1、人間のモラル、人格の低下
2、人口過多
関連性があると思うなら、どのような仕組みで関係しているのかご説明お願いします。
JCCCA Web::全国地球温暖化防止活動推進センターWebサイト - (3) 温暖化の原因は?
http://www.jccca.org/content/view/1118/766/
地球の平均気温が14℃と生物に適した温暖な状態に保たれているのには、地球を取り巻く大気が大きな役割を果たしています。大気中に含まれるある種の気体は、太陽光により暖められた地表面から宇宙空間に向かって放射される赤外放射を吸収し、それを地表面にむかって再放射しています。この作用のために、大気は暖められ、温暖に保たれているのです。こうした気体を温室効果ガスと呼びます。もし、このような気体がなければ、地球の平均気温は-19℃であり、氷の世界になってしまうということです。(参考資料・イラスト/温室効果ガスと地球温暖化メカニズム)
http://www.jccca.org/content/view/1038/779/
温室効果ガスとしては、二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素、フロン類などがあります。(参考資料・グラフ/温室効果ガスの特徴)http://www.jccca.org/content/view/1037/778/ さらに、大気中の水蒸気も大きな温室効果を持つことが知られています。
このように重要な役割を果たしている温室効果ガスですが、近年、これら温室効果ガスの大気中の濃度が急激に増加してきていて、それに伴い、地球の平均気温が上昇していることが大きな問題になっています。これが、地球温暖化問題です。
温室効果ガスの中でも、地球温暖化に最も大きな影響を及ぼしているのは二酸化炭素です。地球温暖化の6割は、二酸化炭素の増加による影響とされています。(参考資料・グラフ/温室効果ガスの地球温暖化への寄与度)http://www.jccca.org/content/view/1036/777/ 特に、日本においては、排出される温室効果ガスの9割以上は二酸化炭素です。(参考資料・グラフ/日本における温室効果ガス別排出量2003年) http://www.jccca.org/content/view/1044/814/
18世紀に始まった産業革命により、石炭・石油・天然ガスなどの化石燃料の使用が急増し、大気中の二酸化炭素濃度は産業革命以前(1750年頃)に比べ約30%以上増加しています。(引用文献*1 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)「第3次評価報告書」2001年 )、(参考資料・グラフ/二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素の大気中濃度の変化・過去1000年) http://www.jccca.org/content/view/1035/776/
二酸化炭素は、近年、私たちが地中から石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料を大量に掘り出して燃やしていることに伴い、大気中の濃度が増えてきています。化石燃料は、燃やすと大きなエネルギーを得ることができますが、大量に二酸化炭素を大気中に放出します。化石燃料を燃やすということは、私たち人間が便利で快適な生活をしてエネルギーを大量に消費するようになったことと深く関係しています。例えば、自動車などの交通機関の燃料として、工場での燃料として、電気を発電するときの火力発電所での燃料として、暖房用の燃料として化石燃料は燃やされています。また、植物は光合成の際に二酸化炭素を吸収しますが、森林が刈り払われて、土地が開発されていることも二酸化炭素の増加に影響を及ぼしています。刈られた木が燃やされるときにも二酸化炭素が出ますし、二酸化炭素を吸収する森林が失われるためです。
同じく温室効果ガスの一種であるメタンは、腐ったゴミ、水田などから発生するほか、牛や羊、山羊などのゲップにも含まれています。
一酸化二窒素は、物の燃焼や窒素肥料の施肥などにより発生します。
フロンガスは、人間が全く新たに作り出した人工化学物質で、スプレー缶や冷蔵庫・エアコンの冷媒などとして使われてきました。オゾン層の破壊の原因物質でもあることが判明したため、1987年にできたオゾン層保護の国際的な約束「モントリオール議定書」により規制されることとなりましたが、そのかわりに近年使用量が増えているのが代替フロン(HFC、PFC、SF6等)です。これらはオゾン層を破壊することは少ないので、フロンの替わりに使用されることが多くなって使用量が増えているのですが、強力な温室効果ガスであることには変わりがないので、地球温暖化の面からは問題となっています。
いずれも、温室効果ガスの増加には人間の生活・生産活動が大きく関与しています。
環境と倫理とのかかわりについての学問のことを、環境倫理学といいます。
日本では、いろんな人が環境倫理についての研究を進めており、たとえば今道友信氏はエコエティカ―という環境倫理を提唱しています。
エコエティカ―生圏倫理学入門
環境倫理学のリンク
デリー会議(COP8)で、倫理的観点から全国でネットワークを広げる民衆組織「倫理と気候変動・インド ネットワーク」(INECC)が環境倫理の観点から発言していました。
JCCCA Web::全国地球温暖化防止活動推進センターWebサイト - vol.69 デリー宣言の文案 明らかにされる
http://www.jccca.org/content/view/377/600/
この集会に先立って、INECCは26日、デリー市内にあるインド・プレスクラブで記者会見を行いました。
この記者会見で、インド科学技術省専門家委員会の元委員長である人類学者のK・C ・マルホトラ博士は、「自然に頼った彼らのライフスタイルこそが、温室効果ガスも出さず、最も持続可能なのです。破壊された森林の回復が進められている 今、二酸化炭素をたくさん出している富裕な国が吸収源と呼んでいる森を守っているのは、最も貧しい人たちなのです」と語りました。「京都議定書を批准していない米国は、このような貧しい民衆のことを考えていないのです。これは倫理的な問題ではないでしょうか?」
INECCのマルホトラ博士の指摘は重要です。マルホトラ博士をふまえて考えるなら、“先進国の”人間のモラル、“先進国の”人格の低下、“先進国の”人口過多については、地球温暖化などを始めとする環境汚染の要因となっていると考えることは可能と思われます。
ここ最近になってモラルが低下したわけではなく、普通の生活手段が環境を破壊する行為になってしまったと考えます。
昔の人だって暑ければ涼しくなりたいだろうし、歩くのがいやなら馬やカゴ等に乗って移動したはずです。
その行為はモラルが低いとは言えないでしょう。
現代人はその手段が変わっただけで、それらの欲求を満たすために行動したら環境破壊になってしまったと言えないでしょうか。
(別に環境破壊がいいと言っているわけではないです)
人口過多についても、直接は関係ないと考えます。
現代型の生活が環境に与える影響は、人口が増えることによって加速されたということは言えると思いますが、
「人口過多=環境悪」ではないと思います。
大昔の生活環境で人口がいくら増えても影響はなかったのではないでしょうか。
純粋なモラルとして考えるならたとえば
・平気で街中にゴミを捨てる人が多くなった。
ぐらいしか思いつきませんが、「楽をしたい」「自分が快適であればそれでいい」という気持ちまで含めてモラルや人格の低下と捉えるなら、
・少し暑い、寒いだけでエアコンをつける
・少しも距離でも自動車で外出
などもあげられると思います。
いつのまにか、人間が他者や環境のことを考えなくなり、ひたすら自分のことだけを考えて行動することが多くなった結果、環境の破壊も招いていると思います。
今年の夏は確か70年か80年ぶりに日本の歴代最高気温の記録を塗り替えていましたが、なぜそれほど時期を開けて塗り替えたのが不思議に思ってましたが、当時はまさに戦争をしていたから異常に暑かったということでもあるのでしょうか?
しかし不思議に思うのは、映画「ALWAYS3丁目の夕日」などでも見られるように、戦時近くの時代の方が現代より人々の人情が熱かったと言われがちな点です。
また、戦後は精神至上主義から物質至上主義の時代に入ったともよく聞きます。
戦後、日本のモラルは結局、向上したのでしょうか?
思うに戦後直後に向上して、そこからしばらく経つとまた下降線に入ってしまったのでしょうかねえ?
いつもながら、あなたのレスにはどこか不愉快さを感じる。
それらの国にだっていい所はあるでしょうし、日本にだって悪い所はあるでしょうに。
1、人間のモラル、人格の低下
ここではモラルと人格はほぼ同一のものとして述べます。
モラルが高ければ、環境の状態を判断して少しでも温暖化などを誘発する行為はやめておこうと努力するだろうが、低ければそのような判断をしなくなります。たとえば、「みんな湯水のごとくにエネルギーを使っている。オレだけ節約したって」と考えると、環境は破壊されていきます。そうでなく、たとえ他の人がだめであったとしても自分(たち)だけでも環境を破壊しないようにしようとすれば、そこから環境保全への動きは始まり、周囲を巻き込んで加速していきます。
もっとも環境破壊の著しい行為は戦争です。そして、戦争を誘発するのは経済の仕組みと民族的感情と政治的動機と破壊への誘惑です。一見モラルが高そうな人であっても、心の底で自己の利益を最優先していたり闘争心が強すぎたり破壊本能に勝てなかったりすると、意外にあっさりと群集心理に飲み込まれ、戦争に荷担する結果となってしまいます。昭和半ばの日本・イタリア・ドイツのみでなく、米英等の各国もそうでした。
自分が依って立つ価値観をしっかりと持ち、他者に振り回されないことでのみ戦争しない意志を継続することができます。ここで、モラル・人格の高さが大きな意味を持ちます。
2、人口過多
すでに発言が出ている通り、影響力の小さな人口が少々多くても、環境への負荷は大きくはなりません。むしろ、少人数でもエネルギーや物の消費の多い人の活動の方が影響が大です。
しかし、貧しいことが環境負荷の小さいことにつながるわけではありません。
たとえば、アフリカのサハラ以南で起こっていることですが、ゲリラ戦などで疲弊した国が崩壊し、無一物で難民化した人々が、生き延びるためにわずかな周囲の水をくみ上げ辛うじて家畜を飼い草木や糞を燃やして食事を作ることなどにより、徹底的に植物の無い土地を作り出しています。その結果、土壌流亡を起こして土地が痩せ、食料生産ができないようになっています。
そのようなことを考えると、政治的・経済的動機でそれらの地帯に武器を供給し戦争を促しつつ停戦を妨げている人々の責任はまことに重大です。
1.2.をまとめていうと、人口過多+戦乱や国の崩壊・モラルの低さは、環境汚染のみならず環境破壊すべての大きな要因です。
一応関連があると思って書きますが、何か文献を当たったわけでは無いので、そこら辺ご了承ください。
1としては、自分(達)だけ便利であれば良いという人間が増えた事によって、例えば自分の快適な生活のためにエネルギーをずっと無駄に消費したり(冷暖房や照明、動力など)、自分の水準を上げる為に森を破壊したり(焼き畑農業や過剰な森林伐採やゴミの不法投棄など)するでしょう。
エネルギーを作るには現状ではまだ大量の二酸化炭素が出ますし、森がなくなれば二酸化炭素を減らす事が出来なくなるので、モラルの無い人が増えれば環境はどんどん汚染されるでしょう。
(贅沢な生活に慣れてしまったので、わがままな人が増えてしまったということもありますね。)
2としては、人間が多くなれば消費するエネルギーも増えるので、それだけエネルギーの消費が増え、その結果環境は汚染されますね。
この様な内容で良かったですかね?
よりよい生活を追及すればエネルギーをそれだけ消費する。アフリカの貧民なんて何億増えても地球温暖化とは無関係。中国とかインドがすごい勢いでエネルギーやら食料を食いつぶしている。
広い空間に少数のマウスと狭い空間にたくさんのマウスをいれて一定期間観察しました。当然後者のマウスはストレスがたまり、様々な変調をきたしました。
今一般に報道されているのは都市部や人口過密地帯のの人間のモラルの低下だと思います。人口過密によるモラルの低下は実験的にも証明されていますが、それが直接自然環境に影響しているわけではないと思います。
人間の生活スタイルの変化による消費量が自然の循環量を凌駕したために、循環が狂い、自然環境が悪化しているのではないでしょうか?もちろんその生活スタイルを創り出すのは都市部の人たち(または彼らを糧にする企業)ですけど・・・