今、世間ではギョーザの話題でもちきりですが、これから日本の食の安全はどうなっていくと思いますか?
生産する側、販売する側、消費する側、その意識、世界市場との戦い、経済、デフレ、食料自給率、安全、安心、偽装問題、外交・貿易問題などなど・・・
マタリと意見をください。
1960年代と現在では食料の自給率は半分近くになってしまっています。
食の安全とは食品の安全性も大事だと思いますが、人が生きることの根源である食料の生産を海外に依存していることも問題な気がします。
春から小麦の価格が一気に30%も上がるということですが、食品に限らずある日突然、一般的に流通しているものの価格がこれほど大きく変わってしまうのはちょっと記憶にありません。
為替の変動や燃料などの輸送コストの変動、また戦争などの政治的な要因で食品の価格が大きく変わってしまうのは、ぼくたちの生活に直接大きな影響を及ぼすことになりますね。
ロシアを征する気だな。
ですか・・・。
ドリさん頑張ってください。
正露丸飲んで凌ぐ位のワイルドさが日本国民には必要ってことだな。
中国産食品の嫌気傾向はしばらく改善されないと思います。
周囲の人も中国産のものを(知っていれば)口にしたいとは思っていないので。
国内でも悪質な業者の偽装が次々発覚しており、今こっそり偽装をしている業者でも、
偽装で悪質な材料を用いて一儲けしようとは考えにくくなっているのではないでしょうか。
ちゃんとした食品を食べられることの信頼、というものがこれから重視されていく
ことになると思います。
土地かって自分で野菜や米を作って自給自足するしかない。
その土地が土壌汚染されてるかもしれませんが今の時代。
「日本を大事に」ですね。
最近の世論調査では日本や日本人に誇りを感じる人が多いとの結果がありましたね。当然といえば当然ですが。
価格comなどの比較サイトでは品質もそうですが、なにより価格のしのぎあいが凄まじいですよね。そういう自分もちゃっかり使っているんですけど。
まったくおっしゃる通りですね。
私が思うに、日本人がもっている良さが最近では失われてきていて、何が大事なことなのか、何を尊重すべきなのかが
わからない時代になってきたと思います。
それをグローバル化というのであれば、そんな流れには乗るべきではありません。
もっと日本人は日本という国に誇りを持ち、日本を大切にすべきです。
なにを言っているか良くわからない文章ですみません。
という考えが染み付いている気がします。私もそうです。
選択肢も広がって、ネットも普及して、市場はグローバル。
「もっと安くもっと安く」の消費者が、結果的にですが、こうした流れを作る一端にもなっていますよね。
「最近はアホなテレビ番組しかない」と嘆く人もいるが、「アホなテレビ番組を楽しみにする人が多い」という事実に似ている気がします。
メディアもただただ煽るだけでなくて、消費者の意識や販売者の意識が良いほうに変わっていくことを祈ります。
食の安全についてはここ最近問題になっていますが、こういったことは昔からあったのではないでしょうか。
私などはむしろ、昔のほうがいいかげんだったように感じます。
消費期限偽装については最近話題に上がりますが、零細商店でのラベルの張替えなどは昔からまことしやかに言われていました。
法令順守の考え方をする人が増えて、内部告発もメディアで取り上げるようになったので偽装が多くなったように感じるだけと思います。
消費者をだますことで痛いしっぺ返しをもらうということが浸透してきましたので、これからはだんだん減っていくのではないかといい方に予想します。
中国で農薬を洗う洗剤があるとニュースで取り上げているのを見ましたが、日本でも昔、野菜や果物をママレモンで洗うのはごく普通のことでした。あえて商品名をあげたのは、ママレモンの用途として、野菜洗いが公式に掲げられていたからです。洗う理由は農薬ではなく、ばい菌かなにかを落とすためだったと思いますが、ママレモンで野菜を洗っていた頃、日本でも農薬の悪影響が問題になっていたはずです。カネミ油症事件のような、食品に危険な薬剤が混入していた事件もありました。日本の食は、決して昔から安全だったわけじゃないです。今も安全かどうかはわかりませんけど、昨年は偽装だらけでしたし、雪印の事件も記憶に新しいです。
現在の食の安全については、生産者、加工者、販売者それぞれの段階の問題もありますが、すべて包括的に考えると
現在の日本の経済があまりにも困窮しているためだと思います。
以前なら安い商品は「安かろう悪かろう」という観念があり、安い理由には裏があることははっきり認識していたと思います。
ところが、アジア国の安い賃金をあてにとにかく安い商品を販売するようになった。
それとともに日本経済(労働者賃金)の低迷によって、多少品質が落ちても安いものを買わざるを得なくなっているのです。
したがって、生産者に対してもとにかくコストダウンを求めるため、生活するためにモラルを捨てて、「良くない」とわかっている
生産物を出荷せざるを得なくなっています。加工業についても同様です。
結局 食の安全 を高めたいのであれば、良い商品を選ぶ目を養い、多少高くても良い商品を買えるという日本経済にならなくてはいけないのです。そのためにも企業は労働者への賃金は正当な額を支払いし、国民の購買力を高めることが最大の課題だと思います。
子供の頃(30年くらい前)うちのじーちゃんと外食してぼくがハンバーグとか頼んだ時、「ひき肉なんてどういう肉か分からないものを子供にたべさせるな」と両親に文句を言っていたのを覚えています。
近所の顔見知りの肉屋で買ったひき肉ならともかく、繁華街の通りすがりの店のひき肉なんか、どういう素性の肉か信用できないという感覚です。
ぼくの両親世代だとひき肉についてこういう感覚はうすい見たいですが、祖父の世代だと食料が不足した時代をくぐり抜け来たせいか、市販されている加工品を信用しない感覚がかなり強いみたいです。
すっかり忘れていた出来事ですが、ミートホープ事件の時にふと思い出しました。
今回のギョーザの件で再びクローズアップされている中国の農作物や畜産物の農薬、抗生物質など薬の問題も、記憶を掘り起こしてみると数十年前には日本の食品にもそういう問題はたくさん指摘されていましたよね。
最近の中国の食品についての報道を見ていると、なんとなく昔の日本を見ているような気がします。
そうやって考えてみると今までも日本の食品が安全だったわけではなく、ただ消費者がそう思い込んでいただけなのではないか、もしくは比較的安全な時期があったとしてもそれはここ最近のごく短い期間だけのことではなかったのかと思いますね。
ついつい安いものを買ってしまいがちですが、地元のブランド (お米とか牛乳とか) がある食品はちょっと高くても買ってます。
めぐりめぐって自分の住んでいるところが豊かになるかと思って。