①翻訳業は不要になりますか?
②仕事で語学を取得することは意味がなくなりますか?
(②については私の意見ではもし機械ができても、機械を通してコミュニケーションをするのではコミュニケーション効率が悪い、細かいニュアンスまでの正確性にも問題があるので、語学取得の必要性はあると思うのですが?)
①翻訳業は不要になりますか?
->「翻訳する機械」ですが今の技術レベルでは、たぶん
まだまだだと思う。ネットの自動翻訳ページより
少し上程度と思う。当分は不要にならない
②仕事で語学を取得することは意味がなくなりますか?
->語学って、結局のところ相手の文化・習慣とかしらないと
使い物にならないので、意味はなくならない。
映画の字幕や吹き替えと同じ。
【我が翻訳業は永遠に不滅です】
どんなに発達しても、最後の最後のツメができるとは到底思えません。もしできるとしたら、それは機械が人間とまったく同じように思考ができるときだと思います。
つまり、相手の目を見て、息遣いを感じ、相手の出身地を考慮し、経験を積み重ねる・・・・・そういうことすべてを機械ができるのなら翻訳業・通訳業はいりませんね。
しかしながら当面はそんな世界こないでしょう。
「言葉 → 言葉」という作業の「→」の部分というのは、一瞬ですが文字や音声でははかることのできないドロドロの生素材に溶けたものが存在します。
そして当然ながら出来上がった「言葉」を A さんが読んでも / 聞いても B さんが 読んでも / 聞いても違った何かのドロドロの生素材がそれぞれの人物の中に芽生えるでしょう。
本来、私たちが見ているものや感じているものはカタチのないドロドロなものです。それを他人と (そして自分自身と) 共有するために言葉という区切りの線を使うのだと思います。
言葉とはそうした生素材の一時的な仮の姿です。それを生成する側も受信する側も、人間の心を以ってして言葉を処理するのだと思います。
機械が 完璧に人間の代わりになるならば 翻訳者は 不要です。
相手と向かい合い、マイクを持って話し、そばにあるスピーカーから
翻訳されて出てきたら、機械を通しているという感じは しないでしょう。
機械の翻訳に不備があるならば、翻訳者が必要になると思います。
翻訳や仕事の専門分野はなかなか機械に置き換わらないでしょう。ハードルが高そうです。
でも、日常会話程度なら不自由なくできるのが研究所レベルならすでにあります。
携帯の一機能として搭載されれば海外旅行くらいなら使えそうです。
4ヶ国語(日英中韓)自動翻訳は実用化寸前まできている。
よほど高度な専門知識以外はすべて置き換わります。
大学の英文科、英語学科以外のいわゆる英会話は消えてなくなります。断言。
5年後には知られるようになるはずです。
>根拠となるHPはありますか?
軽く調べましたが見つかりませんでした。別に私だけの持論って程のものでもないと思うんですが。
とにかく思いつくままに書きます。読みづらいかもしれません。
NHKの「ことばおじさん」という番組(番組名だったかな?)があるのを知っていますか?その番組でこの前、「ちょっと一杯」は何分か?というアンケートをやっていて面白かったです。答える人によって「ちょっと一杯」の長さは結構違うようなんです。結果が気になる場合はNHKのホームページで確認してください。
さて、「ちょっと一杯」が人によって違うのはアンケートをとらなくてもすぐに分りますよね。じゃぁ「小雨」ってどのくらいの雨でしょう?1分間に何ミリリットルでしょうか?あと「霧雨」、「五月雨」、「時雨」なんかはどうでしょう?それに、これらを英語にするとどうなるのでしょう?
日本には雨に関する言葉が多すぎですね。ちなみにタイのあたりではタコとイカの区別はないそうですよ。不思議ですね。私たちはタコを見ればタコ、イカを見ればイカって思うんですが、タイの人は区別ができないなんて不自由しそうですね。
それから「エッチな色」って何色でしょうか?ピンクでしょうか?それとも違う色でしょうか?外国の人はどう感じるのでしょう。
ちょっと思い出しましたが、「火垂の墓」という映画がありましたね。あれのWikipedia英語版を読んでいたら、日本版にはない補足的なセクションがありました。日本人がホタルにいだくはかなさや、魂のイメージについて解説するセクションです。日本語版のWikipediaにはありません。外国人がホタルにいだくイメージはどのようなものなのでしょうか。
もし明日から急に、言葉がなくなったらどうなるのでしょうか?タコとイカの区別はなくなるのでしょうか?五月雨も時雨も同じになるのでしょうか?雨も雪も同じになるのでしょうか?雪も氷も同じになるのでしょうか?それとも、同じになったことすら分らないのでしょうか?
雪と氷を分けて説明しなきゃいけないとしたらどうすればよいのでしょうか?五月雨と時雨を分けて説明しなければいけないとしたらどうすればよいでしょうか?
区切る必要があれば区切ります。区切るというのは言葉が生まれるということ。
区切る必要がなければ区切りません。区切らないというのは言葉がないということ。
つまり、区別して考えなければいけないものには区別する言葉が生まれるということです。区別しなくてもいいもの、つまりどうでもいいもの、関係ないものには専用の言葉が割り当てられません。
こうして見ていくと、言葉の区切り方には、文化や生活や考え方が大きく係わっていることが分りませんか?お米を作って暮らしている人々は雨に関する言葉がたくさんあります。ヤギを飼って暮らしている人々はヤギの年齢によって専用の言葉がたくさんあります。「ある人」と言うときに女性か男性かを明確にあらわす言語もあります。「私は木を見た」というときに、その木が1本なのか2本以上なのかを明確にしなければいけない言語もあります。過去形らしい過去形のない言語もあります。その場合、単に「すでに」を意味する言葉を文末につけるだけです。1点の過去なのか、継続的な過去なのかを区別する言語もあります・・・・・(もうこの辺にしましょう)。
世界はひとつです。だけど言葉は星の数ほど。
世界はカオスです。だけど言葉はアウトラインを持っています。
あるタイ人がタイ語で「今日はプラー・ムックを食べたよ」と言ったら、なんと訳せばよいでしょう?「タコを食べた」?それとも「イカを食べた」?あてずっぽうで決めてはいけません。正確に訳すためには確認しなければいけません。でもそのタイ人がすでに「プラー・ムック」を食べ終わっていたら、確認の仕様もありませんね・・・・
究極的なことを言ってしまえば、「完璧な翻訳なんて絶対に無理」です。同じ言語を話す人同士だって完璧なコミュニケーションは取れません(ちょっと一杯!)。ましてや言葉の区切りがぜんぜん違う人たちをつながなくてはいけないんです。到底無理です。
それでも翻訳家はやります。ベストを尽くすんです。100だったものを限りなく100のままにして送り届けます。時には意味が削れて80になったり、余計な意味が増えて110になったりします。それでもベストを尽くすんです。
文化の知識や経験を以って、相手の目を見て心を感じて、参考文献を読んで時代背景を知って・・・・通訳・翻訳家は無意識にそうした作業をしているのです。これが先の回答で言った「ツメ」です。
これをしなければ、ただの「言葉置き換え作業」に堕ちてしまいます。最近の機械翻訳はようやくこのゾーンから抜け出しつつあると思いますが、はたしてプロの翻訳家と同じような経験に基づく緻密な作業を瞬時に行なっているのでしょうか?残念ながらまだまだですね。
しかしながらこの「技」ですが、翻訳業に限った話ではなく、普通の人が普通にやっていることです。
上司の機嫌を伺って、彼女の言う「ちょっと待って」が何分なのかを算出し、丁寧すぎる言葉で人を不快にさせてしまう・・・・などなど。
別に普通のことなんです。人間ならば。
でも今の機械にとってはそれが普通かどうか分りません。
「ちょっと」長い文章でしたが、このへんで失礼します。
大変長くありがとうございました
話す言葉をリアルタイムで翻訳する機械ができる
ご質問が、今の話か、未来(つまり、はるかに性能が良くなった時)の話か、で変わってくると思いますよ。
①翻訳業は不要になりますか?
もし、通訳という意味でおっしゃているのであれば、現段階ではなくならないと思います。
機械は持ち歩かなければなりませんし、電気も必要です。複数の言語に対応する事もまだまだでしょうし、何より、相手の状況に応じた対応(例えば、病気で苦しんでいるのを見て医者を呼んだりする事や、相手の好みに応じて話題を振ったりする事)ができません。
書いてあるものを翻訳するという意味ですと、遠い将来はともかく、これもやはり現段階ではなくならないと思います。
機械では融通の利いた翻訳ができませんから、みな似たような訳になりますし(というか、似た訳にならなければ機械翻訳する意味もないわけですが…)、遠回しな表現や、婉曲表現、比喩や引用と言った高度な技術を用いられると、太刀打ちできません。そのうえ、方言を駆使されたら、訳しようがなくなります。もっとも、その点は翻訳家も苦労されていると思いますが。
それに、機械翻訳に絶対まねできない事が一つだけあります。それは、「無意味な言葉」を翻訳する事です。
遠い将来には、分かりません。その頃には世界標準語ができてるかもしれませんし、翻訳や通訳の役割も、今とは少し違ったものになっているかもしれません。
②仕事で語学を取得することは意味がなくなりますか?
仕事を別とすれば、語学は翻訳や通訳のためだけにあるわけではありませんから、学ぶ意味はあります。
仕事ではどうかというと、それは仕事の仕方次第ですので、なんとも言えないですね(悲しむべきことですが、多くの外国人労働者を雇っておきながら、外国語を全く話さない経営者もいますよね)。でも現段階では、仕事自体がなくなる事はないと思いますので、意味がないという事はないでしょう。
それにそもそも、そういう翻訳機械を作る仕事には、当然ですが語学が必要です。
結局、語学を学ぶ事に意味がなくなる事はありません。
遠い将来は、語学はいまほど身近じゃないかもしれませんね。でも語学自体がなくなる事はないでしょう。というのは、人間のネイティブランゲージを研究する事が、人間そのものの研究でもありますので、語学のあり方が少し変わるだけで、語学自体がなくなる事はありません。
ところで余談ですが、海外の国の中には、大学などに進学できるのはごく一部の裕福な人たちだけであるため、必然、学問にお金をかける分だけ、その国の優秀な人達が集まるようです。またそういう裕福な人たちでなければ、国際的な語学検定を受けられない(受験料を払えない)ので、自動的に優秀な人たちだけがそのような検定を受験するようになります…。つまり、たとえ語学検定の平均点が低くても、「誰でも」語学検定が受けられる日本は、語学が大変「身近」であるという事です。
①翻訳業は不要になりますか?
機械はジョークなどは理解できないでしよう。
翻訳業は必要です。
②仕事で語学を取得することは意味がなくなりますか?
語学の必要性はかわらないと思います。
①現時点ではまだまだほどとおいとはおもいます。現在でも、話しながらというリアルタイムの切羽詰ったレベルでなく、書かれたものを翻訳するというソフトはありますが、その翻訳のレベルはとてもお話しになりません。まして、話しながらというレベルになれば、、、、いわずもがなとおもいます。もし、意味を完璧に英語から日本語、日本語から英語にうつすことができても、おそらく翻訳業は必要だとおもいます。その理由は、②を参照してください。
②もし、かりに、リアルタイムに正確な翻訳(日本語の言葉の意味を英語にうつしたり、英語の意味を日本語にうつしたりができるソフトができたとしたら、とても便利だとおもいますが、英語と、日本語とで話しの展開の仕方等が異なるので、意味がそのままつたわったとしても、わからないことはないが、スムーズなコミュニケーションができるかの保証はないとおもいますので、もし、可能であれば、ご自信が語学を学習するか、信頼できる、交渉等に長けた通訳の人を雇う必要はあると思います。
だみー
ありがとうございます。根拠となるHPはありますか?