Aさんは郵便局員。ある日、小包配送で「午後指定」のものがあったそうです。
(会社宛)。でもAさんはたまたまルート的にその会社を通りかかったので、許可をもらって午前中に配達したそうです。
その後の経緯は不明ですが、そのことが郵便局の副局長の知るところとなり、みんなの前で叱られ、「始末書」を書くように命じられたそうです。Aさんは翌日休んでしまいました。
もちろんAさんに非はあります。そこをかばうつもりはありません。しかし、今の時代、どこか、社会に「ギスギス感」というのか、クルマのハンドルの「遊び」というのか、そういうものがだんだん減ってきているような気がしますが、あなたはどう感じますか。よかったら教えてください。
難しい問題ですが、ルールを破ったAさんは悪かったと思います。たまたま通りかかったとはいえ、“午後指定”なら午後に配達するべきだし、これが許されることになったら、みんなそういうことをするかもしれない。
そうしたら、どこかに支障をきたすこともあると上司は考えてみんなの前で叱ったのでしょう。
ルールは意味のないように思えるものもあるけど、必ずなんらかの理由があってつくられたものだと思います。ルールによって人間の生活の自由さが損なわれているのも事実ですが、ルールを守ることによって、組織を円滑に回していくことも大切だと思います。
ですが、Aさんを見せしめのようにみんなの前で叱り、始末書まで書かせた上司は少し人間力が欠如しているように思えます。
この場合、expack-500さんの言うように陰でひっそり注意をする程度でよかったと思います。Aさんの立場や気持ちを全く考えていない行動は思いやりに欠けます。
Aさんをかばっても仕方ないのかもしれませんが、お客さんの許可をもらったのにそれで怒られるのはあんまりです。
その件でクレームが来て怒られるというならならわかりますが、始末書まで書かせなくてもいいと思います。
上司の心のゆとりがないのかもしれません。
しかし世の中理不尽なことはいっぱいありますね。
もうちょっと楽しく生きたいものです。
私も父とおなじような会話をしました。
せめて小部屋なりみんなのいないところに呼んで、「君のやったことは理解できるけれど、民営化とかもあるから決まりは決まりでこれから守ってくれよ」くらいな対応で十分だと思います。
なんのためにこの上司は始末書を書かせるのでしょう。自分の「権威付け」のためでしょうか。なんだかAさんのくやしさ(Aさんが正しいわけではないのですが)が何となく伝わりました。
今の郵便局は民営化を前に非常にピリピリしているそうです。派出所と郵便局くらいのんびりしててもいいような気がします。ありがとうございました。
私はAさんが悪いと思います。プロとしての自覚が足らない。
自分のお客さんだけではなく、周りをも含めた影響をもっと考えた方がよかったのでは?
副局長も辛い思いをしながら見せしめをしなければならなかったのかも知れない。さらにAさんは翌日休んでしまった事でもっと痛い思いをしているかも知れない。
なるほど。こうしていろんな考えが聞けるのが「はてな」の魅力だと思います。たしかに「プロ」に甘えは許されない、そういうことも回答を読んで気がつきました。
ものごとのいろいろな面を知ることができうれしく思います。ありがとうございました。
午後指定は受取人の希望ではなくて、送り主の希望の可能性もあるわけですから、
受取人に了解を取って配達したとしても、問題なのではないでしょうか。
それに、「うちにも配達する前に電話連絡してくれ」とか言い出す客もいるわけで、客によって対応を変えるのは元国営としてはダメなのではないですかね。
なるほど。そういうふうにも取れますね。
よく伝わります。ありがとうございました。
難しい問題ですが、ルールを破ったAさんは悪かったと思います。たまたま通りかかったとはいえ、“午後指定”なら午後に配達するべきだし、これが許されることになったら、みんなそういうことをするかもしれない。
そうしたら、どこかに支障をきたすこともあると上司は考えてみんなの前で叱ったのでしょう。
ルールは意味のないように思えるものもあるけど、必ずなんらかの理由があってつくられたものだと思います。ルールによって人間の生活の自由さが損なわれているのも事実ですが、ルールを守ることによって、組織を円滑に回していくことも大切だと思います。
ですが、Aさんを見せしめのようにみんなの前で叱り、始末書まで書かせた上司は少し人間力が欠如しているように思えます。
この場合、expack-500さんの言うように陰でひっそり注意をする程度でよかったと思います。Aさんの立場や気持ちを全く考えていない行動は思いやりに欠けます。
「人間力」父と話していて出てこなかった、もやもやした言葉はこれです。「人間性」ではないな、と思っていたので。理路整然とした回答ありがとうございました。
このケースの場合、Aさんも上司も、自分のことしか見えてないですよね。視野がとっても狭いんです。だから臨機応変と言うことが出来なくなる。結果、マニュアルから外れたことは全てダメという社会を作ってしまうんです。
まずAさんの場合、潤いのある社会作りという観点から考えれば、この受取人さんはどういう理由で午後指定にしたのかな、ということを「思いやる」ことが必要でした。
そしてAさんの上司も自分の立場ばかり考えずに、ここは大きく今公社に求められている社会責任の達成と、明るい職場作りの両面にこの教訓を生かすにはどうすればいいかと考えるべきでした。
君一人の責任を追及しているワケじゃない。こういう失敗は誰にでも起きる可能性がある。だから今回のことは、みんなの教訓として残していかないといけない。みんなに共通する出来事の締めくくりとして、みんなを代表して始末書を書いてくれよと。そういう一言があれば、随分違ってきたはずです。
今の社会の「ギスギス感」は、みんな「自分のこと」しか考えていないところから来ているものだと思います。ちょっと視点を変えて、視野を広く持って、自分の都合の前に他者に対する思いやりを優先していける考え方が定着してくれば、色んなことが変わってくると思います。
視野が狭いから、予め用意されたプログラムによる自動運転しか出来なくなるんです。だから、がんじがらめなんです。みんながお互い他人の心や都合を第一にしあうようになってくれば、もっと自由に、みんなが自分の判断で動いていける社会が作れます。そういうことなのだろうと思います。
さすがです。
父と話していて、思いつかなかった発想です。
「自分のことしかみえていない」これは私のなかのこれからのキーワードのひとつになりそうです。それくらいすばらしい回答でした。
またはてなでお見かけするようになり、大変心強く思っています。これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。
本来、全ての決まりごとは、それに関わるみんなのためのものであるはずです。
その本質を忘れ、逆にみんなが決まりごとに縛られるようになると、そこに違和感を感じるようになるのではないでしょうか。
特定の顧客のためにみんなのための決まりごとを軽んじることは、その本質に反する行為なのだと思います。
そこのところはAさんは責めを受けるべきところだと思います。
しかしながら、質問文を見たところ、郵便局内においてはその本質のところが局員に周知されていなかったんじゃないかなと推測されます。
であるとするならば、Aさんに始末書を提出させるというのは正しい対処であるとは思えません。
なぜなら、Aさんはたまたま問題を顕在化させただけであって、本質的な原因はAさんにあるとは言えないのですから。
そういう意味では、副所長自身も始末書を提出させるという決まりごとの本質的なところを理解していないのだ、ということが見て取れますね。
この郵便局ではギスギスした雰囲気の中、今後も同じような失敗が繰り返されることになるでしょうね。
なんだかこの郵便局に限ってのことかもしれませんし、この副局長に限ってのことかもしれませんが、ずいぶん、ギスギスし、多数の局員(ゆうメイトを含む)が去っていったそうです。ありがとうございました。
家も民間の宅配会社が設定した時間外に持ってきたことがありますが・・・決められた時間に持ってきた方が当たり前ですが始末書まで書かせるのはどうかと・・・
たぶん民営化を目前にして独特の空気があるのだと思います。ありがとうございました。
「Aさんはたまたまルート的にその会社を通りかかったので、許可をもらって午前中に配達」した事がルール違反だと認識されたのは明らかです。
お客様から許可を受けたとは言え、あくまでAさんの「個人的な自己都合による業務内容の無断変更」である上役が理解するのは、ある意味当然だと思います。
先の回答で指摘されている通り、到着時刻は受取側が気にしなくても、発送側が気にする場合は有ると思います。例えば、「何日の午後に発売開始する商品」などというものである可能性もあるわけです。商品の内容や受取・発送側の両方のお客様の御都合を詳しく知る立場に無い一配達員である以上、配達時刻を指定通りに行う場合は一旦、集配拠点の責任者の許可を受けるべきであったと言わざるを得ません。
Aさんは二重のミスを犯した訳ですね。
個人的自己都合と無断。
この二つにより、本来業務を怠った。
本人は気付かないかも知れませんが、組織運営の視点から見ると大きなミスです。
始末書を取らされるのは当然です。
事務系職場でもオフィス内で怒鳴りつけられるなんてことは多々起こります。肉体労働系職場なら尚更です。副局長が他の職員の面前でAさんを叱り付けるのも仕方の無いことだと思われます。
そして、Aさんが翌日欠勤したのは、Aさんがミスを犯した事を知る職場の人達の殆どから、副局長から叱られたり、始末書提出を命じられたことが原因である、と思われることでしょう。
副局長の人柄の評判が悪い時など、一部からは同情もあるかも知れません。
でも、常識的には「欠勤して何してんだ?」と思われるはずです。
つまり、Aさんは無責任だと評されることになります。
但し、副局長の叱り方によっては、Aさんが自分の行為が重大なミスであることを理解できなかったり、必要以上に人格を侮辱されたりした、というケースもあります。こういった場合には、叱られた現場を目撃した人達からAさんが悪い評価を受けることは少なくなるでしょう。
質問文中のAさんにまつわる状況についての私の考えはこんな感じになりました。前提条件に曖昧さがあるので、想像たっぷりで書きましたので、完全な解でない事はお含みおきください。
非常に曖昧な夕食時の父との会話にここまで詳しく考えてくださり、感謝します。
Aさんを知っています。(我が家担当の人でよく重い荷物を運んでくれます)だから父との間で情が入った会話になりました。
冷静に「職務」ということを考えていくと、この回答も十分理解できます。ありがとうございました。
難問ですね。細かいことまで徹底的にこだわるといい製品とかサービスとかが出てくると思います。但し、あんまり徹底しすぎると、それを真面目に実行しなければならない人達が出てきます。過剰反応とかがあったりして、ギスギスした雰囲気、またそれによるストレスなんかも感じるのではないでしょうか。寛容さを求めるとそれが怠慢につながり、単に製品、サービスなどの品質低下だけでなく、例えば「ゆとり教育」をみて見ると成功なのか失敗なのかまだ答えが出ていないと思います。
「鉄は熱いうちに打て」「大器晩成」どちら正解だと思われますか。
この郵便局の場合ですが、郵政民営化と関連するのではないでしょうか?
Aさんがどのような立場の人か分からないですが、仮に配達担当とすれば定められたマニュアルどおりに配達するのが役割だと思います。か。
Aさんがこれは午前中に配達しても良いと思ったのであれば、まず通常どおり配達し、その後職場に提案(そういうものが郵便局にあるのかどうかは知りません)して業務を改善するというのが一般的なあり方ではないでしょうか。
少なくとも、KAIZENは多分世界標準だと思います。
ただ、改善、かいぜん、カイゼン、kaizen,
KAIZENと、はてしなく続くのはしんどいですよね。
たまには、目をつぶるとか、あっても良いかもしれません。
でも郵便は国家の基盤業務だと思います。警察とか消防署とか「海猿」とか、目をつぶることが許されない業務もありますよね。
いっそのこと時間指定は特別料金にしたらいかがでしょうか。
これなら民営化された郵便局の新しいサービスとして、堂々と皆の前で叱ってもいいんじゃないでしょうか。
たしかに「クロネコヤマト」ですけど、午前についちゃいました、と、「郵便局」では重みが違いますね。(やがて民営化でNTTのように軽くなってしまうのかもしれませんが・・)。
改善の大切さとしんどさを感じます。
ま、いいか、それがだめなんだ、
私はどう考えているのか、私も答えが出ないでいなす。ありがとうございました。
質問の例は郵便局全体ではなく、たまたまその上司が融通の利かないダメ上司だっただけだと思います。
配達の時間指定というのは「この時間なら家にいるから届けて欲しい」という希望であり、「この時間に届けないで欲しい」という希望ではありません。
午後指定だったとしても午前中に持ってきても良いのです。もちろんいなかった場合に午後にも持ってくる必要はあります。
宅配会社ではそんなの当たり前です。
もし時間外に持ってきて欲しくないなら郵便局留めにするのが普通です。
自宅を指定した以上、持って行って怒られるなんてことは考えられません。
なるほど、「ゆるやかな」それでいて的を射た回答だと思います。やはりこの上司の対応に問題あり、と父と話したことを思い出しました。ありがとうございました。
「人間力」父と話していて出てこなかった、もやもやした言葉はこれです。「人間性」ではないな、と思っていたので。理路整然とした回答ありがとうございました。