少年法ってやっぱり要ります?
必要、無用、どちらでもよいので、そう考える理由を教えて欲しいのです。
少年法の趣旨は、未成年者の人格の可塑性に着目するところにあります。学校教育も、その可塑性があるからこそ可能になってくるものです。したがって、そういう年齢層に対しては、刑罰より教育の力で更正を図っていく。これは至極当然のことです。
そもそも刑罰には、それを見た無関係な第三者がザマアミロと溜飲を下げるという効果があります。これは極めて不道徳な感情を誘発する効果であって、青少年はそうした非教育的状況からは、出来るだけ遠ざけられることが望ましいと考えられます。他人の刑罰を見て満足する残酷性を助長してしまうことからも、自身がその対象になることからも、です。
もちろん少年法は、他人が刑罰を受けることによって満足感を得ていきたいという欲求を持つ人には、まことに不満な法律でしょう。年齢に関係なく犯した罪によってそれに相応しい罰を与えよという主張も分かります。
人間にはそういう残酷性があります。それを刑罰という社会制度によって満足させておけば、それが空気抜きとなって、平穏な社会が維持しやすくなります。しかしそれはとても野蛮な社会ということでもあります。
次世代を担う青少年には、とりわけ粗暴な行為を平然と行ってしまうタイプの触法少年に対しては、そういう不道徳性は、極力植え付けたくないじゃないですか。
したがって、未成年に対しては、収監ではなく保護、刑罰ではなく更正教育をもって臨むことを優先させる。それはとてもよい方針と考えることが出来ます。
少年法に問題があるとすれば、それは運用の仕方のまずさでしょう。「保護更正のための処分」と「刑罰」との境目、違いがよく分からない。要するに「別荘」に拘束されて「臭いメシを食わされる」という点で同じに見える。同じならなぜ未成年にだけ甘いんだと。そういう意見が出て当然です。刑罰と保護更正の違いをハッキリとさせる。誰の目から見てもその違いの効果が明確に分かるように運用する。それが大切でしょう。保護更正という名の刑罰を課す制度なら、少年法なんて要りません。
なくてもいいと思います。
近年の凶悪少年犯罪者は、少年法の精神を悪用して罪を逃れようとしている疑いのあるケースが多い。よくあるホームレス襲撃事件では、最初からつかまったときの想定問答(言い訳)を用意しているのではないかと思うことがあります。
したがって、裁判官や裁判員がその都度年齢も考慮して量刑を決めればいいと思います。おっさんでも更生の可能性が高い人もいれば、こどもでもほとんど再犯間違いなしというのもいるはずです。
ただし、死刑制度を批判の多いなか維持してもぜんぜん抑止効果がないのと一緒で、厳罰化だけでは犯罪は減らない可能性が大きいので、そちらの方は別途考える必要があります。
>少年法の精神を悪用
少年法の基本理念は正しいとお考えなのですね。
僕自身は少年に対する厳罰化を望んでいるわけではなく、Yotaさんの
>裁判官や裁判員がその都度年齢も考慮して量刑を決めればいい
に近い考えだと思います。
必要だと思います。思春期の少年は心が不安定で遊び感覚やカッとなってやってしまうことが多いのでその過ちを教えるために必要ではないかと思います。
ただ、日本の場合どの法律もそうですが他国に比べて甘いようですし少年法も他国より対象となる年齢が下は高く上も高くなっているので罰を強くするのは必要かもしれません
ありがとうございます。
>過ちを教えるために必要
ここがよくわからないです。
少年法があることで過ちを教えることができるという理屈が。
ものすごく偏っているとは思いますが、いつもどこか頭の隅でひっかかっていることの一つなので、
こういう考えの人間もいるという提示として回答いたします。
少年法の精神における「可塑性」については、
青少年だから「可塑性がある」のではなく、
「可塑性が高い」なら実情にあっているように感じます。
可塑性は全ての人に一定ではないですし、中には非常に更生の難しい人もいます。
ただ、この可塑性を否定してしまうと、「時計じかけのオレンジ」のような極端な更生プログラムへ行き着いてしまうと思いますし、
人間性自体を否定してしまうことに繋がると思うので、
この可塑性をどこまで法が汲み取るかという線引きが難しいのだと思います。
そこで青少年という法の縛りとともに線引きをしているというのが実際なのではないかと思っています。
法はあくまで基準であって、その解釈も人によって微妙に異なります。
実際青少年でも刑事罰を受けた例も既にありますし、
運動も盛んに行われているので、
この辺りは実情を鑑みれば徐々に「可塑性の高い青少年に関しては」というようなくくりで成人法に統合されていくように感じます。
また、別の視点として、「なぜ少年法が公平でないと感じるか」という問題があると思います。
私がその理由として思い当たるのは以下の点です。
1.被害者の氏名は公開されるが、加害者の氏名は非公開である。
2.更生技術・施設等が一般市民の満足できる(理解が得られる)レベルではない。
3.年齢による線引きと措置内容の振り分けのズレ。
4.再犯率の高さ。
1に関しては純粋に法的な問題と考えていますが、
この点は少年法だけでなく、むしろ報道側に更なる規制が必要だと感じています。
これは当事者の人権だけでなく、報道の自由や、犯罪二次被害者の人権、知る権利などもを含んでいて複雑なので難しいとは思いますが。
更生技術に関しては、福祉現場で脱施設化が叫ばれる中、
更生施設については膠着しているといっていいと思います。
一番地域に帰すのが困難であるのと同時に、
本気で帰す気になれば一番実になりそうなのもこの分野ではないかとも感じています。
更生が完了しない、再犯率が高いのは、結局のところ地域に戻っても受け入れられない(定職に就けないなど)、もしくは犯罪を起こした頃と環境に変化がない(元の犯罪グループに戻るなど)現状が大きな問題であり、
現状は少年法の謳う青少年の可塑性はあくまで25条のように理想を謳っているに過ぎないのだと思います。
以上から、成人よりも青少年の方が可塑性が高い傾向にはあるが、
それだけを基準にし、年齢のみで量刑を緩和する少年法は間違っていると考え、
青少年の可塑性を本当に尊重するのは、年齢に関係なくそれぞれの罪に相応の量刑を与え、
その受刑内容に可塑性を期待したプログラムや、
更生した人を再犯に走らせないようなシステムを構築していくことではないかと考えています。
ありがとうございます。
僕のしっくりこなささを代弁していただいたようなご回答です。
これって偏ってるんですか?
だとすると、僕もそうなんだなぁ。。
けど、最後のパラグラフの内容は基本的にはYotaさんの意味するところと
同等ですよね?
少年法によって、罪状に応じた罰を少年に科すことが例外的となっている
現状に違和感があるのは確かなんです。
罰というのも更正に必要な一要素ではないのかなぁ。。
時計じかけのオレンジ、好きな映画です。
少年法ってやっぱり要ります?
と聞かれれば、個人的には答えはYESです。
なぜなら、
>裁判官や裁判員がその都度年齢も考慮して量刑を決めればいい
に近い考えだと思います。
というご意見も、少年法ができたそもそもの発端の一つかと思いますし、
http://www.kodomonoshiten.net/kaiseiQ&A.htm
裁くためには何らかのルール(法律)が必要です。
その判断基準がなければ大人と同じ法律で裁く以外ありません。
そしてその内容、例えば現在の少年審判の流れ
http://www.pref.kagawa.jp/police/syounen/higai/tetuzuki1.htm
や量刑、加害者が保護されてる感など、それらにしっくりくる、こないかは、私はまた別の話だと思っています。
また、
http://kogoroy.tripod.com/hanzai.html
http://www.npa.go.jp/safetylife/syonen3/syounen190808.pdf
などの統計を見ても、果たして少年法が全くダメだから今があるのかというと一概にそうではないように思いますし、rikuzaiさんもおっしゃってるように法律だけでなく、いろんな側面からセットで考えなければならない問題ではないかと思います。
長くなるので割愛しますが、少年法についての私の考えは
http://q.hatena.ne.jp/1160520816
でも触れています。
ご参考になれば幸いです。
少年法は必要ですが、その改正もまた必要だと思います。
少年法は制定されたのが昭和23年。戦後の改正を経たといえども、今の時代にあっていないと思います。
戦後の混乱期は死刑確定数が二桁があたりまえ(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sikeisuu.htm)でした。
そのうち未成年の犯罪がいくつあったかは不明ですが、増加する死刑件数を押さえるために未成年に考慮するという一面もあったと思います。
しかし現在では裁判所で死刑判決が出ても、ほとんどが減刑されて無期懲役。死刑が執行されることはあまりありません。
そのようなぬるい状況で、少年というには成長しすぎている少年をさらに保護する必要があるとは、私には思えません。保護対象はせめて小学生くらいまでにすべきだと思います。
ありがとうございます。
>少年法の趣旨は、未成年者の人格の可塑性に着目するところにあります。
そもそもその可塑性ですが、等しく皆に存在しないのではないですか?
重犯罪を犯すような素地を持った子の可塑性が、普通(?)の子と
同程度であると無条件に初めから考えることに無理があるように思うのですが。。
>他人が刑罰を受けることによって満足感を得ていきたいという欲求を持つ人〜
これはあまりにも一方的な見解ではないでしょうか?
犯罪被害者の親族が加害者に対して極刑を望む主因が
そうした理由に帰すると考えるのは。
少なくとも、年齢の如何によらず罪に相応の罰を与えよという主張が
人間の残酷性の表れであるといえるとは僕には思えません。
>「保護更正のための処分」と「刑罰」との境目、違いがよく分からない。
なので、初めから少年法などと銘打ったものを用意せず、個々の事案について
裁判で刑罰なり更正処分なり検討すればいいことなんじゃないのかな、と思うわけです。
一律に青少年だから教育的措置を、という在り方に違和感を感じちゃいます。