「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきたイエルポタージュ・コーナー“イエ・ルポ”の続編。
“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?愛するマチ、好きな風景、家族のエピソード、イエでの思い出…。あったかい、ユニークな、心に残っているお話、みなさんのマチやイエならではのお話が集まって、「イエ・ルポ」本が実現するとうれしい!毎回のテーマに沿って、あなたのイエとマチのルポ、お待ちしています!
イエ・ルポ 2 #001 THEME「今なら笑える!あなたのお仕置きの思い出」を教えて下さい
ルポ例はコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20071109
プレゼントはコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20071028#Repo2
※今回の「いわし」ご投稿は11月15日(木)正午で終了とさせて頂きます。
子供のころの話ですが、隣のお兄ちゃんがよく柿の木に縛られて吊るされていました。
今時だと通報されてしまいそうなお仕置きですね。柿は折れやすいので、今思うとよくあんなガケの所の危ない場所で・・としみじみ思い出しました。
1991年頃だったと思う。
その日は朝から端末のトラブルやら何やらで私もいら立っていた。
というか、もともとストレスフルな職場だったから、いら立っていない日の方が少なかったかもしれない。
へろへろになって帰宅する電車の中。JR線の快速。家族連れがいた。ロングシート(長いタイプの座席ですね)に並んで座っていた。
父親は30代くらい、母親もそのくらいか。間に子供が1人居た。子供は3歳くらいだったと思う。多分、初歩的な日本語はわかるんじゃないかというくらい。
別に席を譲ってくれなんて言わない。私も20代で、そこまでへばっていなかった、いや、へばってはいたけれど、立てないというほどでもなかったし、平日に家族連れなんて、たまの(親父の)年休か何かで、貴重な時間を過ごしていたのだろうから、その邪魔をしたいとも思わなかったし。
ただ、気に障ることがあった。問題は、子供がはしゃぐことだった。
最初は、座ったまま声をあげながら父親をつねったりひっぱったりしていた。父親はそれが嬉しいのか、にやにやしていた。母親は寝ていた。
子供の行動は徐々に拡大の方向にあった。声は大きくなり、行動もグーで殴るという感じになっていた。
グーで殴るのは別にいい。所詮子供の力だし、第一、仮に怪力であったとしても他人の私がどうこうこう問題でもない。父親は相変わらずにやにやしていた。
ただ、大声は勘弁して欲しかった。いら立っていた私のカンに触るものがあった。
しかし、両親はもちろん、周囲の大人たちは皆、黙っていた。
ここで(私が)怒りだすのも、かえって大人げないというものかと思うことにした。
子供の行動はさらにエスカレートし、ついには座席に土足で上り、奇声を発しながら父親の頭を殴り始めた。
これにはキレた、が、理性が私を引き止めた。
キレているのは、周囲を見渡す限り(当事者親子=父親・母親を含めて)、私だけという感じなのだ。大人は大勢居た。誰もが意識の扉を閉め切ったように、無視をしていた。
理性が私を引き止め、理性ならぬものが子供をエスカレートさせていくという状況がしばらく続いた。
こうなってくると、これはもう私個人の問題だけではないのではないか?車内の誰にとっても迷惑な状況ではないか?
だが、車内の(少なくとも表面的な)世論は「無視」、その状況から察するに「許容範囲内」であった。滅多にあることじゃない、他人に関わるのは面倒だし、まあいいじゃないか、と。だからこれくらいは「許容範囲にしようよ」と。
だが私は「許容範囲を超えている」と考えた。私は作戦を考えた。
幸い、快速は私の下車する駅に近づいていた。沿線風景から見て、あと5分くらいか。
5分待った。5分。子供は奇声を上げ、父親はにやにやし、私はつり革につかまって、ただ、じっと子供を見ていた。子供は私を見ていなかった。
快速がブレーキを掛け、おそらく時速20kmくらいにまで減速した時、私は声を出した。結構大きな声だったと思う。
私は子供を呼び止めた。
「君!」
子供は私を見た。父親は正面を向いたままにやにやしていた。子供が呼び止められたことに気づいていなかったかもしれない。
「君!車内で大声を出すのは止めなさい!それから、土足で椅子に上るのは止めなさい!」
鋭いいくつかの視線を感じたが、その時、快速は既に停車してドアを開けていた。
私は素早く快速を下車した。脱出だ。
子供が一瞬固まったのを視界の隅でキャッチしたような気はした。両親の表情を見る余裕はなかった。
そのあと子供がどうなったかは知らない。
お仕置きというにはあまりにも不完全だろう。叱られた内容がどこまで子供にちゃんと伝わったかだろうか。
脱出の前に、あまり早いタイミングで叱り始めると、両親や周囲の大人が私に反撃してきそうな気がした。毎日使う通勤電車でいざこざは起こしたくはなかった。後々の仕返し等を恐れて「両親には私の顔を覚えて欲しくなかった」というのもある。
あの時は、そうするほか思いつかなかった。
だが、あれでよかったのだろうか?そうでもないような気がする。
もっと良い方法はなかったのだろうか?
それはたしか心理学の本か何かで読んだ記憶があるような、わりと有名なしつけの方法だったような気がします。
なかなか賢いお仕置きですね。
めちゃくちゃ面白いです。テレビで再現してほしいくらい。
親戚、やるなー。
学校からの報告でざぶとん 0 は痛かったですね。笑。
でもそのゲームみたいなやり取りが3カ月後も続いているところに感動です!
すごい思い出ですね。牛乳ってそのままだとすごい匂いになるのできれいになってよかった!
これだけまじめに考え、反省するTomCatさんの思いは絶対彼女に通じていて、きっと幸せにやっていますよ!
なのでTomCatさんは鉄瓶でおいしいお茶を淹れてこれからも周りを温かくしてあげてください!私にも入れてくださいね!かわいぃAAで!
クラスがかわってうまく行ったのも、ご縁みたいなのとか運気や全体の雰囲気の時期もありますし、担任の影響も大ですし、彼女自身の体調や気分の調子もありますよね。
たまーに大人は、自分ができないことを棚に上げて子どもにやらせようとしたりするし。
一度できてしまった、30人、40人の雰囲気を一人でかえるなんて大技は、よしもと芸人の子どもの頃でも難しいんじゃないかと思いますよ。
給料もらってる大人にもできないこと、子どもには荷がおもいっすよ。
子どもなんて授業料払って勉強に来てて社会経験も短い勉強中の身だから。
あ、何かきたいかわからなくなってしまった!!
そうそう、だいじょうぶっていいたかっただけだ!
TomCatさんですから!
~~旦_(^O^ )
きのうとなりのおじさんからもらったレモンのレモンティどうぞー!
ところでto-chigさん、
私も特別席ありました!
一時、来た順に好きな席に座っていい時期があったので、遅刻ぎりぎりにきた人はかならず教卓の前!
ちょっとおもしろかったです!
ゲームが好きな子供にはゲーム、テレビ禁止令はかなりショックな事ですね。
でもその代わりに色々な所に連れて行ってくれたご両親、素敵です。
いろんな発見、体験のあった素敵な思い出ですね。
暖かいお話をありがとうございます。
一番大切と言ってもらえてお父さんもすごく嬉しいと思います、ずっと心に残っているので今でも言われるのだと。大切な物がお父さん、お母さん。子供はみんなそうですよね。
お父さん、お母さんとは言わないだろうな。
適当に取り上げられてもいいようなものを答えてしまったんじゃないだろうか?と思ったりします。
気孔の効果についてはあまり期待できなかったようです。
病は気からと言うので思い込みで治った生徒もいたみたいですけどほとんどの人は効果がないって言ってましたね。
もちろん本人には言えなかったんですけどね。
これを破ると数日ゲームをどこかに隠されてしまいました。
あと、テストであまりにも悪い点を取るとゲーム禁止になってました。
今だったらテレビもゲームもなくても平気ですがあの頃はかなりきつかったですね。
私の知ってる先生は「ひねりもち」でした。ほっぺたをひねられるんです。
忘れ物したりしたらひねりもちでしたね。笑
気功の先生、そういうの、おもしろくっていいです。
さわやかに気功でどんどん病人を治して言ってほしいっす。
鉛筆2本持ってって面白いですね!
私の友人は誰にも分からないくらい上手に宿題のテキストをカッターで根元から切って、薄い問題集を作って提出していました!
彼女は大物です!
私もチョークがとんできたことがありますよー。
ご両親も不自由を覚悟で子供と一緒にテレビ無し生活。
そしてテレビやゲームからでは得られない最高の夏休み体験を次から次へと与えてくれる。
すばらしい話ですね。
この時の体験が今になっても生きているというところがまたすばらしいです。
このお仕置きで一番大変だったのは、実はご両親の方だったのではないかと思います。
本当にすばらしいご両親ですね。
みなさんそれぞれ押し入れ思い出話があって興味深いです。
親って、ありがたいもんですね。しみじみします。
私は押入れにいれられたことはなくて、いつも自分で入っていました。笑
布団がたくさんあって、せまくって秘密基地みたいで好きだったんです。
自分だけの空間みたいな。
すごいなぁ。
産むならそんな事いってくれるこどもがほしぃです。
でも、本当にそうだなぁ。今も、とっても親は大切です。
私は小さい頃からだが弱くて、よく医者に行っては痛い思いをしていたんです。
幼稚園は半分くらい出席できなかったような。。
今でも覚えているのが、耳鼻科。
「中耳炎になると膿を出すため穴をあける」方法をとっている耳鼻科に行っていたので、いつも帰りは痛くてわんわん泣いていました。風邪を引くと耳が痛くなる癖になっていました。(その後違う耳鼻科に変えたらぴたりと治りました。でもそれまで長い間ずっとそこに通っていたんです。)
だから歯医者さんもものすごく怖かったんだと思います。
だけど、この歯医者さんのおかげで歯医者さんが怖くなくなったんです。
楽しいところになりました。
その歯医者さんはお子さんがいらっしゃらない夫婦のご年配の方で、私の家は兄弟も多くて服もお下がりを着ていたりしたので、きっとかわいがってくださったんだろうなぁと今は思います。
だいぶ大人になってから一度治療に行きましたが、少し恥ずかしかったです。
今日は心でいっぱいあの歯医者さん、いろいろ工夫してくれた母にお礼を言います。
親子が同じ人間として真っ直ぐ向き合っている姿に感動します。
もう、なんと言っていいのかわかりません。
体罰は良くないと言われますが、このビンタは体罰ではありませんね。
お父様の優しさが心に染みてきます。
本当にありましたよね、でもそれやるってとっても勇気要ります。
木に縛られて吊るされる……とはショックです。
しかもご説明によると、柿木+崖っぷち!
子どもの人権が蔑ろにされていた昔は、こういう光景、きっと多かったのでしょうね。