1945年8月5日以降の戦争の行方をシュミレーションしてみてください。
もし歴史が違って45年時点で核兵器がなかったとしたら戦争の行方はどうなったと思いますか?
シナリオは楽観的でも悲観的でもかまいせん。できるだけ史実にもとづくようにお願いします。
まず、日本本土の空襲が激しくなり、地上戦が展開されていたでしょうね。
既に消耗しつくしていた日本はゲリラ戦で対抗するも圧倒的な火力の差で、
壊滅寸前になっていたでしょう。帝都東京が陥落するまでは降伏しない
可能性がありますので、戦争は年末まで続き、北方からはソビエト連邦が
怒涛の攻勢で南下してきていたはずです。
当然、当時の満州にいた日本人たちは殆ど虐殺されるか捕虜になり、
日本に帰国できた人などごくわずかの裕福層と政治家くらい。
年末に帝都東京が包囲され、ようやく降伏に至るという結果ではないかと思います。
仮に、ソビエト連邦の南下が早ければ、共産主義への組み込みという選択が出ていたり、
それこそ南北日本分割というような結果があったかもしれませんね??
日本政府は、尚降伏をすることができず、日本列島全都市での地上戦。
といっても弾薬等近代兵器vs竹槍の悲惨な戦闘であり、日本壊滅。
政府関係者なんかはどこぞへ隠れ、難を免れる一方で、天皇はあっさりアメリカの下級兵士に殺されていることでしょう。
責任ある政治家が居たのであれば、遅くとも1944年中には降伏していた筈です。今の年金官僚並の人たちが当時の日本の支配者層に座っていた事は核兵器以上の悲劇だと思います。
アメリカの下級兵士がですか、首都突入の混乱を予想していますか?
それとも松本?
アメリカ軍は、鹿児島、小笠原経由で伊豆半島に上陸、ソ連は、朝鮮半島経由で北部九州上陸、千島経由で北海道上陸すると思います
九州で、米ソ激戦に、北海道を南下し本土へ、新潟からも上陸するだろうから、首都圏の奪い合い逃げ道は無いですね、当時の国力からすれば、スターリングラードのような、激戦に、植民地再支配のために、フランス・イギリスの極東軍が編成されて、オーストラリア軍も加わり、数百万の兵力が、激突するでしょう もしかすると、北海道は共産主義になっていたかも
もし原爆が無かったら・・・
日本が8月15日に降伏することはなかったでしょう。
その結果、日本はアメリカだけでなく、直前に日ソ不可侵条約を破って参戦してきたソ連も相手にしていたことでしょう。その結果、日本本土で日米・日ソ・米ソの争いが始まったことでしょう。 当時の日本の戦力からすると、どちらにも敵わないことは明白で敗戦国になってしまうことは変わらなかったでしょうが、日本で行われた米ソの争いにより、北から侵略してきたソ連と、南のアメリカにより日本列島が南北に分裂していたことでしょう。
原爆がなかったら、日本も朝鮮半島と同じ運命をたどっていたのかもしれません。
天皇は7月上旬の時点で、降伏の意思を示す文書を、何度もアメリカ政府に送って、かつ、無視され続けています。(近年、公開されたアメリカ政府の資料による)
つまり原爆投下は、降伏を促す目的ではなく、別の目的で落とされたものです。
共産圏への武力による牽制8割、実戦に置ける人体実験2割(威力の検証、パイロットへの被害、投下後にアメリカ兵が日本入りし、建物や人間への被害状況を検証しています。)
アメリカ(というより、トルーマン)はどうあがいても、日本に降伏させたくない、降伏されては困るという立場上、目的を果たすまで、降伏を認めることはないでしょう。
日本政府は、国連など、さらに大きな舞台へ降伏を申し出ようとするでしょうが、成功する見込みは薄い。
原爆投下を指示したトルーマン大統領は、
ルーズベルト大統領の死を経て、選挙なしに、急遽、副大統領から大統領へ昇格した大統領で、国内でも、日系人への拷問、赤狩り(政敵を共産主義者と決めつけ刑務所送りにする)、原爆を開発したユダヤ系科学者の排除等、人種差別、人権的に問題のある人物、とされています。(原爆を除くと、その行動はアメリカ国内でも評判が悪い)
そのため、アメリカでも「特に問題のあった時期である」と言え、アイゼンハワーや、近年で言えばクリントンなど、別の人間が大統領になれば、原爆投下は避けられた。
では、投下が無かった場合のシナリオはどうであるか、
1.共産圏への牽制のため、地上戦が行われる。
2.早期に植民地化し、朝鮮戦争への足場にする。
3.水爆の人体実験のために使う。あるいはより悲惨な行動をとる。
3は、トルーマン在任中には完成しなかったのでない。アメリカ議会が、議会を無視したトルーマンの行動を、これ以上容認することができるだろうか?
2は、従順な日本人の国民性を理解しているので、可能性は高い。
1は、ソ連が日本への進攻がどの程度であったかによる、南下の速度が速ければ本土戦。遅ければ日朝間や、朝鮮内での戦争になる。パワーバランスからすると、日朝戦より向こう側ではないでしょうか?(ここは推測)
ですので、対ソ連用の太平洋母艦として利用されるが7,8割。(被害としては原爆投下よりは減るが、アメリカの母艦としてソ連に狙われる)
アメリカの戦力ダウンや、戦略ミスが続けば、本土戦2,3割。(被災としては原爆投下よりは減るか、変わらない)
こんな感じで、
いくつか疑問があります。
国連は戦後創設されていますのでありえません。国際連盟だとしてもソ連の冬戦争がきっかけで機能停止しています。
[天皇は7月上旬の時点で、降伏の意思を示す文書]
これは本当でしょうか?初耳です。
その資料の存在を伝えるニュースなり、資料そのものなり、ネット上でありましたら教えてください。
トルーマン大統領についてはen.wikipediaを斜め読みしましたが、米国内でまで評判が悪いとまではいえないような。
もし追記がありましたらコメント欄にでもお願いします。
原爆が投下されなかったとして、第二次世界大戦には大きな影響を与えなかったものの、その後、例えば朝鮮戦争で初めて原爆が使用されてなど現在の国際地図は大きく変わっていたでしょうね。
第二次世界大戦に大きく影響を与えなかったという説には大きな根拠があります。原爆が投下されなかったとしても、ソ連が参戦してきた時点で、日本は無条件降伏したことは間違いありません。
http://www.okazaki-inst.jp/johokanvoice.html
元々真珠湾攻撃を機とした開戦もアメリカに積極的に攻め込むというものではなく、ある程度叩いて米国民の厭戦気分によって戦争を終結してしまおうというむしろ身勝手な考えによるものでした。
ところがミッドウェーで徹底的に叩かれたのは日本の方で、有利に和平交渉を進めることができなくなってしまいました。で、沖縄に上陸されてしまうのですが、この時点で日本は3つの選択肢が残っていると考えていました。
1番目は本土決戦で多くの米兵を死に追いやり米軍の厭戦気分を生み、少しでも和平交渉を有利に進めたいといった考えでこれは一部の軍属に限定されました。2番目はソ連に和平を仲介してもらおうという考えです。既にヤルタ会談でソ連は参戦を決意していたのにです。そして3番目が降伏です。
ソ連が参戦してきたことから、ソ連に仲介を依頼してという考えだった政治家達も降伏に意見がまとまってしまったんですね。天皇陛下も東京大空襲で敗戦を決意していますよ。広島や長崎の惨状以上に自分の目でご覧になられていますからね。
むしろソ連についていえば参戦は予定通りとして、原爆の投下で進攻を早めさせたとも言えます。敗戦を決定付けたと考えさせましたからね。
むしろ朝鮮戦争で米軍に原爆の使用を躊躇させたりしたのは日本に原爆を投下してその効果を米軍が知ってしまったからでしょう。もし日本に原爆が投下されておらず、朝鮮戦争で原爆が使用されていたとしたら、ソ連も米軍に原爆を使用していたことと考えます。
この質問を機会に文献に当たりましたが、
「木戸日記」によると、天皇は原爆のことよりも8/9にソ連の対日宣戦布告のほうがショックが大きかったようだとかかれてますね。その日のうちに御前会議を開催していますし。
朝鮮戦争で原爆を使用するかの判断に影響したことは十分考えられますね。
ポツダム宣言の受諾は少し遅れたかもしれませんが,ほとんど結果は変わらないと思いますよ。6月前半に戦争の継続が困難であるとの報告が御前会議でなされ,6/22には天皇から時局の収拾が指示されているので,後はタイミングの問題に過ぎないです。原爆の投下如何に関わらずソ連は参戦したでしょうから,そのタイミングでポツダム宣言を受諾して終戦となったはずです。
6/8に御前会議(御前最高戦争指導会議第二回)が開催され、
議題は「今後採るべき戦争指導の基本大綱」でしたが、
本土決戦とソ連の参戦を防止するためのイケイケの議論だったそうです。
6/22は御前における懇親会議が開かれていますが、天皇親書を持った特使をソ連に派遣するのが決まったのは7/10ですね。
どうにかして本土侵攻を避けられる要素は無いかと考えてみたのですが、どうにも難しいですね。ヤルタ秘密協定によるソ連の参戦の決定。それにも関わらずポツダム宣言の時期までソ連の仲介の講和を期待していたわけですから・・・。
アメリカ軍としても、ダウンフォール作戦は作戦承認、そしてマッカーサーに対し作戦準備指令が下る段階まできていたわけです。
ただ、もう少し大きな視点から、米軍の立場を考えてみました。
既に戦後世界を見据えて、主導権争いが始まっているわけですね。
戦争の終わりが見えているわけですから、日本を屈服させればおしまい、というわけではないでしょう。多少の領土がソ連側に取られてしまっても、日本の主要部をアメリカが主導する側に取り込めればベターかと。
そこでアメリカが描く(調子良すぎる)シナリオ。
1945年7月までにソ連の侵攻を日本にリーク(例えばアレン・ダレスなどの講和工作チャネルを使います)。日本の敵愾心や数少ない軍備をソ連に向かせる。
同時に積極的な講和条件の緩和によって和平交渉を進捗させると同時に本土侵攻準備も怠り無く、硬軟両面で進める。
8/8、ソ連軍満州侵攻、8/18千島半島侵攻。占守島の戦い(→これらは史実)
その後、北海道への上陸は、ソ連は大規模船団の準備に時間がかかるのと、真冬になる前ということで、10月頃実施を想定。(前述したように、海軍輸送力に不安が残るため、他の地域への上陸は無いと思われます)
1945年から46年にかけて、北海道北東部にかけて激戦がくりひろげられますが、沖縄と違ってソ連陸軍の得意な平野部が広がるために徐々に日本軍は押されるでしょう。
転じて日本国内における講和の障害は軍の強硬派ですが、本土作戦の為に各地に将校が分散されたのと、北海道での絶望的な戦況が伝わるにつれて、徐々に和平に傾きます。
そこで天皇による聖断がおりて、英米蘭といった国との講和が結ばれ(史実の無条件降伏よりノ若干緩和されています)、かろうじて英米軍による本土侵攻作戦は回避されます。
そして今度はアメリカの後押しによって、ソ連南下との戦いに全力を向けるわけですが、結果的に北海道の大部分か、全域は占領されるでしょう。
こうして、北海道には傀儡国家(日本人民共和国とでも呼ばれるか)が建てられ、本州以南との分割状態が長く続くことでしょう。
すいません。これはオリジナルではなく、ある仮想戦記小説からアイデア得たものです。要は、原爆の代わりにソ連による北海道侵攻が終戦のきっかけになったと解釈したわけです。そこをアメリカが自国の傷少なくうまく利用するかなと。
余談ながら、昔、たしか10代の頃に檜山良昭『日本本土決戦』というif小説を読んで、衝撃を受けたことがあります。
こちらはマンハッタン計画の実験失敗によって、原爆開発が遅れ、九州および関東への上陸作戦計画が行われたという想定でした。
制空・制海権を持たない絶望的な状況では日本軍・民に膨大な死傷者を出しますが、米軍の方も着実に占領地域を広げつつも、死に物狂いでの抵抗の前に相当な被害数を出します。(早い時期に行われたベトナム戦争のイメージです)
最悪、焦土と化す泥沼の戦いに発展したとしても、どこかで落とし所を決めるとは思うのですが。
ありがとうございます。回答に大変感心させられましてじっくり読ませていただきました。
ここでアレンダレスの名前が出てくるとは驚きました。調べてみましたら彼はすでに戦時中スイスで色々やってたんですね。勉強になります。
早期講和の可能性をまず考えるとすると、「ソ連参戦情報」は米国側からのリークだと信用がないので、スウェーデン辺りで工作を進めてたら可能性はあったかもしれませんね。可能性は限りなく低いですが。
戦略で考えると、日本軍の北への戦力分散のためのリークとしてソ連参戦情報を活用し、南からの進出を進めやすくしたでしょう。
1945年の冬で北海道の戦いは可能性が高いですね。ジューコフが北海道に来たら泣けますね。
既に秋に連合軍が九州侵攻の予定ですし、ポーランド問題に始まる冷戦の兆しが現れてきているので日本の主要部分を早めに西側国家の占領下に置きたいと考えて米による冬に関東平野への上陸などもありそうです。
ソ連抜きでの講和は欧州の状況との整合性から少し難しいようです。しかし共産革命の連鎖は当時最も恐れられていることでしたし、日本が共産化すればどこまでドミノ倒しが進むか検討もつかないと思いますから、国体護持を認める密約付きで早めの降伏が認められるという可能性もありえますね。
机上の空論ですが、こうしてみると悲惨な結果であったことには変わりないですね。
頭の中が混乱気味ですが、今までの回答を総合してみると、8/5の時点で原爆がなくともpoint of no returnを通過してしまっていたのは確かなようですね。
原爆のこと以外にもたくさん問い直さないといけないことがあるようです。回答ありがとうございました。
回答ありがとうございます。
沖縄戦が6/23終結、九州侵攻のオリンピック作戦が1945/11予定ですが、ソ連参戦が原爆の影響でないとしたら年末に本州・東京の可能性もありえますね。(ヤルタ会談でドイツ幸福後3ヶ月以内という密約があったそうですが)
以下の回答者の皆様方もですが、できればイベントの起こりうる時期を明記していただけると嬉しいです。