そうですね、なんか、ぴりぴりしている人が多い感じがします。
今日、ドラッグストアにいったら、7歳くらいの女の子がおばあちゃんと思われる大人に、「てめーの話はわからない」とか、ずいぶん悪い言葉で大声で話していました。
最近は家庭での教育が悪いのではないでしょうか。
豊かになりすぎていることも原因だと思います。
豊かになると、生活は便利になる反面、物事に対する辛抱とか、我慢とか言うことをする必要がなくなりすぎているのでしょう。
今何か食べたいと思ったら、家の中に何かしらの食べ物がある、あるいは、コンビニへ行けばすぐに食べられるものが手に入ります。暑いと思ったらエアコンをいれればよい。
このような生活環境にいるせいで、いろんな物事に対して、自分自身の心にブレーキをかけることができなくなってきているのではないでしょうか。だから、他人の態度が自分の都合に合わないと言う理由だけで、他人に対して怒りを表したり、傷つけたりするのではないでしょうか。
これは土の臭いを忘れたと言うことにもつながります。土の少ないところは、得てして機械化され、人間の都合のいいように、周辺環境が造り替えられています。土の多いところでは、色々と人間は不便さを我慢しなければいけないことが多々あります。雨が降ればそれだけで歩きづらくなりますから。物質的に豊かになればなるほど、精神的には貧困になる、私はそのようにも思います。
たしかに、「農」「土」から離れたということが大きく関係しているという考え方は成り立つでしょう。しかし、それは突き詰めて言うと、「命を育む心」なんですよね。
命を育む心は、少なくとも人の親になれば、誰しもが身につけていくものです。しかし、今はまず、
こうした問題点が重複して、ご指摘のような殺伐とした状況が生まれてきているものと思います。
農の心とは、命を育み、その恵みに感謝する心です。それはたとえ土に親しむことが出来ない都会生活者でも、本来、生活の中で学び、掴み取ってきたはずの物でした。
少なくとも、政治が戦争を完全否定するようになれば、ずいぶん状況は変わってくるはずだと思います。それはご指摘のような殺伐とした状況が、改憲再軍備などの論調と同時進行している様子からもうかがえると思われます。
成果主義とか、実力主義の要素が社会に増えましたので、
がんばらない人、器用出ない人が損をする機会が多くなった気がします。
大手の会社では年功序列という考えは減っていますし、就職活動も、内定がでても、試用期間中に解雇される人もいると聞きます。
「ずっと、上手くやりつづけないといけない」という状況が続き、
結果、会社の中で、心身を弱めてしまう人が増えているそうですね。
私の会社でも、精神的に病気になってゆく人が、昔より増えました。
昔持っていた気持ちをなくした。という要素もあるのかもしれませんが、私は、昔以上に日常ストレスの大きい社会構造になったのではないかな。と身の回りを見て思いました。
http://images.google.co.jp/imgres?imgurl=http://wwwhakusyo.mhlw....
仕事のストレス、人間関係のストレス
ストレスに囲まれた生活をしていると心に余裕がなくなってきてしまうのでしょうね
田舎暮らしでのびのび過ごすことが一番いいのでしょうねhttp://q.hatena.ne.jp/1178278797
都会は隣人と接する機会が少ないですからね。
田舎のように、周りがみんな顔見知りのような状態なら殺人なんて難しいですし、人口密度も低いからストレスも溜まりにくいです。
人が多いとどうしてもストレスが溜まりやすくなるのでちょっとしたキッカケでそういうことが起きてもおかしくないと思います。満員のレストランで子供が泣いてるだけでももの凄いストレスだったりしますから。
人の多さがマナーや礼儀を忘れさせ、それがトラブルの元になっているような気がします。
足を踏んだり踏まれたりは当たり前。細かいことを気にしてたら大都会では生活出来ない。
そう思ってたら、その礼儀の無さやマナーの悪さに怒った人がナイフで刺すなんてことに発展することもあるでしょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411369...
結論から言うと40年前の方が物騒な世の中です。印象操作にやられていますね。
http://plaza.rakuten.co.jp/shoochang2004/21005
各国の殺人事件件数
1990-2000年人口10万人当たりの殺人事件の件数
私は田舎に住んでいますが、田舎でも殺人事件やらいじめやら児童虐待やらと都会と変わらない事件が増えていると思います。
人口が少ない分少なく感じるだけであって、比率で見れば同等かそれ以上なのではないかとも思います。
以前、マウスの実験で、人口(?)密度が一定の数を超えると
凶暴化したり自殺したりする割合が高くなるということを聞いたことがあります。
人間も同じようなことがあるのではないかと最近感じています。
育て方だとか環境の違いとかだけではどうしても納得がいかないところが多々あります。
昔は戦争がなかったかといえばそうでもありませんし、
今でも土に触れられるような田舎にいても都会並みの事件はあります。
今と比べて昔の育て方や環境が良かったとは思えないのです。
論理が飛躍しますが、
自然の摂理として、人口増加に対する何らかのストッパーが働いているのではないかと思うのです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070502-00000415-yom-soci
パソコンや携帯に代表されるITが人のココロを変えたのはあるかもしれません。人との関わりが無くても何でも簡単に手に入れられる時代、そして携帯があるから、たとえ外に居ても簡単に自分の世界に篭れる時代・・・。気が短くなるのは当然だし、一寸でも気に入らない他人の行動にキレるのも当然ですかね。
人間の大事なものを忘れている感じがします。
統計によると、昔に比べて犯罪はずっと減っているらしいです。
http://homepage2.nifty.com/ukiuki/kyobo.html
昔は地域のニュースぐらいしか見聞きしなかったのが、全国のニュース、世界のニュースと多くの情報を見るようになったので、件数が増えているように錯覚してしまうのかもしれないですね。
田舎でも昔からどなりつけたり怒ったりする頭のおかしな大人はそのへんに大勢いたと思います。テレビや新聞などの報道に誘導されて世の中の人が被害妄想を植え付けられているのではないでしょうか。マスメディアの人たちは不安を煽ったほうが商売がうまくいくわけですし。
どうですかね?>農のこころ。
ここ数年でマスコミの話題に上る凄惨な事件のいくつかは農村部、郊外部で発生しています。(例えば秋田児童連続殺人事件)
つまり今の農業はすでにそういう事件を抑える癒しの力になってないと考えられます。
おそらくそういう機能を持つような「農」に戻るには少なくとも江戸末期~明治初期まで暮らしを遡らせるしかなさそうです。
(内容はえっちな本ですが、民俗学的に面白いことが書いてあります。少なくとも江戸末期~明治初期の農村社会についての常識がひっくり返ることは間違いなし)
など。GDP的にはおそらく世界最貧国に近くなるでしょうし、ちょっとした災害で大飢饉や疫病などが簡単に発生するでしょうが…。
と、これは極端な話ですが、自分としてはわずかなキーワードで社会の流れを語ることの思考停止に繋がる危険性を考えてこういう書き方をしました。
時計の針を逆戻りさせることは誰にもできません。
たぶん、自分にできることは自分だけはそういう殺伐とした精神状態から少しでも遠くにいられるようになんとか踏ん張る、それだけです。
たしかに犯罪発生件数などから見れば、現代の治安は良好な状態にあります。しかし犯罪として立件されない様々な出来事を含めた実感としての印象は、おっしゃるように近年に物騒の一途をたどっていると言って間違いないと思います。
人心の荒廃を語る上で忘れられない出来事のひとつに、イラクにおける邦人誘拐事件があげられると思います。昔は何があっても人命が第一という考え方がありましたから、アメリカの総領事らが人質に取られた「クアラルンプール事件」では、当時の日本政府は超法規措置として犯行グループの要求を飲んでまで、人質解放に全力を尽くしました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E8%BB%8...
ところがイラクにおける邦人誘拐事件では、自国民が殺害の危機にあるにもかかわらず日本政府は犯行グループの要求を頭から拒否、ネット上でも被害者の「自業自得」論が噴出して、人命第一の意見は少数派になっていました。
さらに後日、同じイラクで起きた邦人誘拐殺害事件では、残酷な殺害現場を撮影した動画が、興味本位としか思えない形でネット上に出回りました。人命尊重を何より優先させていた「クアラルンプール事件」当時とは、大変な変わりようです。
私が何を言いたいのかというと、まず政治の変節。人命尊重を第一にしなくなった国の右傾化。そして政治の右傾化を支えるネット上の論調。さらにネットに特徴的に見られる匿名なら何をやっても良いという道徳観の乱れが、人心を荒廃させているということです。
都市生活者は多くが日常的にネットに親しみ、良くも悪くもネットから影響を受けていきます。ネット上に気軽に「殺す」「死ね」と書けてしまう人たちが政治を右傾化に導き、実生活でも気軽に「殺す」「死ね」と言葉を投げかけていく。だから国や社会全体も、個人も、どんどん物騒になっていくということではないかと思います。
http://kogoroy.tripod.com/hanzai.html
↑このデータが必ずしも真なりと言えるかは別として、「犯罪が多い!」「世の中はこんなにも物騒だ!」「少年犯罪が増えている!」というメディアの煽り報道が『世の中物騒だ』という感覚に繋がっているのではないかと思います。
自分のケースですが、小さい頃は毎年恒例だった「初日の出暴走」がいつからか無くなっていたり、同じく「一人で歩いていたら必ずヤンキーにカツアゲされる」という感覚も無くなりました(ショッピングセンターを普通に子供が走り回っています)。ゲームセンターなどの所謂それっぽい場所も、むしろ昔よりも監視が行き届いているように思えます。
上の人にケチを付ける気は全くないですが、「右傾化」とか「表に出ない犯罪」などで『やっぱり増えてるんだ』と安直に解釈するのは結論ありきの思考に思えます。
確かにそうですよね。私も最近都内で変な人に遭遇する率が高い気がします。
特にスーツを着た中年サラリーマン。カルシウムが足りないのか家庭がうまくいっていないのか、それとも仕事で上司にどなられたのか知りませんが、先日コンビニで特になにもしていないのにスーツを着たサラリーマンがブツブツ言いながら一人で血迷ったようにイライラしていました。それを見ていたら、レジで今度は店員さんに「なんでこんなに高いんだ!」と因縁をつけていました。
サラリーマンとかいつもイライラしている人とかは、何かしらうまくいっていなかったり、わがままであったり、あとは仕事のしすぎで自分が亡くなってしまっているひとが多いと思いますね。
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