とか良妻賢母なんて言葉は死後になってるわけですが、一方現実は、今でも子供は大人になったら、家庭や社会で相応の役割分担は求められてると思うのです。
大人としての「男」や「女」の規範が男女同権で喪失した場合、じゃあそれに代わる規範がキチンと整備されてるのか?そういうのに興味があったのです。
「強くやさしく」「やさしく強く」美しい表現ですね。
ありがとうございます。
では、そういう場合どう子供を説いているか?
転んだ子供に「男の子だから」で僕は育って、
それ以外を知らないのです。
では逆にどうやって言うコトを聞かせているのか??できればソコが知りたいです。