真珠湾<奇襲>論争 陰謀説・通告遅延・開戦外交
結論から言うと、陰謀説は陰謀説の域を出ない信憑性しか認められません。上記の論文で指摘しているように、陰謀説は“大日本帝国の外務省本局と米国大使館の意思疎通不全の失策、奇襲攻撃の外交的失敗”という事実を塗りつぶす効果があります。
また、真珠湾攻撃陰謀説を唱えている人は、日本ではもっぱら歴史修正主義者であり、特定傾向がみられることからも、陰謀説の信憑性は検討するに値しない程度のものと考えて良さそうです。
まず日本が奇襲してくることを知っていたことは間違いないと見ています。それが真珠湾だと知っていたかには疑問がありますが。
宣戦布告が真珠湾攻撃の後で行なわれたことは知られていますが、その内容をアメリカ政府は事前に知っていたとされています。つまり手続きは事後であったものの知っていたことを意味します。
http://www.yumani.co.jp/detail.php?docid=296
それが真珠湾攻撃であったことを知っていたかとなると疑問が多すぎます。例えば攻撃時に空母が湾内にいなかったことを証拠とする説がありますが、当時は戦艦を中心とした大艦巨砲主義が中心であり、軍事に素人のルーズベルトが陰謀の中心なら空母を残して、戦艦を湾外に出していたと考えるのが自然です。
アメリカ側が日本の暗号を会戦前に知っていたとするには少し無理があると思いますが。
ある程度の信憑性はあるかと思います。
(あ、ちなみに私は右でも左でもなんでもないです)
どうしてかというと、1999年ごろ、真珠湾攻撃を職務怠慢で防げなかったという理由で、首になった軍隊の幹部の遺族が、「事前に真珠湾攻撃をアメリカ軍部は知っていたので、幹部の責任はない」という訴訟を起こしたと記憶しています。
ニュースで報道されていました。
それで、アメリカの情報公開制度で、真珠湾攻撃に関する機密文書が情報公開され、上院、下院とも、「事前に真珠湾攻撃をアメリカ軍部は知っていたので、幹部の責任はない」という遺族の訴えを認めて、名誉が回復されたということがありました。
なので、アメリカの上院と下院が認めるくらいには信憑性があったのではないか、と思います。
詳しい経緯をまとめたものサイトが見当たらなかったのですが、下記のサイトがある程度まとめているので紹介します。
ただ、上院、下院が遺族の訴えを認めたというのは確かですが、それ以外の部分が、全て正しいかは保障しかねますが、参考までに。
ショートとキンメルのことですよね。これは大統領の署名がクリントン、ブッシュもしてませんので上院、下院決議の投票は僅差で可決も、却下です。ただし、議会は見解は名誉回復したといっただけ。
ただし、このサイトみるとすごいことかいてあるなあ。
#A4です。私宛コメントに反論及び補足させていただきます。
当時の政府の外務省で使われていた外交暗号はパープル暗号と呼ばれ、1940年頃までに解読されていました。復号機をどうやって製造したかについては諸説ありますが、少なくとも一部はスパイにより盗まれたと考えるのが妥当です。
http://dateiwao.fc2web.com/purpleango.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A...
確かに海軍のD暗号は開戦当初は解読されていませんでしたし、一般船舶用のS暗号は重要な情報の送信には用いられず、解読が後回しになったことからその解読は後回しにされました。しかし外交文書を記述した外交暗号は解読済みであり、そこには攻撃目標が真珠湾であることは書かれていなかったのです。
一部は解読されても全部は解読されてなかったってわけね。
この本は手元にあります。