それは
どういったプロセスを経てなくなっていくのでしょうか。
ある程度の差別・偏見の解消にあてはまるプロセスを
簡単にお願い致します。
大昔から人種差別や男女差別。特定の病気に対する差別。貧富による差別とたくさんの差別がありましたが、それは少しづつ少なくなっていると考えます。
他人種での結婚や文化の同化などで、人種の境界が薄くなっていきますし、男女の雇用機会均等化や女性の地位向上で男女差別も昔ほどではないでしょう。
それは人間の知識レベルの上昇とともに差別は少なくなっているからだと考えます。
例えば黒人のすぐれば文化を知ることで、優秀な女性を知ることで、ハンセン病がどういう病気かを理解することで、
他者に対する恐怖や誤解を少なくすることができるからです。
そしてより生活が豊かになればなるほど、他人種に仕事を奪われる心配も無くなったり、収入の差を意識することも少なくなり差別は少なくなると考えます。
これから人間はより深い知識を得てより生活が豊かになれば、まったく差別が無くなることはないかもしれませんが、限りなく少なくなって行くと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%8F%E8%A6%8B
人間は、ある対象に対して、その見かけや所属などに関する一部だけの知識、あるいは自己と自己の属する社会、宗教、文化などに特有の価値観を基準としてその対象を判断する傾向があり、その傾向によって生み出される思考が偏見である。日本語の偏見におおむね対応する英語には Bias, Prejudice がある。前者は偏った見方、後者は先入観、予断といった意味が強い。後者は主に批判的な文脈で用いられる。
偏見という言葉は、暗黙の内に偏っていない見方がどこかにあるのであり、偏った見方は不当な差別を招く元凶である、という事を前提としていると考える事も出来るが、多くの場合、この言葉はそのような前提に言及せずに、あるいは無自覚に使われる。普通は、物事に対して他に多くの考慮すべき側面があるにも関わらず特定の見方だけに立って述べられた陳述に対して、偏見という言葉が用いられる。
解決策はあるのか
「私は知らない」という言葉がある(知っていると思い込まずに、「無知の知」)。このような前提、動機付け、態度は人間にとって重要だとも言える。
○○がなされる
→△△が理解される
→次世代への◎◎がスタート
…というような形で、
プロセスだけを簡潔に抽出してもらいたいです。
陳腐かも知れませんが。
交流と相互理解が差別や偏見をなくすと思います。
(「相互理解」というのは、「みんな同じ人間だ」ではなくて、「みんな違ってみんないい」という意味で)
国籍や性別、あるいは職種や世代など、ある集団に対してステレオタイプ的な見方をするところから、差別が始まると考えます。
「ゆとり世代はバカ」
「バブル入社組は無能」
「国内のアジア人は犯罪者かその予備軍」
「ニートは怠けもの」
「女は非論理的」
「イスラム教徒はテロリスト」
……など、個々人を問題にせず、集団をひとくくりにするのが差別です。
そのくくり方が統計的に正しいかどうかは無関係です。
例えば、日本が先進国中最も自殺率が高い、というのは統計的事実ですが、だからといって、外国人から「お前は自殺志願者かその予備軍だ」と思われたのではたまりませんし、明らかな差別です。
そして、相互に交流すれば、
「人生を楽しんでいる日本人もいるんだな」
「頭のいいゆとり世代も多いんだな」
などといったことがわかると思います。
対象の集団が、顔のない集団ではなく、生きた個人として見えてくれば、
「確かに日本には自殺が多いけど、日本人だからって自殺願望があると決めつけるのはおかしいよ」
……と言えるようになるでしょう。
「個人を個人として見ること」
「ステレオタイプの危険性を知ること」
が、根本的な解決策だと思います。
あと、差別の原因って、「自分より下がいる」ってことを知って安心したい、という心理も多分にあると思います。
それを利用しようとした江戸幕府の政策が、現在の部落問題につながるわけですが。
ユダヤ人虐殺が起きたのは、経済的に不安定なドイツでした。
そして今ネオナチに入るのも、経済的に困窮した若者が多いとか。
だから、経済格差とかをなんとかして、「自分より下がいる」と思って自分をなぐさめなくても幸せに暮らせる人を増やす、というのも、遠回りではありますが必要なことなんじゃないでしょうか。
http://www2.ocn.ne.jp/~terminal/discrimination.htm
http://www.nsjap.jp/seimei01.html
交流→相互理解→イメージの変化
→次世代への新イメージ定着…
そのような感じでしょうか。
【部落差別】:社会レベルの問題
生まれた家が部落だからという理由で社会的・精神的差別が存在した。もともとは江戸時代の身分制度に基づく。
→部落開放運動など団体の活動
学校での教育
→部落差別にはまったく根拠が存在しないという理解
時の流れとともに部落差別事体を知らない人の増加
→差別の根絶・風化
【女は非論理的】:個人レベルでの認識上の問題
→理論的な女性の存在を知る
→女性の中には理論的な人も存在するという認識を得る
社会的な問題になる差別とステレオタイプの克服の二つを示しました。
差別の根本は「無知」から来る「恐れ」だと思います。
未知のものを恐れるのは人間の本能でしょう。
それを克服するための手段は「知識」と「理解」と「想像力」
うまくまとめられなくてすみません。
>それを克服するための手段は「知識」と「理解」と「想像力」
同感です。
具体的にはどういったことになるのでしょうか?
法律を作り罰則を設ける。これが現時点では一番有効かと思います。
まず、法律があるため公然での差別・偏見をしなくなります。するとある程度表社会での交流をもつ機会が広がり、有識な理解を持つ人が現れ、その人が結婚し子育てを通してその意識を子供に伝えます。これを繰り返すことによって何世代にもわたって少しずつイメージを変えていきます。
しかしながら、傷口を見て「痛そうだ」とか「気持ち悪いと」思ったり、肌色の違いで「あっ外国人だ」と思った時点でそれは差別や偏見の始まりです。これはある意味で本能的反応で、自分と他人を区別するための大切な意識であるため、人が人である限り根本的に無くすことは不可能だと思います。
>法律を作り罰則を設ける。
ただその法律を作るのに時間がかかるんですよね、
日本だとw
少なくなっていく
プロセスを抽出してほしいんですよね。