彼(彼女)は毎日、郵便局に行き、葉書を一枚だけ購入して、その葉書にその日の日付印を押してもらうことを始めたとします。
そしてそれが晴れの日も曇りの日も雨のも続いた。そう仮定してください。
その葉書にはなんにも書きませんが、きれいに順番にファイルしていきます。
もしこのことを彼(彼女)が続けたら、
一週間後、一ヶ月後、半年後、一年後、何か変化は起きるのでしょうか。
あくまでも空想の話です。
それが自発的なことならばすごい意味がありますよ。
今まで引きこもりだった人が郵便局まで行ってはがきを買うのですから。
郵便局に行くまでの間にいろいろな刺激にさらされ、郵便局ではがきを買うには郵便局員と会話をしなければなりません。
郵便局員は異性かもしれませんし、コミニケーションをとるということはすごいストレスとなるでしょう。
たくさんの人の視線にさらされるでしょう。
それで1日で辞めてしまうかもしれません。途中で帰ってしまうかもしれません。
そして今よりももっと心を閉ざすかもしれません。
でも、それは外に行こうとした結果なのですから悪いことではないと思うのです。
今回が駄目でもいつか必ずまた挑戦してくれると思うからです。
何回か郵便局に行くことができれば、ストレスや雑音に慣れて行きますから心に余裕も生まれます。
3日行けたんだから、4日目も行けると思えるようになります。
そうして1年も通えば確かに何かはあります。
その何かとは365日もの間、毎日家の外に出た人はもう引きこもりではないということです。
1年間の無為な生活が、かたちとなって目の前にあるわけで、なにもしないよりもさらに絶望は深まる。
あるいは、奇妙な行動を不思議に思った郵便局員から話しかけられ、言葉を交わすようになる。
いかようにも想像はできます。
やはりそうでしょうか。
その行為になんの意味があるのかそれとも無いのか自分で考えるとよいと思います。
たまった葉書を前にして。
何も起こらないのと何も起こさないのは結果は同じですが、本人の気持ちは違います。
さて、どっちがいいのですか?
むずかしいですね。
「目的」というものが出来ることは悪いことではないと思います。それが一般的に「変」であっても。(まぁこの場合は他人に迷惑かけてないし)
自宅にこもりっきりではなくて、毎日"あること"をするために外へ出るという「目的」があれば、当然予期せぬイベントが起こるはずです。
いいことかもしれないし、悪いことかもしれない。
ひきこもりが、(ひきこもりが悪いことだと仮定して)改善するするきっかけに遭遇するかもしれません。遭遇しないかもしれません。
自宅にこもりっきりの場合よりも変化が訪れる可能性は高いと思います。
(変化のきっかけは外部要因が大きいはずですので)
また、1年間続けたとして、それはそれで「達成感」なのではないかと思います。そのファイルは本人にとって大事なものになるでしょう。少なくともひきこもりをしている間は。
引きこもり中はそのファイルや毎日の行動が生きる糧(ちょっと大げさですが)のようなものになるかもしれません。
引きこもりを始めた/続けている理由にもよると思いますが、引きこもりをやめる時が来るとすれば、その糧を捨てる時なのかとも想像します。(そしておそらく、別の糧を得る時なのではないかと)
私も、この行為は全く無駄ではないと思うのです。意味があるかといえば微妙ですが、「何か」があるような気がしてならないのですが。ありがとうございました。
引きこもりの人は他人の視線を意識します。
毎日続ける内に郵便局の人や周囲の人が、
自分をどう見ているのだろうかと思い悩み始め、
日を追う毎に続けていくことが苦痛になっていきます。
そして半年も持たずに以前にも増して、
やっぱり自分は外に出たくないと思うようになるのではないでしょうか。
個人差はあると思いますが、
妹の引きこもりで私は数年間悩んで来ました。
色々試しても全く効果はありませんでした。
今もおそらく治った訳ではないのでしょうが、
遠方へ引越して環境が変わったことで車での外出は可能になりました。
とても難しい問題だと思います。
ありがとうございました。
ちいさなちいさな郵便局でも難しいでしょうか。
妹さんはその後いかがですか。
葉書きがその日を外という世界で生きたことの証となり、
それが自分自身の存在証明となるような気がします。
少なからず、引きこもることを良いことではないと認識している
ころの表れではないかと考えます。
よって、引きこもりを少しずつ克服していくのではないでしょうか。
存在証明とはいい言葉ですね。
ありがとうございました。
どんなことでも、目標を持って積み重ねていくというのは、とても大切なことですよね。人は無益と思えるようなことの積み重ねで成長していくんです。
でも、毎日同じことを続けていくという場合、結果を求めちゃいけないんです。ゴールを求めちゃダメなんです。ただ単純に「経過が面白い」。これでないと、続かなくなっちゃうんですよね。
また、一日抜けたらダメなことも、きっと長くは続きません。風邪でも引いて寝込んでしまったら、せっかくの継続がそこで途切れてしまいます。
というわけで、この場合は、いつか継続が途切れた時に挫折感を味わう。そんな危険性が高いと思います。アイデアとしてはとても面白いんですが・・・・。
それよりは、たとえば毎日日付を書き込んだ折り鶴を3羽ずつ折り続ける。折れなかった日があったら、過去の日付に遡って折ってもいいことにルールを決めておく。一年経ったら千羽折れます。それを夏に広島か長崎に送ろうとか。そんなことを3年続けたら、きっとそのうち自分の足で届けようと思うようになってくると思いますよ。
とにかく、一日や二日抜けてもすぐそれが取り戻せるという、余裕のある積み重ね方が出来るテーマを選んでいくことが重要だと思います。継続可能なテーマであること。それが大切です。
どんなことでも、長い時間をかけて積み重ねていけば、きっとその経過の中から何かを掴んでいけると思います。
この場合、「外出できた日」にはスタンプする、という姿勢に変えたら、意外といいかもしれない、とも思えてきました。
たしかに質問文のようですと、苦行僧みたいな部分もありますね。ありがとうございました。
それが自発的なことならばすごい意味がありますよ。
今まで引きこもりだった人が郵便局まで行ってはがきを買うのですから。
郵便局に行くまでの間にいろいろな刺激にさらされ、郵便局ではがきを買うには郵便局員と会話をしなければなりません。
郵便局員は異性かもしれませんし、コミニケーションをとるということはすごいストレスとなるでしょう。
たくさんの人の視線にさらされるでしょう。
それで1日で辞めてしまうかもしれません。途中で帰ってしまうかもしれません。
そして今よりももっと心を閉ざすかもしれません。
でも、それは外に行こうとした結果なのですから悪いことではないと思うのです。
今回が駄目でもいつか必ずまた挑戦してくれると思うからです。
何回か郵便局に行くことができれば、ストレスや雑音に慣れて行きますから心に余裕も生まれます。
3日行けたんだから、4日目も行けると思えるようになります。
そうして1年も通えば確かに何かはあります。
その何かとは365日もの間、毎日家の外に出た人はもう引きこもりではないということです。
この質問で、「期待した」回答に出会いました。彼(彼女)にとって
・外に出る
・郵便局まで歩く
・局員と会話する
これは奇跡的な気の遠くなるような仕事だと思うのです。いつ彼(彼女)に「その日」が来るのでしょう。しかし、「その日」を境に彼(彼女)は変わっていく切符をつかんだことになるでしょう。願わくば、理解ある郵便局で、「何にも聞かない」そういう優しさがあって欲しいと思います。そして、意外とまだまだこの国の郵便局はその優しさが残っているような気がします。ありがとうございました。
引きこもり、と一言で言っても定義自体が曖昧ですし、引きこもりの原因や状態も色々です。
とりあえず、質問の前提として私なりに考えたものを補足して答えますね。
引きこもりをしているその方は、何等かのPTSD(心的外傷後ストレス障害)が有るが、郵便局へは自分の意志で通い始めた、とします。
天候に因らず郵便局通いが続いた、ということでしたら、その方の状態は対人恐怖というより対人緊張程度で他人に対する嫌悪感も強くはない、という感じになると思います。対人恐怖がきついと出掛けるどころではありません。他人に対する嫌悪感が強いと出掛けた時に他人と擦れ違っただけで腹が立ったりするでしょう。こんな状態では天候が少しでも悪ければ気分が落ち込んだりして行く気が失せるというのが人情です。
続いた期間を明確に予測することはできませんが、通う先が近所の小さな郵便局、ということでしたら、普通は少なくとも郵便局員の方々とは顔見知りになる筈です。貯金をおろしたりするために頻繁に郵便局に来る他の客にも顔を覚えられることもあるでしょう。
郵便はがきを買って消印だけを押してもらって持ち帰る、という行為を毎日継続して行う、ということは一般的には余りしませんよね。引きこもりの方としては一種儀式的に行っている筈なので、多分、通う時刻もきっちり判を押した様に同時刻に同じ行為をする様にしていることでしょう。
こういう事が他人の目について、少なくとも郵便局員の内、窓口担当者で人懐っこい方が、この引きこもりの方に話しかけたりする、という事を始めると思います。話しかけられた引きこもりの方が比較的落ち着いていれば、引きこもりの方が言葉を発しなくても郵便局員の方が話しかけるということを継続してくれる可能性はあります。特に強い拒否や驚愕他の反応を示さなければ、「触らぬ神に祟り無し」ということにはならないからです。
郵便局に毎日通って、郵便はがき購入し、消印を押してもらう、という行為は、誰かとコミュニケーションを取りたい、という引きこもりの方の深層心理を表している、とも考えられます。
そういうことから、郵便局員の方が自然な感じで、時には優しいと感じられる様子で話しかけてくるなら、引きこもりの方も少しっずつでも声を出して挨拶などをする様になるかも知れません。郵便局の方を拒否する根本的理由がありませんから。
その内、郵便局の常連客も話しかけてくるかも知れません。地元商店街の八百屋などの気の良いおばあさんなど、こういう感じの方は人懐っこい感じがしますしね。
運良く、この様に話が進めば、そうこうしている内に、おばあさんの八百屋に買い物に行ったりできるようになるかも知れません。
うまく行かなかったとしても、社会と一切の関わりを絶って、本当に引きこもって、自室から出るのはトイレの時だけで自宅からは一切出ることは無い、という様な状態で無いので、引きこもりの方自身の社会との関わりは少しは深まることでしょう。一般的に表現すれば、引きこもりの状態は少しは改善するだろう、ということは見込まれるはずです。
それがいつになるかは誰にも分かりませんが。
とても詳しい的確な説明をありがとうございます。私が聞きたかったことをうまくとらえていると思います。この質問文自体、「空想」ですので、実在の人物かどうかはコメントできません。しかしこんなことを想像しました。
・第一回目、説明するときの勇気
・二回目、依頼するときの勇気
・三回目、依頼するときの勇気
彼(彼女)は回答のように、やがて局員さんから話しかけられるでしょう。しかし彼(彼女)はただはにかんでほほえんでいるだけなのです。ここが大切なポイントだと思うのです。局員さんもそのうち、「何か」を理解して、「話しかける」かもしれないし「話しかけないようにする」かもしれません。そのどちらも優しさだと思うのです。
「いらっしゃいませ」「葉書を一枚ください。そしてスタンプを押してください」彼(彼女)は生真面目に毎回同じ台詞をいうでしょう。
局が混んでいたらちいさな椅子に座って待っているかもしれない。そして窓口に行く。
「ごめん、今日はうまく押せなかった。これでいいかな?」そういう日も出てくるでしょう。スタンプを押すのはいくらプロで難しいでしょうから。でも彼(彼女)は、ほほえんでこくりとうなずいて、また歩いて帰っていく。そういう不思議な世界を空想しました。
やがて、一杯になった葉書ホルダーを彼(彼女)は本屋さんなどに買いにいくでしょう。しかし彼(彼女)は決してまとめ買いをしない。判を押したように同じ会社の同じ葉書ホルダーを一冊だけレジに持って行くでしょう。
そしてそのホルダーは彼(彼女)にとっては、ただの葉書入れではなく、「その日この世に存在した証」だと思うのです。最初は一冊が二冊になった日、彼(彼女)は何を思うでしょう。それが数冊になったとき、何を思うでしょう。それは彼(彼女)しかわかりません。
この葉書ホルダーは字のない日記であり、彼(彼女)の存在した証拠なのです。まとまりがありませんが、そういうことを伝えたい質問文でした。ありがとうございました。
その行動自体に意味はないと思いますし、目的もあるわけではないと思いますので、無難に日々が過ぎていくだけだと思います。
そうではないような気もするのです。
この質問で、「期待した」回答に出会いました。彼(彼女)にとって
・外に出る
・郵便局まで歩く
・局員と会話する
これは奇跡的な気の遠くなるような仕事だと思うのです。いつ彼(彼女)に「その日」が来るのでしょう。しかし、「その日」を境に彼(彼女)は変わっていく切符をつかんだことになるでしょう。願わくば、理解ある郵便局で、「何にも聞かない」そういう優しさがあって欲しいと思います。そして、意外とまだまだこの国の郵便局はその優しさが残っているような気がします。ありがとうございました。