「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきたイエルポタージュ・コーナー“イエ・ルポ”の続編。
“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?愛するマチ、好きな風景、家族のエピソード、イエでの思い出…。あったかい、ユニークな、心に残っているお話、みなさんのマチやイエならではのお話が集まって、「イエ・ルポ」本が実現するとうれしい!毎回のテーマに沿って、あなたのイエとマチのルポ、お待ちしています!
イエ・ルポ 2 #001 THEME「今なら笑える!あなたのお仕置きの思い出」を教えて下さい
ルポ例はコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20071109
プレゼントはコチラ
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※今回の「いわし」ご投稿は11月15日(木)正午で終了とさせて頂きます。
よくありました。
お仕置きでトイレ掃除を友達2人と言いつけられて
結局、水かけ合って水遊びしててびしょびしょに
なって教室に戻ったらすげ〜怒られたな〜。
楽しかったけどね。
もみじって言いましたね。
なつかしいな〜
今だとこういうことやると体罰ってことで
問題になるからやらなくなってしまったんだろうな〜
そういう先生に限ってほとんど暴力を振るわなかったりするものですよね?
なんかそういう先生ほど記憶に残るもんですね
〜
竹刀を見るとあの先生は、今も元気かな?なんて思いだします。
Oreganoさん、TomCatさん、アドバイスありがとうございます。
>毎日両手の平で包み込むようにして体を優しく撫で、顔を近付けて人間の方
>から頬ずりをし、息のかかる距離で名前を呼び、そして美味しい食べ物を与
>える。
これに近いことは、ほぼ毎日しています。
>こんなことをトータルにやっている人の指示には、意外なほどに猫は
>よく従います。Oreganoさんが教えてくれた「制止」法も、そういう
>「母猫」のような愛情を常に注いでいる人なら、かなりうまくいくことが
>期待できます。
試してみます。
腕やお腹で足踏み(ミルクを飲むような動作)をしたり、一緒に寝たり、どうも「母猫」に思われているような節はあります。うまくいくかもしれません。
お二方のアドバイスはとても貴重なものでした。
ありがとうございました。
>この経験が、その後の私の「人は一人一人が生まれながらにして尊い」という考え方のベースになってくれた、ということでしょう。この後私はグレて、一時期かなり暴力的な世界に足を突っ込んでいましたが、そこから立ち直れたのも、この時の経験が大きかったように思います。
この方は素晴らしい役目を演じてくれたんですね。人にここまでの影響を与える事はなかなかできないです。きっとTomCatさんのため必要な経験だと買ってで、やると決めて産まれて来たのでしょう。そこまで影響を与えられて人間冥利に尽きるといつか天国で話ができそうです
宿題を忘れると正座させられて頭にバシーン!でした。
あれは痛かったなぁw
中学3年の時の担任、男の先生。体育の先生で、いつもジャージを着て、常に竹刀を持って歩いてました。今だと考えられないですよね、体罰が歩いているようなものですから。
言葉遣いも荒いしすぐに竹刀で床をバーンて叩きながら「わかったかー!」とか言ってましたが、これが最高にいい先生でした。別にむやみにおどかしたり叩いたりするわけではないんです。別のツリーに書いた「足に平手のもみじ」みたいに、「はい今日の愛のムチー!」と言って、サボったりした子を黒板の前に並べて、順番に竹刀でお尻をパシッパシッとやる。みんなその先生が大好きでしたね。不思議なもので。生徒たちのいい相談相手でもありました。竹刀も愛情の表現だったんですね。今ではゼッタイ通用しないけど(笑)。
〈ハザマ〉
こめかみにげんこぐりぐり、小学1、2年生の時のおばあちゃん先生はそれでした。あれって「うめぼし」っていうんですか?「ひねりもち」も痛そう~。
小学5、6年の担任の若い女性の先生は、足に「もみじ」!帰りの会の時に、宿題してこなかった子や掃除をさぼった子などまとめて前に出されて、「はーい、今日のもみじいくよー!」って順番に太ももの裏を手でバシッ!赤いもみじマークがつきます。痛いけど何だか愛情感じてました。いい先生でした。
〈ハザマ〉
うちの母はジャンプビンタじゃなくて、椅子の上に乗って平手してました。弟にです。弟は小さい頃から背が高くて、高校生の時にはもう190センチもあったくらいで、小学生の時にすでに母の背丈を追い抜いてたんです。だから自分が椅子に乗って(笑)。
ちなみに私たち兄弟はよく怒られると平手をされていて、その時の父母の決まり文句は「目をつぶれー!歯をくいしばれー!」でした(今では大笑い)。でも、自分が悪いことをして叱られてるんだということがわかっているから、私も弟もいつも素直にビンタ受けてました。さすがに「ありがとうございますー!」とは言わなかったけど(笑)。
不思議なのは、何をして怒られたのかほとんど覚えていないんですよね…。一つ覚えているのは、中学の時に友達を家に呼んでおいて私の方が帰りが遅くて友達を待たせてしまったことかなぁ…。それだけでもビンタですから、多分小さなことでも怒られてたんだろうなぁ。
〈ハザマ〉
私が小学3年生の時にあった出来事を思い出しました。お友達のうちに遊びに行っていた時のこと、遊んでいたのに、急に友達がいなくなったので探していると、和室の方にいました。そこではお母さんがしくしく泣いてました。そして友達の女の子は「ごめんね、ごめんね、もうしないから、もう泣かないで」って言って肩を撫でてるんです。「だってお母さん、あなたがそんなことするなんて悲しくて悲しくて涙が出るんだもん」。…どうやら、友達が何か悪いことをしたことがわかってお母さんが泣いていたらしいんです。
それを見た私は子供心にすごい衝撃でしたね。お母さんに泣かれてしまうこと…、友達が必死に泣かないでと謝っている姿も余計に切なくて、私は何があったかも聞けずにそっとうちから出て家に帰りました。
口をきいてもらえなくなるのも相当辛いですが、泣かしてしまった…というのも子供心にはかなりこたえますよね。お母さんを泣かしちゃいけないんだ、と切なさを噛み締めた記憶です。うちの母は泣くようなタイプではなかったですけれど(苦笑)。
〈ハザマ〉
夏休みというと、子供にとっては一年のうちでもとりわけ思い出深い季節ですから、きっとご両親は、それをもっと素晴らしいものにしてあげたかったのでしょうね。これはもう、お叱りというより愛そのものです。だからテレビ禁止のフォローがこんなにも素敵なものになっていたのですね。
それにしても、YuzuPONさんは今まで小さな自然に目を向けてそれを愛していくサプリをたくさん紹介してくれましたが、それらがみな、この夏休みから始まっていたとは!! 今まで何度もピックアップ賞に輝き、みんなの共感を呼んできたサプリは、このテレビ禁止のお仕置きから生まれてきたものだったんですね。
子供の頃の経験って、本当に大切ですね。子供時代に良い経験をしていると、その後の人生の厚みが違ってくる。そんなことを教えられた気持ちです。
動物に対するしつけは、動物を擬人化して人にするような感覚で行うのではなく、あくまでその動物の習性を利用して行っていくんです。
犬は躾が出来ますし、また、躾が大切だと聞きます。
でも、猫は野生の性質を色濃く残しているため、人間がしつけることは難しい、と聞きます。
これはOreganoさんが書かれている通り、群れ習性の犬のような「従わせるしつけ」は無理と言うことで、けっして猫が野性的だからしつけに向かないということではありません。
実際、災害救助犬の訓練指導で来日した米国の訓練士は、先ず手始めに猫のしつけ・・・・というより訓練を見せてくれたんです。ビデオでしたが、まー可愛い猫ちゃん達が、訓練士の指示に従って一糸乱れぬ動きを見せてくれるんです。これには驚きました。しかし猫の特性を知ってその習性をうまく利用してやれば、こういうことも可能になるんです。
また、最近は大きな牧場では、牛を人間の意図する通りに混乱無く移動させるテクニックが使われ始めています。大量の牛が整然と牛舎から出て牧草地に向かい、そしてまた整然と戻ってくるんです。これは牛の習性をうまく利用して出入り口を含めた牛舎を設計することで可能になります。生物学の一分野である動物行動学の研究の成果の応用です。
こんなふうに、どんな動物でも、その本来持っている習性に合わせてうまく行動を誘導してやれば、人間の生活様式に合わせた行動を取らせることが可能なんですよね。
で、猫の場合なんですが、猫は単独で生きる習性の動物ですから、他者に従うという行動様式を持ちません。ところが唯一、母猫だけには従うんです。
猫という生き物は本来一匹一匹が単独で縄張りを確保して生きていくんですが、例外的に母猫を中心とする母系の家族だけは一緒に暮らせるんですね。これは猫科動物の中で唯一群れを作るライオンに近いと言えます。猫は母系家族といえども特殊な環境下でしか同居しませんが、ライオンの場合は母ライオンを中心とした群れを作ります。
ま、そんなこんなで、人間が犬のα(群れの統率者)になればしつけがしやすいというのと同じで、猫の場合は人間が「ママ」になっちゃえばいいわけなんです。
毎日両手の平で包み込むようにして体を優しく撫で、顔を近付けて人間の方から頬ずりをし、息のかかる距離で名前を呼び、そして美味しい食べ物を与える。こんなことをトータルにやっている人の指示には、意外なほどに猫はよく従います。Oreganoさんが教えてくれた「制止」法も、そういう「母猫」のような愛情を常に注いでいる人なら、かなりうまくいくことが期待できます。
猫は何歳になっても母猫を恋い慕います。喜ぶと喉をゴロゴロ鳴らすのも、嬉しくなると前足を踏み踏みするのも、みんな子猫の頃のミルクを飲む動作の延長。こういうことを猫は一生続けますよね。つまり「母猫作戦」でやっていくしつけは、どんな年齢の猫にも有効、ということなんです。
そんなことを念頭に置いて猫と接していけば、きっと危ないことや、やってはいけないことをしないように、うまく誘導していくことができると思いますよ。
こりゃもう、ただただ平謝りするしかありませんね。お仕置き弁当を有り難く頂戴して気持ちをしっかり噛みしめて、ごめんと素直に謝るしかなさそうです。
でも表面日の丸弁当なんて、開けてビックリですが、中からちゃんとおかずが出てきて、表面は怒っているけど心の中では許してくれていることがよく分かります。愛がありますねー。というか、腹立ててるのに弁当作ってくれるだけでも大変な愛です。この愛情に感謝しないとバチが当たりますね(^-^)
Oreganoさんのお父様は、ただ反省文を書かせるのではなく、それを読み、さらに深い理解へと進んでいけるようにフォローまでしてくださっていたんですね。きっと反省文を元に、色々と話し合いもしてきたろうと思います。
おそらくお仕事でお疲れになって帰宅してきた後にそういうことが行われていたのでしょうから、これはお父様にとっては大変労力のいることだったと思います。
それでも単純に叱って済ますのではなく、ひとつの失敗からどれだけ多くのことが学べるかを大切にしてくれる。これは本当に大きな愛だなあと思います。私もいつか父になる時が来たら、こんなお父さんになりたいですね。
皆さん、温かなお言葉を本当にありがとうございます。この話はいまだに私の心の中で整理がついていない出来事なんですが、少し救われた感じがします。
今はいくら何を悔やんでも、当時のことは取り返せません。私のこんな経験が少しでもいじめや差別のない、全ての人が尊ばれる世の中作りにつながっていければと、そう願うのみです。いや、願うだけでなく、行動にも現していかないといけませんよね。
こうして皆さんにレスを頂き色々なお考えをうかがうことで、少し何かが見えてきた、止まっていた何かが動き出した、そんな気がします。ありがとうございました。
慈も悲も共にいつくしみの心を表す言葉ですが、慈とは他者に楽を与えること。優しさを表します。悲とは他者の痛みをわがものとして感じそれを取り除こうとすること。これには強さが必要です。ですから時に「悲」は己に対しても他者に対しても厳しさを伴うことがあります。
たとえば修復不能なほど侵食されてしまった虫歯は抜く。歯の痛みを知っていてそれをわがことのように理解できるならば、歯痛で苦しんでいる子がいれば、恐いから嫌だとどんなにぐずっても、無理矢理にでも歯医者に連れて行くでしょう。こういうのも「悲」の一つだと思います。
そして歯医者に着いたら包み込むような愛情で子の不安を取り除いて治療に臨めるようにしてあげるし、終わったらよく頑張ったねと褒めてねぎらってあげる。これは「慈」の方だと思います。
こんなふうに慈と悲が一体になってこそ愛。そういうことなのだろうと私も思います。
SweetJellyさんのお母様は、まさにそんな方なのですね。そういうお母様の薫陶を受けて育ってきた娘さんは、きっとそれをしっかりと受け継いでいらっしゃると思います。まさにお母様が人生の師。素晴らしいですね。
ってか、私も日舞は結構好きなんです。自分では全く踊れませんが(^-^;
いつか機会があったら、お母様直伝の踊りを一度拝見させて頂きたいですねー(^-^)
凛とした気の漂う、スカッと筋の通ったお母様という印象を持ちました。
厳しい時は厳しく、そして優しい時には抱き寄せてくれる。
観音様のお心は大慈大悲といいますが、そんな厳しさと優しさを併せ持ったお母様から、
SweetJellyさんはきっとたくさんのことを学んで大人になってきたのだろうと思います。
お母様は踊りのお師匠様であると同時に、きっと人生のお師匠様でもありますね。
私はこの話を読んで、その親友はおそらく、
残り少ない時間で真剣にいじめを無くそうと努力していたTomCatさんの姿を知っていて、
友の努力を無駄にしてはならないという気持ちで頑張ってくれたんだと思いました。
親友ならそういうことはしっかりと見ていたはずですから。
それに、きっとそういうひたむきな努力は、その女の子にも伝わっていたと思います。
きっとその子は、自分の周りが変わってきたのは新学年になってからではなく、
前年度の終わりからだったと思ってくれているに違いないと思います。
人の痛みを我がこととして、大人になってからも忘れないその心に感動します。
この話はきっと人々の心に「いじめをなくそう」という勇気を与えてくれます。
楽しい上に教訓にもなるいいやり方だとおもいます。
山田君の係りをする家族が現れそうです。
中学時代は、身長が大きかったのでビンタするからしゃがめって言われましたね。
そんなこと言われてもって感じでしたけどね〜