日本だと、小学生への英語教育は年齢が早過ぎる、まずは自国語を習得してから外国語を学ぶ必要があるから小学生に英語教育するの駄目だ、といった見解が、けっこう広く受け入れられてますよね?
でも日本と同様に非-印欧語を母語とする、フィンランドでは9歳から英語をはじめとする印欧語の教育が始まり、韓国では小学3年生から英語の教育が始まります。
そして、この二カ国で、子供たちが自国語をきちんと習得できなくなったなどという話は聞いたことがありません。
別に、小学校での英語教育をやったところで、自国語が変になるなどと云うことは無いのではないでしょうか?
それから、早期英語教育は自国語の習得を妨げると考えている人々は、フィンランドや韓国の事情を、どのように受け止めているのでしょうか?
「フィンランドとか韓国とか、そんな遠くの国のことは知ったこっちゃねえ!」って事でしょうか?
「小学生」に英語を教えるのは問題なくても、
「小学校」で英語を教えるのはヤバい可能性が大ですね。
中学・高校的な英語教育が、そのまんま前倒しで行われたら悲惨です。
「とにかく辞書引けぇー」とかバカの一つ覚えで教師に指導されたら、タマランです。
既にそこそこの教養があり、思考能力がある段階で外国語を勉強する場合
辞書ひけ!は有効ですし基本です。
教養なんかまるで無い段階では辞書引いてもそれをどうすることもできません。
子供の内の外国語教育は幼児教育にほかなりません。
日本語を覚えたように外国語を覚えることになります。子供にとっては2重の負担です。
早晩どっちかがメインに(子供同士で過す際の言葉)なると思います。メインになった方が定着しかかった時に
別の方の環境へ戻ると言語能力が破壊されるように思います。
帰国子女と呼ばれるタレントさんやスポーツ選手に「天然さん」が多い理由であると考えます。
教えるほうがちゃんとしないと話にならない。中学校から英語を教え始めてある程度モノになるような教育体系ができてから時期を早めるべきでしょう。教える人材・能力が足りない上に、それにそぐわないカリキュラムを組まれて教師はかわいそう。生徒はもっとかわいそう。
中学のカリキュラムの改善だけでも、かなり生徒の英語力向上は期待できるので、それはやったほうが確実に良いですね。
ただ、中学カリキュラム改変より前に小学校での英語教育導入することにも価値はあります。
それは中学入試に英語を出題できるからです。
「受験競争加熱が・・」とか心配する人が続出するでしょうが、過熱したら過熱したで構いません。
一部の受験生本人と保護者と、それから中学の問題作成・採点者が冷静であれば良いのです。
ちゃんとした、真っ当な試験問題を果たせば、その真っ当な試験に合格した生徒の英語力は上がっていますから。
要は、質の高い出題の学校を選べば良いんです。
質の低い問題を出す学校の偏差値競争なんて、無視しろ!って感じですね。
大学入試を変えない限り、高校入試→中学入試もその授業内容も変えられないでしょうね。
今のままだと何をやっても無駄のように思います。
そして、英語で日常生活や普通の意思疎通ができない英語教師が多すぎるというのに導入時期ばかりはやめようとするはいかがなものか。
旧帝大とか、上智とか慶応とか、立教青学中央の一部の学部とかの入試は、悪くない筈です。
ただ、本当に「読解だけ」に限った話ですが。
発信能力を殆ど問わないから(英作文が出るとこもありますが)、受験生間での競争が「読解」面においてのみ行われ、その結果、読解以外の勉強をしたい子も仕方なく読解至上主義の学び方に染めらてしまう。
これが受験英語の最大の悲劇でしょうね。
小学校で教えるか教えないかの2択だと話が苦しくなります。どのように英語を教えるかが問題となるべきでしょう。
小学校で導入するとなると、現職教員に対する綿密な研修が必要に思います。早急に導入してしまうと、指導方法がわからなくて……という教員が多く出てくる気がします。
英語力が低いですから。
新たに教員を雇い入れる必要があります。
英語の専門教員を。
でも、学校関係者はイヤがるだろうなぁ。部外者が入ってくることを。
小学校による英語教育と考えると疑問を抱かざるを得ないかなぁ。
私は英語は全然ダメなんですけど、だからと言って小学校から英語を学んでいたらもっとマシになってたのに、なんてひとつも思えないんですよね。
小学生未満の子供への早期英語教育には懐疑的ですけど、小学生くらいなら英語を学び始めてもいいのかなと最近は思っています。
でも義務教育にその一部でも期待する気にはなれないかなぁ。