中学英語の3単現の「S」が納得できません。
3人称につくなら3人称複数にもつけるべき。
とか
過去形につけないなら現在もつけなくてもいいのでは?
とか、いろいろ疑問に思います。
どういう感覚で彼らはつけていると思われますか?
日本語で似たような感覚ってありますか?
(男言葉、女言葉があるみたいなお国独特の感覚?)。
できれば英語を日常使ってる方あるいは現地での生活経験のある方お願いします!
感覚も何もないです。sをつけたりつけなかったりは普通のことです。なにしろ、幼児の頃からその程度の文法はきちんと身についているものなので。逆につけないと気持ち悪かったりバカっぽく聞こえたりします。
日本語では、係り受けとか日本語の動詞の活用とか助詞の使い分けとか自分には全く説明不能ですが、普通に正しく日本語は使えます。そんなもんです。
納得するものではなくて、そういうもんだと思ってください。慣れると、3単現の間違いが気持ち悪く感じるようになります。さらに、カタカナ語で、元の英語が複数形なのが反映されていないのが違和感を感じるようになります。
歴史的には、昔の英語がとかゲルマン語がどうだったとかそういう解説があるのかもしれませんが、多分「すべての始まり」にはたどり着けないでしょう。
>過去形につけないなら現在もつけなくてもいいのでは?
次の例から分かるとおり、三人称が主語の場合は、主語か動詞の語尾に「s」や「d」がつきます。
(A) The boy lives in Japan.
(B) The boys live in Japan.
(C) The boy lived in Japan.
(D) The boys lived in Japan.
(A)の動詞から「s」を取ると、主語にも動詞にも何もついていないため、実に収まりが悪い気持ちになります。
>3人称につくなら3人称複数にもつけるべき。
(B)の動詞に「s」をつけると、「s」が続いて、冗長な感じがします。
(D)の動詞には、すでに「d」が付いているため、「s」を付けることはできません。
(「liveds」とすると、発音しづらいのではないでしょうか。)
>日本語で似たような感覚ってありますか?
日本語でいうと、「学校へ行く」の「へ」を「え」と書かない、というのと同じレベルの話だと思います。
おおお。なんかえー感じです。ありがとうございます。
日本語で似たような感覚というと、昔英会話の先生に
「日本語で数を数えるのが難しい。『いっぽん、にほん、さんぼん』とかどういうルールで変化するの?」と質問されて困ったことがあります。
イチホン、ニホン、サンホンは言いにくいからなんとなく英語にもあるような気もします。魚と鳥で数え方違うのはどういうことやねんとなりそうですが。カンオンでなくてカンノンになるのはアナップルと似てますね。
米国に行き来することも多く、長期間住んでたことがある経験から、いいますと、まあなんというか、
そういうルールは他の解答されている方の仰る通り
気にしたことある人の方が少ないわけです。
実際、ダウンタウンの人とかはたまに三人称単数
ではなくHe doとか言ったりする時があります。
タクシードライバーとか。
なので、日常会話で考えている限りでは
It doesとかHe doesとかいったときに、
なんというか”だというにごった音の後に
ズと来る”ので、強調されているような感じに
言えた気がします。しますよね?実際言ってみると
わかると思います。そういった、具体的な立場の
代名詞を使っているときはたいてい何か
積極的に話したい気持ちがあるので、”どぅー”
というどこか他人事っぽい音ではなくて、
言っていて気分がいいところがあります。
ルールに頓着していない場合は、やはり音と
リズムが気になるのが常です。日本語だと
きわめて物事を正確にデータで捉えるような
話のときは、なんというかよそよそしいですよね?
そのデータを取られた現場の人たちをプロジェクト
X風にしゃべったほうが、しゃべっているほうが
熱意がこめやすいのです
とまあ、こういう印象です
なんとなくえー感じです。ありがとうございます。
東北弁の…だ。…だず。みたいなもんですかね。
関係ないですが、博多弁のばってんはbut then という語源説もあるみたいです。
第3者がなまなましい形で一人登場するとき、強調されると思ったらいいですかね。
英語を勉強、更にはマスターする上で、トニカク理屈抜きで受け入れなければナラナイ事が沢山あります。
申し訳ありせんが、kyoren のように、一々理屈をつける前に、トニカク理屈抜きで覚えるベキです。そうしたら、ソレが普通になりますから。
例えば"ウェンズデイ"と発音するものを、何故"Wednesday"と綴るのか?
"Laura"と綴るものを何故、ラウラと読まないで、ローラと読むのか?"kind"は何故、キンドゥでなくてカインドか?とか際限なくあります。ココラ辺が英語が苦手になる人は、躓きの第一歩になるので、私も単に覚えろ!とツキ放すのもドウカト思うけれど、コノ英語の不規則性は、英語が古スカンディナヴィア語や中世フランス語を豊富に取り入れてきたからで、私自身は英語の長所と思っていますが、最初に英語に接する人にとってみれば、イケスカン言葉ヤナ!と感ずるでしょう。
但し、文法に関して言うならば、あなたの言うように 三人称単数では s が付くのに何故 複数では付かないのか?と言った議論にコダワルのは、止めて下さい!!!ソレコソ、そんな議論にコダワル暇があったら、単語を一つでも、イディオムの一つでも、ヨリ多く覚えて下さい!!!英語の文法は、数ある西欧語の中でもドイツ語などに較べれば、本当に初心者にとっては friendly なモノです。初心者にはソウ感じられナイかも知れませんが、間違いナクそうなのです。ダカラコソ、英語はここまで世界中に広まったとも言えるのです。だから英語の現実に反発するのではナク、そういうモノなんだと割り切ってしまうコトです。
英語の grammer composition が分かるようになると、英語が本当に楽しくナリマス!その為に、仮にあなたが中学生であっても、高校生用の英文法参考書の最高峰と言われるイエローの分厚いハード・カヴァーの「英文法解説」を親御さんに頼むか、自分でコズカイをためて手に入れることを、絶対に薦めます!!!仮定法 辺りが解ってくると本当に英語は楽しくなりますので、日本最高の英文法参考書である「英文法解説」を手に入れて勉強としてではなく、何か遠い過去から奇跡的に伝承された秘密の書を紐解くように、時々ページをメクッテ見たらイイんです。そういう接し方ができる書です。コノ本は!!!普通の英語の参考書とソコが根本的に違います。
おおお。外人さんですかぃ。音楽サイトいけてますな。
日本語で似たような感覚というと、次のような動詞の活用の例があてはまるかなあと思います。
「切る」+「~(し)ている」→「切っている」
「着る」+「~(し)ている」→「着ている」
この点について、上級の日本語学習者(母語は英語)から「理屈は理解したが、日本語を母語とする人はなぜ迷うことなく使い分けられるのか」と質問されて、「アクセントが違う」とか「活用が」とかいろいろ言ったのですが、「感覚」という点で相手に納得がいくように答えることができず、「英語にもそういうのがありますよね、3単現のsはなぜ単数だけにつくのか、私にはどうも納得できません」と言ったら「ははは、なるほど」ということで一件落着したことがあります。(ただ、そのあとで「でも『似る』も『煮る』も『にている』、なぜ『切る/着る』だけが……」とまだ少しごにょごにょが続きました。よほど苦労なさったのでしょう。)
なお、文法的なことでいうと、英語もかつては1人称、2人称、3人称、それぞれの単数・複数によって動詞の語形が変化していました。現在形も過去形も。(フランス語などラテン語系の諸語、ドイツ語やオランダ語といったゲルマン語系の諸語は現代でも人称による活用が残っていますが、英語では消えちゃいました。スウェーデン語でも消えちゃってるそうです。)
http://www.rondely.com/zakkaya/his/gra.htm
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1069591...
あとは、既にご回答にありますが、「感覚」としては助詞の「へ(音は『え』)」や「は(音は『わ』)」のようなものかなあと思います。「学校へ行く」を「学校え行く」と書かれている場合、意味はわかるが「間違っている」と思う、というような。でもなぜ「間違っている」と思うのかというと、「そう習ったから」としか答えられない。音としては確実に「学校え」なので。
それと、やはり既にご回答にありますが、「ものの数え方」(棒は「一本、二本、三本」であって「一個、二個、三個」では違和感がある、もしくは「間違い」とされる)というのも、「感覚」としては通じるものがあるかもしれません。
こちらかなりきました 。ありがとうございます!
語源の変遷から簡素化したというのはとても納得です。細かい活用の名残りはbe動詞に残ってますね。活用たくさんと女性名詞とか男性名詞とか、なんだこりゃあという記憶がヨーロッパ言語学習時にありました。第2外国語を学ぶ意義がこんなところにあったのですね。
きるはアクセントの違いからそうなってる気もしますが、法則化するには具体的事例がちょとうかびませんね。
ま、文法も自然科学と同じで一見無秩序なところに法則性を見出そうとするものですから。全部が全部解明あてはまらないとは思いますが、英語はかなりきっちりしてますね。広まるのがわかります。
学習塾(系列として英会話学校もあり)で英語を教えているものです。
ネイティブはどう覚えているかというと、単語同士の結びつきで、感覚で覚えているみたいです。
たとえば
He and I ( ) good friends.
であれば、本来は主語が複数ですから areが入るはずですが、テキストなんかを作っていて、いざチェックしてもらおうとすると、この正答はamだ、と言ってきかないネイティブ(ちゃんと大学も出てるような人ですよ)もいるようです。
これは Iときたら次は amになる、という風に体で覚えてしまっているからなんでしょうね。
スペイン語、イタリア語などを習うと分かりますが、これらの言語は原形の他に「一人称現在形単数」や「二人称現在形単数」など、現在形だけで6通りの活用形を持っています。
過去形や未来形も同様です。
http://sky.ap.teacup.com/golog/37.html
なので、英語は段々この活用のパターンが減っていって三人称単数と過去形だけに残っているように思います。
スペイン語は逆に主語を言わなくなってしまいました。Te amo.の2語で I love you.と同様の意味を表せてしまいます。
こちらもかなりきました!語源をたどるのは面白いですね。
http://www.google.co.jp/url?sa=t&ct=res&cd=2&url=htt...
英語を話す人がどう感じているかといえば、単純に馴れの問題でしょう。16世紀ごろまで、つまりシェイクスピアの頃には能動形現在三人称単数の語尾は -s ではなくて -(e)th でしたし。その頃の人が現代英語をきくと、たぶん変に感じるんだろうと思います。
ただしこの馴れの感覚は時代によって変化してくるようで、古英語の時代にはみなさまがいうように単数複数のすべての語尾で特有の活用がありました。動詞の例ではありませんが、本来主格を取るべき場所(協調構文の it is I that ... や比較文の .. than I)などで、これは文法書にはいまだに I が本来の形であると載っていますが、ネイティブスピーカーはほぼ間違いなく "me"になおしたがります。仮主語であってもすでに主語が出てきたところで I を使うのが気持ち悪いようです。こういうのも、「それらしさ」の基準が案外曖昧なところにある証左であるようにも思います。
日本語の例ではすでにあるように、連濁(一本は「いっぽん」)とか、「は」「へ」などの格助詞の表記などでしょうか。最近は「こんにちは」を「こんにちわ」と表記する人も増えているようですが……。
こちらもハイレベル!ありがとうございます。
ちょっと意図した回答と違いますかね。。
あと…なんかそっけないです~。