一般的にいって、企業がわれわれの社会生活を維持発展させていくうえにおいて、いろいろな資源をうまく結合させてより効用の高いものをつくりだす、すなわち財・サービスの生産機能をつかさどっているということに対しては誰も異論をはさむ者はいないであろう。ここからわれわれの周りにある生産要素、すなわち経営資源を調達しそれをうまく調整しながらよりよい物財ないしサービスに転換する技術的単位として企業を考える立場が存在する。インプット面とアウトプット面の生産関係を重視し、その間のプロセスには関心を払わない生産関数としての企業の考え方であり、新古典派経済学をはじめその考え方を遵守し法律体系の理論化をはかった商法学や、これらの影響を受けた会計学の分野にはこうした立場にたった考え方が多くみられる。
情報収集処理能力、計算能力の限界を考慮しない客観的合理性(objectiverationality)と誰が見ても納得ゆく自利心(self-interest)という2つの概念が暗黙に含意されている。したがって、各生産要素をその必要な時に必要な量を適切な価格で各要素市場から即時に、何らの取引コストを発生させることなく調達することができる。また、こうして各生産要素を適宜結合してできあがった成果を適宜販売市場を通して円滑に販売することができ、そこには何らの経済的な摩擦も生じないと考えられているのである。伝統的な新古典派経済学における企業概念は、こうした各生産要素の集合体として企業を把握しているのがその特徴である。
回答者 | 回答 | 受取 | ベストアンサー | 回答時間 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
796回 | 721回 | 10回 | 2007-07-19 06:48:37 |
日本語を理解してください。