「衆議院のカーボンコピー」といわれて久しい参議院を抜本的に改革したいと思います。
うち半分を地域別選挙区から世代別・性別選挙にします。
そして、残り半分を「プラーヌンクスツェレ」、つまり一般有権者から「クジ」で選びます。(ただし稀代の悪法裁判員法と違い、拒否は自由)
この「プラーヌンクスツェレ」は既に三鷹市などで導入され、一定の成果をあげています。
首班指名や予算編成権が劣後する参議院であれば、プラーヌンクスツェレにしてもさほど弊害は出ず、むしろ「素人国民の目線から見た政治」が実現するのではないでしょうか?
この暴論に対するブレーンストーミングお願いします。
↓詳細
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/7891/p/131.html
廃止が最も有用な改革案であると思います。
プラーヌンクスツェレは、地方自治体など小規模なコミュニティでは有用でしょうが、
国政のような処理すべき情報が膨大な場においては、何ら役には立たないでしょう。
官僚支配が進むだけだと思われます。
>素人国民の目線から見た政治の実現
を目的とするならむしろ衆院でやって欲しいですな。
少しはマシな首相が選ばれるでしょうし、クジの結果とは言えロクでもないのが選ばれたら解散すれば済むことです。
さて、真面目に回答しますが、問題が幾つかあると考えます。政治家の権利のバックは有権者の支持とされていますが、クジで選ばれたとすればそれを何に求めれば良いのでしょうか?そこが一番の問題です。
私は以下のような制度を考えています。選挙の際に選挙区以外の有権者に信任投票ができるようにするというものです。現在の最大の問題は国会議員という職にありながら地方の利益だけしか考えない輩が多いことです。
例えば選挙区以外の不信任票10票で1票マイナスとなればもう少しまともに国政に取り組むようになるのではないでしょうか。
こういうやり方、私は大賛成です。本来政治の主役は国の主権者である国民一人一人のはずですが、私達は選挙権と一体のはずの被選挙権を、様々なハードルのために行使できないでいます。そしていつのまにか、政治というものは一握りの職業政治家がやるものだ、といった思い込みを固定化させてしまいました。
人々は政治を語るというと、それは政治家の評価に終始。良きにつけ悪しきにつけ、職業政治家の評価しか口にしません。自分はこういう国を作りたい、自分ならこの課題にこういう政策を提案したい、といった「自らの国を自らの手で作る」という視点が、多くの人たちの目から欠落してしまっています。
そこを変えていくことが最大の「改革」。政治を一握りの職業政治家任せにせず、自らの問題として考え、自らのテーマとして自覚的に取り組んでいく人達を増やしていかないと、この国の民主主義は全く成熟を見ないうちに死んでしまいます。
「おう、今度横町の魚屋のオヤジが参議院議員だとよ」
「へえ、前回は俺のイトコの嫁さんがやってたよ、俺もよく色々相談されてあれこれ考えたもんさね」
「そうか、じゃ早速魚屋のオヤジの所に行ってやんなよ、あいつ俺に務まるだろうかって青い顔してたからさ」
「なあに、政治ってのは一人でやるもんじゃねーんだ、みんなの意見をまとめて議会に持っていく、それが出来ればいいんだよ」
「いいこと言った、魚屋のオヤジ、それを聞けば安心するよ」
なんていう国になったらいいですよね。政治とは、自らの暮らしをより良くしていくためのもの。生活者なら、誰でも取り組めるはずのものなんです。一握りの専門家でなければ出来ない、なんていうものじゃありません。政治に専門性が必要なのは、グログロドロドロした駆け引きのみ。政治の世界をそういう愚かな世界にしなければ、横町の魚屋のオヤジでも、裏のオバハンでも、誰でも参加できるはずなんです。
くじ引き議員で「素人国民の目線から見た政治」の実現。私は大いに賛成です。
そんな面倒を回避する口実があればみんなやらない。
結局ネット上の論調と同じく、ヒマを持て余している連中が幅を利かすだけ。
実業にとって何一つ良い結果はでないでしょう。
1の方の参議院廃止に賛成します。
そもそも選出方法が問題なのではないと思います。
良識の府としての役割を期待されていながら、実際には衆議院と同様、政党政治の場となっており、かつ衆議院の議決をひっくり返す力もないので「衆議院のカーボンコピー」と揶揄されているのではないでしょうか。
そのため、衆議院に対する牽制機能も働いていないし、今のように衆参で与野党が逆転すると中途半端に政局が停滞する原因にもなります。
アメリカのように上院・下院の役割分担が明確であれば、二院制の意義もあると思いますが、日本の今の参議院の役割とその実現性を考えれば、むしろ参議院を廃止して一院制とし、民意を衆議院に集約した方がいいのではないかと思います。
そういう意味で、今の参議院は百害あって一利なし、ですね。
市民の声を直接国政に届ける、という点では、くじ引き方式にも利点があると思います。
採用した場合、すごい勢いで投書とかロビイストが押し寄せてきそうなので、その対策は必要ですね。
(実際の議員では、そういうのは秘書がシャットアウトしているんでしょうけど、一般市民にはそれがないから)
まあ、現在の国会議員も、国費で秘書がつけられているわけですから、それをつければいいのかも。
また、リンク先を見たのですが、電話やネットで議案に投票しても良い、ということであれば、ろくに議論を見もせずに直感で投票するようなことがないような方策も必要かも知れませんね。
うーん。
ある種の通信教育みたいに、テレビ電話の画面に時々文字が表示されて。
それが何だったかを正しく答えないと、投票できない(議員給与ももらえない)とか?
あるいは、与野党それぞれが作成した、法案のメリット・デメリット等に関するテストを受験して、合格しないといけないとか。
……国会で居眠りしている議員にもやってもらいたいな……。
あとは、汚職の温床にならないよう、監視の目も必要ですね。
一般の議員より分散している分、おそらく目が届きにくくなりますから。
んー。
一億二千万人の社会を円滑に運営するために制定されるのが法律ですから。
そこにはどうしてもややこしい利害関係や法律論が絡んでこざるを得ない。
そう考えると、
「わかりやすい法案」=「良い法案」
とばかりは言えないわけで。
まあ、法案に関するアカウンタビリティが重要になる、というのは良いことかも知れませんね。
(でも、行政府の仕事を増やすと、その分の予算と人員をよこせ、って言い出しますが)
別な案として。
(昔、とある小説に出てきた方式なんですが……)
現在のような選挙期間は特に定めず、立候補者とその協力者は、有権者の署名を集めて回ります。
で、一定以上の署名が集まったら議員になれます。
これによって、
「自分の投じた票は死に票だった」=「自分は政治から阻害されている/現在進行中の政治は自分と無関係である」
と感じる人を解消することができる(常に選挙が進行しているわけだから)、というのです。
今の政治に不満があるなら、自分が立候補して、親戚とか友人と一緒に地元の署名を集めて回ることもできるわけです。(選挙供託金は廃止)
まあ、票数の管理とか、問題もあります。(同時に何人もに署名していいのか、とか)
しかし、ネットを使えばそれほど不可能ではないと思うのですが、いかがでしょう。
コメント(0件)