森村泰昌さんのような大御所から、まだ名前も知られていない
コンペやAIRS、地道な展覧会活動などで活躍する若手まで、
とにかく現代美術において自画像がどのように表現されているのか知りたいです。
例えば岡本太郎さんのような自分自身をモチーフにすることはなくても、
結果として描かれたものが自分以外の何者でもないというタイプの作家も、
現代美術における自画像の文脈で語っていただけるなら歓迎します。
もちろん映像や音楽、身体表現としての自画像も歓迎します。
美術史の研究状況を考えると、自画像がひとつのジャンルを形成していてもおかしくない気がするのですが、
芸術論にすることが難しい分野なのでしょうか?
作家のサイトや簡単な評価を教えていただけるだけで何かしらお礼をさせて頂きます。
もちろん古今東西を問いません。英文サイトへのリンクも歓迎します。
ベストアンサーには現代美術としての自画像に可能性を見出せる回答を選ばせていただきます。
何卒宜しくお願い致します。
昨年ミヅマアクションで「千の自画像」という個展を開催されていた山本竜基さんがそのものズバリな気がします。いじめの体験やドロドロした感情、自身の肉体とストレートに向き合って表現している数少ない画家なのではないかと思います。
http://mizuma-art.co.jp/_archive/200607_yamamotoryuki_j.html
あとは澤田知子さんが思い浮かびました。森村さんのコンセプトを名画以外の日常的な写真にあてはめただけのようにとらえることもできますが、自身の「顔」がどう見えるかということへのこだわりも見えるので、自画像の範疇で考えることもできるのではないでしょうか。
びっくりしました!
見る側である男性を嫌でも見なければならない状況ができていますね! 私はこれをみてコートをガバってする変質者の欲求て思うのですが、まさかそんな文脈で現代美術作品として制作されているのでしょうかね。自画像の問題って身も蓋もないので、どのような知的ゲームに昇華されているのかとても気になります!
余談ですが、ポーランドってやたら同性愛絡みの話題が多いですよね。クイア理論と自画像の関係はあるのでしょうかね。疑問がどんどん湧いてくるのでどんなことでも回答お待ちしております!
以前、森美術館の「六本木クロッシング」で、
ヘンな折り紙の神棚と神様(ヨーダとかが折ってあった…)が飾ってあって、
その横のモニターで映像が流れていて、
その映像が、
そこに飾ってあるのと同じ神様と神棚を、
町の細い路地を通って、自転車で人に配って回って、
人の家に設置して、じゃあね〜と次の家に行く様子だった…
というのを見たことがあります。
何年も前なのに強烈に印象に残っています。
調べてみたらフジタマさんの「くばるひと」という作品でした。
http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/review/0311_04.html
「かつがれる」ってことは誰にでもある。くばるひとにはかつがれてもいいって気にさせられる。最初からまやかしとわかっているからではなく。信じてみたいという気にさせられるからだ。怪しい衣装をつけて自転車で他人の家を訪問する。そして、世間話に花を咲かせた挙げ句に、笑っちゃうような神棚を配り、神棚を設置完了後その前で神(?)を拝ませてしまう。この作品の続きは、来年2月7日からはじまる『六本木クロッシング展』(森美術館)にてご高覧下さいませ。
別に、自画像としてずっと作品を世に出している方ではないみたいなんですが、
神棚を配って回る自分の映像ってことで、自画像でもいいでしょうか?
すごい!!! 腰が抜けました!
「くばるひと」の描写を聴いて、
なんだそりゃ…?って思ったら… もしやそれは… やっぱり…
ブログの背景画がプラナリア!!!!!!!!!
取り乱してしまいました。フジタマさんは相手のなかに自分の存在を「再生」する作品を制作しているのだと思いました。しかし再生された自分のクローンは相手の中にいるので相手そのもの。ややこしいけれど自分が他人になって、他人になった自分を見つめている状況を映像にしたような… これはイタコみたいな憑霊系のシャーマンが複雑な縁をたぐりよせるのに近い感覚だと思います。彼女が普通に現代美術の作法に則って美術館で展示をすることに奇跡を感じます。ブログにも千利休への言及があるし、現代美術理論は単なる作法と捉え、様々なメディアを単に器のように用いてるのかもしれません。DVD注文しちゃいます!
フジタマさんのように「なんとなく自画像っぽい作品をつくる作家さん」も大募集しております!
初めて知った山本竜基さんにびっくりです!
「引きこもりがちの自分を曝け出し、ある種のナルシスティックな痛みや感動を味わうことで自己を実感し、自身の存在を肯定している」というまさにこんな心情の表現を求めていました! そのうえ『絵力』を信じているところなど同時代人として共感します。ですがネットでさらりと論評を見ると「ニヒリズムがある」程度しかありません。市場価値は高いようですが、現代美術作品としての意義はないのでしょうか? 素晴らしい作品なのに不思議です。
澤田知子さんの作品を初めて見たときは衝撃を受けました! 「わかりやすいアートをつくる」というような彼女のインタビューは読むたびに感動があるので好きです。論じるまでもなく誰にも何かしらのアートな感動がある作品だけに、現代美術がどのように語るのかとても気になります。
これから教えていただいた作家さんの活動を注目していきます!!