http://www.melma.com/backnumber_10441_267434/
<インド不参加の理由>
インドはこの講和会議に参加するかどうかを決める時に、2つの点を判断の
手掛かりにしたという。一つ目は平和条約が日本に対して、国際社会の中で名
誉、平等、満足を伴う地位を与えるかどうかである。二つ目は平和条約が極東
諸国の親睦と友好に貢献するかどうかである。インドは、実際の条約はいずれ
も満たしていないため、会議への不参加を決めた。
名誉とは逆だよね。↓
第六条「日本との協定による外国軍の駐留はさまたげない」
確かにそうですね。パール判事も同じようなことを言っていたと思いますが、それが当時のインドの意見だったと考えていいんでしょうか?
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/25/rn1953-621b.html
幾つの理由が挙げられているようですが、表向きの理由は中国の代表として毛沢東ではなく蒋介石を選んだことに反発したということになっています。
ただそれを100%信じられるかというと私は信じていなくて、戦前からインドは日本派だったからあるいは反英派であり、米英主導の講和会議に参加することに嫌悪感があったからだと考えています。
例えば日本に亡命したボースに国内から独立運動をすることを許していますし、戦中もあの悪名高いインパール作戦にはインド国民兵が参加しています。
つまり、現在なら日本人ですら信じていない大東亜共栄圏構想を戦後も信じ、米英主導のサンフランシスコ講和条約を締結することによって自国を含めアジアの諸地域が再度英国の植民地と化してしまうことを恐れたというあたりが本音ではないでしょうか。
ありがとうございます。ほとんど語られていない、興味深い話ですね。参考文献などありましたら教えてください。
早速の回答ありがとうございます。よく講和条約は「寛容」だったといわれますが、インドは条約が日本に「名誉、平等、満足」を与えないと見たのですね。それはなぜなのでしょうか。