生き方、存在、デザイン、、、
オリジナリティか、ステレオタイプか、
人それぞれに違うのですが、
最高に美を感じるのは?
それはなぜでしょう?
美は何か、どんなものか、というのは人それぞれ違うと思います。
私が美を感じるのは、特に完成された整った顔の女性を見たときに美を感じます。多分あまりにも綺麗で引きこまれてしまうんでしょうね。
最高の美を感じる為には、最高のものを沢山見て学ぶ事ではないでしょうか。
私の中の美とは洗練された美しさ。
音楽であれば、雑音のないきれいな音階。
生き方であれば、妥協を許さないしかし、時には妥協も含めるような生き方。
存在であれば、人間として暖かい心。
そういう人間らしさが最高潮だと思える時に、その中に最高を感じます。たぶん、これは最高に美を感じている事と同値なのかもしれません。なんちゃって
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美を学ぶ、、、?
洗練、
雑音がない、
妥協を許さない、けど時に妥協、
暖かい心
人間らしさ、、、
まさに、なんちゃって、、、
美しいと思いたい、意識して美しいと感じよう、と物を観る人はいないでしょう。心の奥底から湧いてくるものです。
であるならば美しいと感じるのは意識ではなく、無意識から起こるものとわかります。無意識は人それぞれですから感じる美もさまざまになります。
最高に物事を感じるときは「最高」とは言わないのですね。というより言っているまもなく感動のあまり言葉を失っているときだと思います。感受性の強い人は気絶するようなそんなときですね。
美しさのあまり言葉を失うのは私の場合記憶に無いですね。いい香りも美しさなら、あるメーカのアロマセラピーオイル、イランイランで一瞬われを忘れたことはあります。
心を知るところです
心の底から湧いて来る、
無意識から起こる、ひとそれぞれに、
言葉を失う、気絶する、
イランイランで一瞬われを忘れた、、、
人それぞれですね、、、
人間が本能的に感じる部分と、経験や知識から刷り込まれる部分とがあるんじゃないでしょうか?本能で感じる美しさは、誰に言われる物でもなく普遍的に美しいと感じる部分だと思います。夕焼けや星空、炎や花。書いてて思ったのですが、自然な物が多いような気がします。経験や知識で刷り込まれる美は、好みも大きく分かれると思いますし、時間と共に変化していく物のような気がします。例えば僕が美しいと感じるプラスチックの一体成形の家具や雑貨は、子供の頃遊んだLEGOの影響が強いと思いますし、それは好きずきで、時代や他人の影響で変化していく美の気がします。時間が経つと色褪せるように普遍的ではなく、また人工的な物が多い気がします。
僕が美しいと感じるのは、シンメトリーで規則性のある物や、流線型の一体成型物です。例えばnaefの積み木には非常に美しさを感じます。直感的に美しいと感じますが、几帳面な性格がこういった規則性のあるパターンを美しいと感じさせるのかも知れません。
本能;普遍的、自然なもの
経験や知識;時間とともに変化、人工的なもの、
シンメトリー、規則性、流線型、パターン
几帳面な性格から、、、?
うーん
本能では、カオスに向かい、
生活では、秩序に向かうとか、、、?
流線型は、女の体、、、?
芸術っていうのをあまり評価していなくて、そこに難しく定義づけられた美というものにあまり興味がありません。
絵画なんて本人が見てよければそれでいいじゃないかという考えです。
ただ、ユートピアという言葉があります。
ルネサンスの時代の画家はユートピア(理想郷)を描きました。
より良い世界を想像することや、実際に見せることで、自分たちの世界をよりよくしようという考えです。
そういう絵画には思想の美しさ「美」を感じます。
ビートルズのイマジンという曲の歌詞にある「想像してごらん・・・・」というのは
平和な世界を想像させる歌詞、まさにユートピアです。
よりよい世界を見せるのは芸術家の一つの使命であり、
よりよい世界を見せる作品に無意識に美しさ「美」を感じるんじゃないかと思うのです。
より良い世界、、、
ユートピア、、、
あれって、、、反戦でしょう?
理想って、戦争をする人の中にも
あるんでしょう?
戦争に戦いを挑む、、、?
でもそうなんでしょうね、、、
あらゆる観念は、競いあい、較べあい、
生きる:サバイバル
矛盾、混沌、退廃、
喜び、憎しみ、妬み、愛す、、
美を必要とするのは、そのためなのかも
無意識に、、、
美とは自己満足な気がします
人それぞれ、美の感じ方は違いますよね
他の人が美を感じてても自分には美ではないもの。
また、他人にとって、美でないものが自分にとって美であったり。
http://www.gakkou.net/cgi-bin/daigaku/navi.cgi?bnc=01011&mod...
多くの人が、美ではないと、
多くの人が、善くないと、
それでも美しい、、、真実だ、、、
感じるんだから、、、
「美」
自分の心と、そのものが繋がって初めて感じるものであると思う。
だから、美の感性は人それぞれであるし、また他人には理解できない"美"が存在する。http://q.hatena.ne.jp/1178147316
見つけるんでしょうね、、
その存在を、、、
何んだろう?って、
そして真実に気ずく、、そうなのかって、
何を感じたいんでしょうか?
感じた美がそれか、、
美しいものは【自分】です
そしてとりまく環境。友達、世界、宇宙です。
自分の見えたものしか自分ではわからないので
美 に対する意識。いつも美について考えることです。
太陽や海、空気や人間。ガラスや猫
絵画や時間、全てのものに 美 は存在するのでしょう
それを見つけてめでる 自分の心が美しいのでしょう
美しいものを見るためには美しいという事を考えながら生きる
全てのもが涙が出るほど美しい
自分の世界の美しさを広げる
俺は【今の自分】に美を感じます
全て美しい、
そう感じる、今の自分に美を感じる、
、、、ピンと来ない、私には、、
ーーー美 に対する意識。
ーーーいつも美について考えることです。
努力してみます
気持悪い、、、でも、美は美?
共有できなくて、
共通、、、
感度:色んな見方が出来ること、、?
独自の?一般的な?
美は、そのものでも美しいといいますが、
結局、理解できるものが美しいのです。
ある非先進国の人は、自分や家族の写真を見ても
別人だというそうです。
見方がわからないと、いかなる美も通用しません。
逆に、社会でいろんな経験をつんで、
見方がわかってくると、いろんなところに美を見出すことができます。
電車で隣にすわった席の女の人の化粧一つ見ても、
ニューヨーク風の雰囲気だな、
でも日本の地下鉄で見るとまたちょっと新鮮だなとかいった
雰囲気がわかるようになるのです。
車でも、これだけの機能を詰め込んで、
さりげなくそこに存在していること自体が驚きだ!
というような、ちょっとやそっとではわかりにくい美もあります。
子どもは好きなところを誇張して絵にかきます
(百段ドレスを着て手や目だけが大きい人物像)が、
年をとると「さりげないが良く見ると無駄や不自然がない。
人に威圧感など無駄なエネルギーをかけない、微妙なバランス」こそを
上品なものとして尊ぶ場合もあるとわかってきます。
詳しくはこちらをどうぞ↓
理解出来るものか、、
見たもの、経験、学習したもの、、
機能を詰め込んで、解りにくい美、
誇張した美、
無駄や不自然がない、微妙なバランス、
何か、美もいろいろで、
何種類かに別けても良いのかも、、
理由がある感じで、
見られ方だって感じですから、、
醜さも同様に
即答、ありがとうございます。
でもつまらない、
でも、たまーに、美しすぎる人いますね
発しているものが、違い過ぎる人