道端にある地蔵。と限定するならば、
「道祖神」と呼ばれる、村落の入り口や、辻に住民や旅人の手によって作られた守り神と思います。子孫繁栄、あるいは交通安全の神、子宝、村の平和 などのシンボルとして信仰されていたものです。
道祖神は、様々な形があるようですが、その1つに「地蔵信仰」と結びついたものがある。といわれています。
http://kaboco.hp.infoseek.co.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A...
この手のものは、あまり著名な人が建立していないようで、
だれが、といわれれば「その土地の人や、そこを通った旅人」となるみたい。
いくらかかるか?は、当時の値段は不明ですが、
現代でつくろうとすると、30000円~というところでしょうか?
http://www8.ocn.ne.jp/~jizou/shouhin.html
当時は、裕福でない一般の労働者がつくったものですから、
そんなに高いものでないとおもいます。
裕福で、きちんとした職能者につくらせる、
木仏像や、金銀の飾りがある著名な仏像に比べもっとカジュアルな
位置づけのものだったのでしょうね。
諸説ありますが、私としては以下の説が最もだと思っています。
地蔵は、江戸時代に道祖神(賽の神)信仰と結びついたため道端に祀られるようになりました。
祀られている場所は事故や行き倒れ等の不幸があった場所が多く、死者を供養したり行路安全を願うためです。これは道端の観音さまとまったく同じで、供養する霊の戒名が刻まれていることもあります。
また、子育ての願いを込めて祀られているところもあります。これは梵名に子育てを連想させる意味があるからで、子供の形をしているのはこのためです。
ウィキペディア解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A...
所有者は、基本的にその土地の所有者と一緒です。
その場所は、私有地であったり、国公有地であったり、いろいろです。
昔は、特に許可は必要なかったのではないでしょうか、村人の総意でおかれたものもあるでしょうし、個人がおいたものもあると思います。信仰の篤い時代ですから、誰かが勝手においたとしてもそのまま村の地蔵様として大切にされていたと思います。
現在では、人の土地や公道に勝手に置くことは出来ません。勝手においたら、遺失物として処理されてしまう可能性がありますね。
お地蔵様を作るのは、今は、基本的に石材店です。
昔は、自分で作った人もいるかもしれません。
価格は、大きさによって、数千円から100万円以上するものまでいろいろです。
(45センチメートル前後の石像で5~7万円ぐらいとの情報もあるが、石の種類によっても価格が違うので、いろいろです。
私の家の場合は、お地蔵様ではなく大きな「石」(直径0.8m・高さ0.5mぐらい)が道(交差点)に面した角にあるのですが、一応、これもお地蔵様(交通安全?)のような意味があるらしいです。祖父が亡くなり、その土地を両親が相続した際には、住む人間がいなくなったので更地にして駐車場にしたのですが、その時にもこの石を丁重に扱い残されました。
この場合ですが、この石のある土地は、私の家の土地に含まれています。ただし、この石を移動しようとすれば、近隣の方々や近くのお寺のご意見とかを聞かなくてはならず、そしておそらく許可はおりないので結局、動かせないものらしいです。土地に根付いた共有物なんですね。それをお守りできる名誉をもらっていると考えるようです。
この石の詳しい由来は、今となってはよくわからないのですが、お金はかかってないようです。大昔に土地を整備したときに出てきたとか、そんな話を聞いた覚えがありますが。
http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=419
URLの石ほど立派ではありませんが、こんな感じです。
コメント(3件)
一件開けて終了しましたね…。
残る回答にもうちょっと正確なのがあるかなと思って待っていたのですが、
一応ここに書きます。
まず
「道祖神」と「お地蔵さん」とは全然全く別のモノです。どうすれば混同できるかすらわかりません。道ばたにある宗教アイテムという以外何の共通点もないですよ。
「道祖神」は古事記のイザナギイザナミのものがたりを起源に持つ、「神様」系のブツです。神道というか、もっと古い、土着信仰がベースだと思います。
地蔵菩薩は間違いなく仏教起源ですからまったく別のものですよ。
誰がなぜ作ったか、
その土地土地の色んなヒトがです。お地蔵さんの数だけ理由はあるはずです。
土地は誰のモノか、ですが、
例えば「南総里見八犬伝」に(これは思われているような荒唐無稽なファンタジーではなく、かなりリアルに考証された「戦国歴史ノンフィクション」なのですが)、
戦で死んだ武将をやむなく敵の土地に葬るために、出家した家来がとある道ばたの土地を買い求めて死骸を埋め、上に小さいお堂を建てて地蔵菩薩を祀った、という描写があります。
この場合、土地はお堂の建立者のものですが、本人がそのうち死んでしまって遺族がいない場合、
上にお地蔵さんがあるから壊すわけにもいかず、土地は村の共有物となり、お地蔵さんのめんどうもみんなで見るのが普通だろうと思います。
また、行き倒れた母子を祀るために村人がお金を出し合ってお堂を造った、というエピソードもあります。この場合ははじめから、土地もお堂も村の共有物です。
お堂が古くなったらお金を集めて立て替えたりもしたのです。
というわけで、昔様々な理由で作られたであろうお地蔵さんですが、現代では土地は多くの場合、村の共有管理を経て、市町村のものになっていると思います。
田舎の田圃の脇のお地蔵さんなどだと、代々どこかの家の所有、というのがまだ残っているかもしれません。
許可を得て?については、そういうわけで昔は個人や村が建立したものが多いと思うので許可は必要なかったはずです。
ねだんはいくらか?
建設費でしょうか、「アリモノ」を個人で所有したいから買うとして、そのおねだんでしょうか?ちょっとわからないのですが、
「作る」費用としては、土地代は別として、お堂の値段だけでもピンキリです。
素材をヒノキにするかそのへんの輸入木材か、合板ですますか、でも数倍の差が出そうです。
屋根を木のままにするか、トタン貼るか、本格的に銅葺きにするか。ちゃんと格子模様のトビラを付けるか、梁回りに彫刻をするかしないか。
お地蔵さん本体を一応「仏師」と呼ばれるひとに発注するのかオミヤゲものみたいのでいいのかとか、
日曜大工でもカタチにはなりそうですが、宮大工を呼んで作ることもできます。
いちがいには言えなさすぎだと思います。
あと、費用で言うと、ブツをそろえるだけではダメで、まず仏像ができたら、お坊さんを呼んで供養してもらうことで初めて「魂」が入り、「仏像」が「仏さま」になります。
これをお堂に安置するときもお坊さんを呼んで供養をします。
どこかの街や村にお堂は置かれるでしょうから、喜捨の意味を込めて地元の福祉施設などに寄付をしたほうがいいかもしれません。
というような費用も必要です。
「アリモノを買う」というお話でしたら、普通は自治体の管理下にあると思いますし、買うのは難しいと思いますが、ムリヤリ買うとして、おねだんは土地代+αだと思いますが、
やはりお坊さんを呼んだり寄付をしたりの費用は必要でしょう。
というかんじだと思います。
地蔵菩薩は六道の辻(生き物は皆、死んだ後、人間道、極楽道、地獄道、餓鬼道、修羅道、畜生道、のどこかに行っては生まれ変わり、輪廻転生を繰り返す、その「六道」の分かれ道)に立って衆生(しゅじょう)を救い、涅槃に導く仏さまです。阿弥陀如来の化身とも言われます。
道ばたにあるのは、道を死後の六道になぞらえて、迷う人間を救ってくれるようにとの願いがこめられていますよ。
道祖神の起源はご指摘のとおりですが、その後民間伝承のなかで両者が結びついていった過程があるようです。
>>「道祖神」と「お地蔵さん」とは全然全く別のモノです。どうすれば混同できるかすらわかりません。
は「道祖神」「地蔵」でグーグル検索すると、いろいろな方の研究や考察がでてまいりますので、それをご参照ください。
http://www.bk1.co.jp/product/850231
諸説あるようなので、答えは1つではないのだと思いますが、
まるで「嘘」を書いてポイントをもらったかのように思われても
困りますので、補足しておきまーす。
http://ameblo.jp/725maruta/entry-10040998334.html
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