「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきたイエルポタージュ・コーナー“イエ・ルポ”の続編。
“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?愛するマチ、好きな風景、家族のエピソード、イエでの思い出…。あったかい、ユニークな、心に残っているお話、みなさんのマチやイエならではのお話が集まって、「イエ・ルポ」本が実現するとうれしい!毎回のテーマに沿って、あなたのイエとマチのルポ、お待ちしています!
イエ・ルポ 2 #001 THEME「今なら笑える!あなたのお仕置きの思い出」を教えて下さい
ルポ例はコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20071109
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※今回の「いわし」ご投稿は11月15日(木)正午で終了とさせて頂きます。
犬は躾が出来ますし、また、躾が大切だと聞きます。
でも、猫は野生の性質を色濃く残しているため、人間がしつけることは難しい、と聞きます。
しかし、人間と一緒に暮らしている以上、どうしても「やっちゃだめ」なことはある訳で・・・
実は、うちの猫は、ある時から台所にひょいと上るようになってしまいました。
最初はあまり気にしていませんでした。衛生上云々はあまり神経質ではない方なので。
でも、あるとき、危ないことがあったのです。
ガステーブルに火がついていて、大きな鍋を載せていた時。
これは危ないと思いました。
鍋をもひっくり返したら大変だし、猫の毛に着火などしたらもっと危ない。
これは何とかしなくては、ということになりました。
それで、ある時再び、猫が流しに飛び乗った時に、こういうことをしました。
(1)猫を捕まえる。がっちりと。
(2)ガステーブルを点火。炎は弱めに。
(3)安全な距離は確保しつつ、猫に炎を見せつける。そして、大きな声で「ダメ!ほーら!怖い怖い!怖い怖い!」と叱る。
動物は炎を怖がると聞いていたので、あるいは、この方法で「ここは乗ったら怖いところなんだ」と覚えてくれるのではないかと。
あれから1ヶ月くらい経ちますが、以来、うちの猫は台所には来るけれど、流しに飛び乗ることは、しなくなりました。
しかし、これで本当に覚えてくれたのだろうか?
猫に、躾のための「お仕置き」はどこまで有効なのだろうか?
もし無効だとすれば単なる動物虐待になってしまうのだろうか?
私自身まだよくわからないのですが。
児童虐待のニュースでよく聞かれるのが、しつけのためにやったという言い訳です。しかし子供の体に致命的なケガを負わせたり、子供が立ち直れないようなショックを与えたりするような親は、自分こそしつけ直してもらうべきではないでしょうか。
最近少し時代が復古調で、体罰は必要だとか、痛みを与えなければ子供はわからないという意見が多くなりましたが、私はちょっとしたことでも体の小さな子供には大変な暴力になることの方の重大さをもっと真剣に考えてほしいと思います。
私は中学時代、数学が苦手で苦手で困っていました。あまりに成績が悪いので先生に呼ばれ、薄暗い準備室で個人面談。正直に一年生の時点で既につまずいていたことを話したら一年の教科書を持ってくるように言われ、翌日それを渡すと、その週のうちに教科書の隅々に細かく赤ペンで書き込みをして返してくれました。それを見ながら復習するとわかるわかる。半年で遅れを完全に取り戻したばかりか、それまで嫌々だった勉強が好きになるというおまけまでつきました。やっと期末で98点が取れた時、先生に呼ばれて行ってみると、今のお前の成績は先生の徹夜三日のお陰だぞと言われてデコピン食らいました。うれしいデコピンでした。
少しずつ良いことを積み上げて座布団十枚を目指すのは楽しそうですね。そしていくら善行を積み重ねても悪いことをすれば台無しになるという教訓にもなって、とてもいいやり方だと思います。こんなふうに悪いことをした時の罰だけでなく、良いことをした時のご褒美もワンセットにしていくのは本当にいいやり方だと思います。
asukabさんの娘さんの学校も楽しいやり方を取り入れていますね。座布団にしてもビー玉にしても、努力が目に見えていくと子供は本当に楽しくなると思います。ご褒美の学校図書館の貸切は、きっと子供たちの思い出に深く刻まれたことでしょう。
子供にも自尊心がありますから、人前でそれを傷つけられれば、そのことだけで頭がいっぱいになってしまいます。だから学校で叱られても、なかなか本当の反省はできません。かえって大人の顔色をうかがうことばかり上手な子供になってしまう恐れの方が強いでしょう。
恥も外聞も全てかなぐり捨てて本当に心から反省できる場所は、子供にとっては家庭しかありません。私はそういう家庭だけが持つ特別な力を存分に使っていける親になりたいと思っています。
おしおきといえば難しいですが、犬も躾けるときにご飯をすぐにはあげない事もあります。社会性を身につけるための愛情ですよね。
こどもへの愛情を持った上でどのような目的のためにしているか。そこが違います。
塾でありました!
「なんでこんな問題が解けないんだ!やめてしまえ!」といわれて
「やめてやるー!」といって出て行ったSクン。
Sクンが出ていったあとに慌てて先生と、塾長が追いかけていきました。
Sクンのお陰で授業は中断しました。
見知らぬ人間に叱られるより、友だちになった人からの言葉の方がずっと心に届きますね。子供に公衆道徳を求めるということは、子供を社会の一員として迎えるということですから、社会人のスキルとしても、子供とのコミュニケーションは学んでおいた方がいいのかもしれません。
大喜びで帰ってしまいますね。堂々と!
仕方が無いですよね、そんな親に育てられた子供が親になる・・・いやはやとんでもない時代ですね。逆ギレしますからね。
子供って、悪気があって人に迷惑を掛けているわけではないんですよ。だから誰かに叱られるとその時点での行為はおさまりますが、自分に非があったとか、具体的に何が悪かったのかといったことは全く理解しませんから、次はまた同じになってしまうんです。
私はこんな時、どうせ叱っても次に役立つわけではありませんから、子供に声をかけてお友達になることにしています。具体的には、鞄から紙を取り出して口をパクパクさせるキツネさんとか作りましてね。それで「きみきみ、お靴が泥だらけで椅子さんが泣いてるよ」なんて話しかけるわけです。これで掴みを取ったら、あとはキツネさんが公衆の中でのマナーを楽しく教えてくれるという次第。
たいてい男がこんなことを始めると、付き添っている親はビックリして警戒しますが、それでいいんです。まともな親なら、それできちんと子供を見ていないとまずいということに気が付きます。
ま、今の時代、他人に関わると何をされるか分かりませんから、いつもいつもこんなやり方が通用するわけではありませんが、一例としてそんな接し方の選択もあるかなということで。
子供って、怒鳴られたらそれだけで頭が真っ白になってしまって、何も考えられなくなってしまいますよね。そんな中で咄嗟に出た言葉「おとうさん」。もうこれは本当の本物。心の底からそう思っていなければ出てこない言葉です。
そしてこの話でもう一つ素晴らしいなあと思ったのは、肩を掴まれて顔をグイと近付けられたというシーンなんですよ。これって、お父様が娘さんの目線に合わせてくれていたってことじゃないですか。お父様はきっと膝をかがめて、娘さんの背の高さに合わせていてくれたんでしょう。
怒っていても、娘さんの顔を真っ直ぐ正面から見てくれる。この愛しみに溢れた動作。これも、お父様が心の底から娘さんを愛していることの証拠です。
そんな愛と愛が結び合って「許す」の言葉。頭に置いてもらった手は、きっと優しかったでしょうね。
おお、やばい。ちょっと私、涙目です。こういう話に弱いんです。親子って、ほんと、いいものですね。
多いですね。椅子の上を土足でピョンピョンはねたり。
わーわー騒いだり…。
結構みんな見て見ぬふりですよね。
あと、別に悪い事をしていないけど不快なのが、子供の靴を脱がせないで抱っこしている親。
割と満員電車の中で眠った子供を抱っこしている親がいたのですが、
子供が靴をはいたままで、しかもその日は雨が降っていて、抱っこされていた子供の靴は
ドロドロでビチョビチョ。
その靴が私の隣にいたサラリーマンのおじさんのワイシャツについていて…。
おじさんは気付いていませんでしたが、ワイシャツに子供の靴の足跡がついていました。
子供を連れて電車に乗るのはとても大変な事だと思うけど、
一応まわりの人に迷惑をかけないようにしてもらいたいと思う。
これはもう、ドラマ化してテレビでやってほしいようなエピソードですね。よく「叱ることと怒ることは違う、叱るのは教育だが怒ることは暴力だ」などと言われますが、これはそんな言葉には当てはまりませんね。親と子という立場の違いの垣根が取り払われて、人と人の生の心が触れ合た瞬間、バシッと。これはまぎれもなく、ひとつの愛のカタチです。
お父様の若々しく瑞々しい感性と、純粋に子を愛する思いが伝わってきます。感動しました。
押し入れに対してみんな、悪いイメージがないのはドラえもんの影響じゃないでしょうか?
ドラえもんが押し入れで寝てるのを見てみんな押し入れ=ドラえもんの部屋みたいなイメージを持ってたから、押し入れに入れられても恐怖感を持たなかったんじゃないかなと思ってます。
生徒は、それに何か対抗するっていうか、いろいろ工夫をしてましたよね。
そういうやり取りってのは結構今でもモノを考える時に役立っているように思います。
子供って、経験というものがありませんから、悪気はなくても悪いことをやっちゃうんですよね。そういう時は子供だって自分のしてしまったことの結果にショックを受けているんです。
そこで頭ごなしにガミガミガミ、とやられたら、子供は自己嫌悪のショック+叱られるショックの重畳で、肝心の反省をする余裕なんてなくなってしまいます。その点、こんな楽しいやり方なら、心に余裕を持ってじっくりと自分のしたことへの反省ができそうですね。
座布団の増減の軌跡がそのまま体験の積み重ね。そうしてだんだん分別のある心と行動が育っていく。素晴らしいやり方だと思います。
座布団の上の縫いぐるみが自分の分身のような愛着ある存在なら、さらに効果抜群ですね。お母様、Good Job!!
教科書取りに帰れって言われて家帰ってジュース飲んでのんびり帰ってきて授業が終わってるってのを何回かやりましたね。
わざと教科書忘れる生徒が多くなったので途中からグランド走らされるようになりました。
ここでのテーマは、あくまで心身共に子供のすこやかな成長を願う中で起きたエピソード。一方的な暴力であったり、子供に苦痛を与えることが主眼の行為であったり、自尊心を傷つけるやり方であったりといったものの思い出は、ここではテーマ外と考えていきましょうよ。
人によってはここに書ける記憶なんてないなあ、という人もいるかと思いますが、自分からツリーを立てるばかりがイエはてなではありませんから、様々なツリーの中から、同じ叱るにもこんなやり方があったのかとか、こんな子供時代を過ごしてみたかったとか、そんな共感の持てる話題にどんどん感想を寄せていくことで参加していけばいいと思うんです。
まだ木曜まで時間がありますから、楽しい話題がもっともっとたくさん集まるといいですね(^-^)
日本の犬のしつけは少し前までは第二次大戦中の軍用犬の訓練の仕方が下敷きになっていて、かなり厳しいものだったそうです。しかし最近はアメリカ式のしつけ方法が評価されて、悪いことをしても制止するだけ、しかってはいけない、逆によく言うことを聞いたら思いきりほめるという方法が中心になっています。それは甘やかすという意味ではなく、悪いところを押さえつけるより良いところを伸ばす方がずっと簡単ということなのです。
昔は犬のしつけというと専門の訓練士さんの領域で、ほとんどの犬は何のしつけもされないまま、吠えれば怒鳴られる叩かれるの繰り返しだったと聞きます。でも今は、ほめて良いところを伸ばすやり方が普及して、誰でもマニュアル本やビデオなどを見ながら効果的なしつけが出来るようになりました。
私は人間も同じだと思います。叱ってしつけるのはとても難しく、児童心理とか発達なんとかといった科目を大学で修めたような人でないと手に負えないと思いますが、ほめて伸ばす式なら誰でもやっていけると思うのです。子供の良いところを信じ、それを探して伸ばしてあげるしつけ方法がもっと進めばいいと思います。