歌詞の意味を分かりやすく教えてください。
「君」とは自分自身(信者)釘の音とはゴルゴダでの処刑を意味します。
↓解説+ビリー・ホリディの「奇妙な果実」と並んでいて分かりやすいです
http://kobemasschoir.org/rev/rev20001107.html
↓注意:音楽が流れます
歌詞内容は聖歌第400番と同じで、ルカによる福音書32章~49節がテーマです。
正しい解釈はひとつだけではありませんので、いくつか紹介します。
きみもそこにいたのか
http://promises.cool.ne.jp/Were_you_there.html
ゴスペルネットワーク 誰がイエスを十字架に
http://www.edita.jp/gospenetwork/one/ron@gospel46.html
身につまされるスピリチュアルがありました
http://www.edita.jp/bigmama/one/bigmama24071589.html
Yamato Calvary Chapel
http://www.yamatocalvarychapel.com/enkai_report/20050814.php
誰がイェスを殺しているのか?その1
http://www.bible101.org/nomura/crucify01.htm
06年度説教要約 4月9日 ルカによる福音書32章~49節
コメント(1件)
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ここの説明がわかりやすいです。(05年3月20日項)
http://72.14.235.104/search?q=cache:Z06IQjnRelEJ:j-ken.com/category/all/data/629064/+%E8%81%96%E6%AD%8C+400%E7%95%AA&hl=ja&ct=clnk&cd=43&gl=jp
キリスト教信者ではないので、深い部分で違っているかもしれませんが、、、
「君」とは処刑の場にいたすべての人々であり、キリストの受難を知っている後世のすべての人々であり、あなた自身でもある。ということだそうです。
賛美歌を歌う人でもあり、聴く人でもあるわけです。
「釘」は1の回答者様のとおり、ゴルゴダの丘でイエスが処刑された時の描写です。
なんで、「心が震える」のかというと、イエスの処刑のいきさつに関係します。
処刑に関して、多くの人が彼を落としいれ、裏切り、目をそむけたりしたのに、彼は恨み言をいうでもなく、人のせいにするでもなく、すべての罪を受け入れて処刑をうけました。
これは、彼が我慢強かったのではなく、罪を犯して苦しんでいる人を理解し、その人の罰をも受け入れてくれたということらしい。なので、「処刑=皆が神から受けるべき罰を、彼が引き受けてくれた」 という事なんだそうです。
そして、彼に罪をきせた人や、怖くなって逃げた人、泣いて祈る人、色々いたけれど、さてあなたは、この十字架に、どういう気持ちで向き合いますか? という歌のようです。
だから、きっとこの賛美歌は、「君」の置かれた状況によって、様々な問いかけを投げてくるのだと思います。
私たちはいつもイエス様の十字架の下にいて、罪を許されているのだ。
十字架の事実を忘れずに、イエスの受難をいつも心に刻んでゆこう。
その処刑の場にいた当事者のように「君もそこにいたはずだよ。どんな気持ちだったかい?」と語りかけているのですね。
この歌が、例えば人種差別のような状況下において、自分の苦しい状況をイエス様に重ねたり、自分の罪をイエス様がかぶってくれたと感じたりして、心が震える、癒されることになるみたいで、それがゴスペルソングとして流行した背景とのこと。
http://www.wlpm.or.jp/passion/scene6.htm
乱暴な説明ですが、かいつまむと、こんな感じです。