以上の文章を読んで、どう思われますか。皆さんの感想をお聞かせ下さい。
この意見に反対です。
それは発展途上国では多くの子供が死に逝くので多くの子どもが必要です。また、日本のような少子高齢化の国では子どもを生むことは大事になっています。
性欲は凶暴であるけれど、人間らしい欲求だと思います。 友人は、手術をした後体が回復してきたら
無性に性欲を感じたらしいです。
他の欲は自分の生死にかかわるものですが、
性欲は子孫を残すという未来にかかわるもの。
まったく人間に性欲がなくなってしまったら
人は自分以外のことに興味がなくなってしまうのではないかと思います。
「性交によって人類が増えすぎる事を心配すべきである。」
少子化問題が深刻化する一方の現代では人類が増えるぎることを
心配すべきってのはうらやましい悩みでありますね。
増え過ぎるの抑える対策ってのはいろいろ方法がありますが少子化対策ってのは無理やり子供を作らせる訳にもいかないので解決が難しいです。
性欲にかんしてはそう思う。
避妊方法がいろいろある現在において
「人類が増えすぎる事を心配すべきである。」
はどうだろうかと思う。
ただ中国のように一人っ子政策をしないと人口の増加を
調整できない可能性はある。
性交しなくても人類を増やせるような現代の科学においては古い考えと言えるでしょう。
いずれは他の惑星に住むこともあるかも?
その前に戦争や飢餓により人口のバランスが保たれるでしょうが。
あながち書いてあることは、間違っていないですね。
何事も使いこなさなければ意味がないものです。
包丁も料理人のプロが扱えばおいしい食事ができあがりますが、
そうじゃない人が扱えば けがしたりすることだってあります。
とんでもない方向にいけば、人殺しにだってなってしまいます。
だからといって、包丁が 不幸の源であるとは いえないでしょう。
性欲は、さらにコントロールが難しいものです。
上手に扱えるようにならないとダメですよね。
まあ、前半はそのとおりなんじゃないでしょうか。
人間の発生が性愛によりスイッチを入れられるという方法しかない(クローン、処女懐胎は今のところありえない)。
そうすると、やはり性愛を行いたいし行えるといういわばエッチな親しか子孫を残せない。ここまではいうとおりなのですね。
しかし文明という要素は不思議なもので、種族ごとに避妊具や、将来に暗い見通しを書き立てるマスコミによる自主的?少子化、一人っ子政策、などがストッパーになり、彼の予言したような人口爆発は文明が発展すればするほど防げています。
それは、むやみに増えれば悲惨な死が身近にやってくることを本能に近いレベルで知っているとしか思えません。きっと、10ヶ月の懐胎期間や、生まれてすぐではひとりだちできない形での出産が薄氷を踏む思いをひっきりなしに想起させるのです。
人の分の幸福まで願い、数は少なくても子宝を子宝としてうけとめられることに人の幸せはあるという文明(伝染力があるのでミームともいえる)が、工業とともにいきわたりはじめているのです。
”愛の対象との結合は、人類・学問・芸術への奉仕と言う、人間にふさわしい目的の達成を困難にする”
なるほど。手に入れた(性交した)後よりも、それを求めている状態の方が学問・芸術に奉仕できるって言うのは一つの考え方だと思います。
そのために、快楽があるんじゃないですか?
性行為があるから、人間の形成に影響を及ぼす
けれど、その悪い部分を越えてしまうくらいの快楽があるから、
人は求める
結果として子孫が増えすぎると懸念される
トルストイは影響力ある立場の人なんですからあんまりこういう、拡大解釈されると社会に悪影響を及ぼすようなことを一般論として言ってしまうのはどうかなあと思います。
あと自分が嫁さんとうまくいってなくて仕事がはかどらないから失敗したなぁ、結婚しなかったらよかった、というのをカッコよく言っているだけのような気もします。
トルストイだってにんげんだもの
「思う」のは理性であって、理性にとって本能とは制御すべき対象であるので、理性によって「人間にふさわしい目的の達成を困難にするだけである」という結論が出るのは尤もだと思います。
「人類が増えすぎる事を心配すべきである」これは全くそのとおり。
地球の資源に対して人はすでに多すぎる。
昔,異性に「性欲とか無いの?」と訊かれた事があります.
その時,そんな質問されるぐらい,人が性欲を持っているのは,
至極当然のことだと思いました,だから性欲そのものを否定するのは変だと思う.
けれど,一時の快楽の為だけの「性交によって人類が増えすぎる事を心配すべきである」
という解釈をするなら,この考えは個人的には受け入れられます.
それで誤って産まれた子供にとっては「悲劇へ導く、不幸の源」かもしれません.
そもそも人類が増えすぎる事それ自体が心配すべきことなのかは,よく分かりません.
星新一の「生活維持省」を読んでいると,そうかもしれないと思えてきますが…
「愛の対象との結合」で簡単に快楽を得られるなら,その人には
「人類・学問・芸術への奉仕という,人間にふさわしい目的の達成」
によって得られる快楽など必要ないかもしれません.
どちらを取るかは人それぞれでいいと思います.選択を迫られれば,
私は後者を取りたいですね.目的の達成が自分に可能かどうかは別にしても…
性欲を、①愛する対象との結合とみるか、②生殖行動へ導く原動力とみるか、で峻別するべきである。
①は結合の相手を異性に限っていない。即ち①は快楽を求めて行われる一連の非生産的な行動全般を包含する。②こそがホモサピエンスという生物種を存続させてきたのであり、①は(トルストイの言うとおり)百害あって一理なし、といえるかもしれない。
これは性行為に限らず、個人にとっての快楽(および利益)は、社会にとっての利益とはならないことをも想起させる。個人が社会の存在を意識し、その中で活動しようとするときに初めて、個人にとっての利益が社会にとっての利益に沿うものとなるのである。このようなことをも暗に意味しているとすれば、トルストイのこの言明は含蓄がある。
ところで、今や体外受精という手段があるので、性欲がなくとも生殖を行えば種の存続は可能と考えられるが、これまでの歴史を振り返れば、生殖なしには種の存続が成り立たなかったこともまた事実である。また、性欲は情動の一種であって、理性でいくぶん修飾することはできても、情動がそもそも生まれないようにコントロールするというのは(外科的処置を用いない限り)不可能であろう。
「性欲は人間の欲の中で、最も強烈で凶暴であり、人を誤らせ、悲劇へ導く、不幸の源である。」
というともっともらしく聞こえるが、実際社会においてこのようなことが横行しているわけではない。確かに性行為は公衆の面前で行われることはなく、普段の行動に比べれば幾分理性に欠けた乱暴な行動に見えるかもしれないが、大多数の人々はそれによって命を落としたり、負傷したりすることはないのである。性欲が残虐な形をとるケースというのは、性欲が悪いのではなく、本来それを制御すべき社会性(いわゆる前頭葉による抑制)が欠如している、あるいは異常な性的嗜好が存在すると考えるほうが妥当である。性欲は基本的な情動の一つであり、性欲の対象については後天的な影響が大きく、性欲という概念に含めて考えるべきではないと思う。
P.S.)「それよりも、性交によって人類が増えすぎる事を心配すべきである」これは具体的にはどのような心配なのでしょう。食料問題でしょうか?現在も食糧問題はありますが、全世界的に足りないのではなく、貧困な地域において足りず、裕福な地域においては余っているのです。いずれにせよ人口の問題よりも貧富の格差の問題であると思います。
人間には過剰な性欲を抑える理性が必要である。時と状況を考えなければいけない。このことを前提とした上で考えてみる。芸術関係者の友達は、ひとりであることが大切である。恋は実ってはいけないなどと言いますが、私の意見としては、自然のままに色々な経験をし、その都度、真の喜びや悲しみ苦しみを経験することが勉学や芸術性に磨きをかけることに繋がると思います。過去の偉大な芸術家達は、真の愛を知り、世の中の卑劣さを経験し、喜びも悲しみも身体全体で受け止め新しい芸術に立ち向かったと私は思っています。
どこのトルストイか知らないが女性にもてなかったんでしょう。
最後らへんの人口増加の心配なども
不器用者の負け惜しみでしかない。
こんな敗北者の戯言を拾い上げて後世に残すのも迷惑。
人間考察に一役買うだけ。
「性交によって人類が増えすぎる事を心配すべきである」という点が一番引っかかりました。
特に現代の日本においては、むしろ人が増えなければならない状態にあります。
また、性欲そのものが最も凶暴であるにしても、それらを理性によりコントロールすることで
その凶暴性を抑えることは可能なのではないでしょうか。
http://www.tv-tokyo.co.jp/tohoho/back/050610.html
トルストイの妻といえば、あの悪妻として有名なソフィア・トルストイだからこんな文を書いたんだという気がせずにはおられないですね。
とりあえず「本能的な欲を排除すれば、真の人間性を得られるのか」という命題と「このままでは人口が増えすぎる」という問題は、別に考えた方がいいと思います。
まあ、トルストイが本当に云いたいのは「それよりも〜すべき」と強く云っている「人口増加」の方でしょうけどね。
しかし、現状、増加の一途を辿ろうとしていても、主な原因が性欲だなんていうのは無理があります。生まなければ増えないのは当然ですが、それ以上に減らないというのが、実際の問題だと思いますし。
コメント(3件)
少子化は本当は問題ではないのにマスコミが悪い面ばかり書き連ねるから問題とされてしまっているとでも言いたげですね。
ですが、NAPOLINさんの言う少子化のメリットって、確か電車で騒ぐ子供が減るとか、労働人口の比率が上がるとかだったでしょう?労働人口の比率が減ることこそ最大の問題なのに、比率が上がると思っているなんて、要は少子化について何も知らない、何も考えてないことを晒したも同然です。
事態はクローンとか不老不死とか机上の空論(この言葉をNAPOLINさんも使ってましたが、使い方、意味が間違ってました。このように使うのです。)を語っている場合ではないのです。例えば、出生率1.3として2世代後の人口が何%まで減るか計算できますか?4世代後であればその2乗です。恐らくこんなこと考えたこともないだろうし、計算方法すらわからないでしょう。分からなければ、調べるなり、聞くなりして、計算してみるといいです。目を疑う数字がでる筈です。そしてご自身の無知さを知ってください。
他にも国力=軍事力=兵士数とでも勘違いしているような発言がありましたね。私はこのときNAPOLINさんが学生時代、社会の教科書を見るのも嫌というタイプだったんだろうと感じました。古今東西、経済力の裏づけがない軍事力など存在しないし、兵器の優劣差が拡大する一方の現代においては、よりそれは顕著です。すなわち軍事力があって、国力が存在するのではなく、国力があって、軍事力が存在するわけで、では、その国力とは何かといえば、結局経済力ということです。ですから「国力がなくても経済力があれば幸せ」などというあなたの迷言は、「経済力がなくても経済力があれば幸せ」と言っているのと大差なく、文章としてそれ自体がすでに破綻しているのです。
つまりあなたは「老人だらけの社会になろうが、見た目上の人口が減ってないんだから、出生率なんて低いままで構わない」と言ったということです。本当にそれでいいんですか?ですから「不老不死になれば人口爆発だ」などの意見も実に愚かしいものです。まあ「不老」であるなら、生涯現役ではいられるでしょうが、病死や老化は将来、防ぐことができても、事故死や自殺が防げない以上、出生率が2を切れば、いつか人口は減り続けます。この理屈が理解できなければ、中学レベルの数学ができる人に聞いてみてください。無論現段階で、不老不死が実現し、それを遍く全ての人が享受できるなら、当面は人口爆発に悩まされるでしょう。ですが、たった4世代後、つまり、我々が生きている可能性がある間ですら、世代別人口はここまで減少するのです(計算できましたか?)。それまでに「不老不死が実現し、それを遍く全ての人が享受できる」状況になる何らかの根拠でもあるんですか?ないでしょう?
そして現に年金受給額は減り続けてますが、これに人口構成比が無関係だと思っているのですか?あなたはそれが社会保険庁に対する不信によるものとおっしゃってましたが、つまり不払いがなくなれば、昔通りの受給額が維持できると思ってるのですか?有り得ませんね。確かに不払い、社会保険庁の無駄遣いも理由の一つですが、最大の問題は人口構成比によるものですよ。20年前と現在と年金を支払う側と受け取る側の比率を比べるといいです。
まさにああ言えばこう言うという感じで、「あなたは社会保障のみに幸せを求めるのか」とかともおっしゃってましたが、私は個人の幸福まで政府が担保せよなどとは考えていない。ただ社会保障については、それを考えるのが政治家の仕事だから、それを為せと言っているのです。あなたは政府は社会保障に関して何もするな、何も考えるなって思ってるのですか?
またあなたは「国力がなくても経済力があれば幸せ」とおっしゃってましたが、人口が減っても、経済力が失われないことを前提にしているのはおかしくありませんか?この意見を言うには人口が減っても、経済力が減衰しない具体的論拠が必要で、しかもその論拠は「人口が減ってこそ」効果のあるものでなければいけません。そうでないと、出生率が低いままの方がいいという理由にはなりませんので。
それとあなたは少子化を改善したい旨の発言をしたこと自体が許せないということですが、では少子化が継続することを望むあなたとしては、大臣がそういう発言をしたら賞賛するんですか?もしそういう発言をしたら、あなたの論法で言えば、子供を生みたい女性へのプレッシャになるんじゃないんですか?増やせはプレッシャーになるが減らせはプレッシャーにならないんですか?それとも、単に自分と同じ意見は発言してもいいが、違う意見は言うことも許さないというわけですか?少子化が継続したい旨の発言もしてはならないと言うのであれば、もはや政治家は、何も言うなということですか?
ああ、それとしつこいとか暇人とかは言わない方がいいですよ。何か書いた時点であなたも、同じ穴のムジナだし、何か反論すれば、あなた自身が議論の継続を希望していると見做されます。自分は意見を言うがそれに対して反論はするなとは言えないでしょう?それに自己を客観視できないあなたの為に忠告しますと、とっくに論破されているのに、しつこく食い下がり、挙句、自分のブログですでに論破されたことを繰り返し書いたり、半年も経っているのに、また自説を長々述べたり、あなたも傍目には十分しつこいです。それに、はてなで毎日何問も回答しているのを見るとあなたも、傍目には暇人に見えます。それも困っている人の為ならともかく、単にポイントが欲しいだけにしか見えませんよ。例えばこんなことがありましたね。FX税制について欠片ほどの知識もないのにFXの税に関する質問に、「利益を挿げ替えはできない。」(ちなみに実質的には可能です)と回答して、質問者に「FX税制を理解してから回答を」と言われるや、逆ギレ気味に「領収書はとってあるか」など質問と無関係な回答をして(コメント欄ですべきような内容。ポイントがそんなに欲しいんですか?)、さらに質問者を怒らせていました。そんな一方でご自身がしたアンケートで適当な回答をされるや「ポイントがそんなに欲しいの?」みたいなことをおっしゃてました。やはりあなたはご自身を客観視することができないってことなんですよ。だからご自身は気付いていないでしょうが(だからこそ未だにそのIDで活動できるんでしょう?)、あなたは散々に失笑を買っているんですよ。