古代エジプトの「ピラミッドテキスト」が古いですね。
http://www.geocities.jp/planetnekonta2/hanasi/mkakikomitai07.htm...
>いきなりなのですが「人が死ぬと星になる」という伝承について
どなたか詳しい方がいらっしゃったら その起源などを教えて下さい。
>詳しくはありませんが
少なくとも古代エジプトや古代中国ではそれに近いことが信じられていたようですね。
エジプト学者の吉村作治氏は『ファラオと死者の書』で
「ピラミッド・テキストと呼ばれる初期の死者埋葬に関するテキストでは、
死者が行くのは天の北にある暗黒の部分であった。
そこで死者は、決して消えることのない星々、
北極星のまわりを回る周極星とともに永遠の命を生きるとされていた。
その世界は「蘆の国」とか「捧げ物の国」とか呼ばれる理想郷であり、
死者はそこで一つの霊(アク)として生き続けるのである」と書いています。
太陽神ラーの信仰は その後に生まれたようです。
古代中国でも、古代エジプトでと同じ理由から、北極星(北辰=北の龍)は、
皇帝のシンボルであり、そして、北辰から日と月が生じたと信じられていました。
http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/piramiddo%20tekisuto.ht...
>さて、エジプトの。ピラミッドには、「ピラミッド・テキスト」と呼ばれるものがある。
これは、今から五千年前、ピラミッドの中に刻まれた人類最古の文学といわれるもので、
そこには、エジプト文明の「知恵の宝」が記されている。。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bekkan/sisya/sisya-intro3.h...
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/473.html
よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又、四へんそらをめぐりました。そしてもう一度、東から今のぼった天の川の向う岸の鷲の星に叫びました。
「東の白いお星さま、どうか私をあなたの所へ連れてって下さい。やけて死んでもかまいません。」
鷲は大風(おおふう)に云いました。
「いいや、とてもとても、話にも何にもならん。星になるには、それ相応の身分でなくちゃいかん。又よほど金もいるのだ。」
(中略)
そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています。
宮沢賢治「よだかの星」では、「星になる」という表現が使われています。
日本で「星になる」が死の暗喩として使われるようになったのには、この童話の影響が大きいのではないかと思います。
懐かしいですねー。
小学校の教科書に載るレベルなんで知名度は相当ですし、
後の創作にかなり影響を与えてそうですね。
ありがとうございます。
生命はひとつのエネルギー体であり、 エネルギー不滅の法則により、
エネルギーは無くならないとされています。
生命は生物体から離脱すると、浮遊エネルギーとして天に戻り、
成層圏を越えて宇宙へ行き、生命のエネルギーは宇宙空間を漂う。
それでお星様になる、という表現がされてるのかもしれないですね。
●古代のエジプトでは、死者は牡牛座に行くと信じられてたようです。
現代のお星様になる、はそこからきているようです。
http://blog.livedoor.jp/daddy101s/archives/50606575.html
●また、お星様になるという表現は七夕(牽牛・織女)の伝説も多きいのではないでしょうか。
それに、宮沢賢治の物語の「よだかの星」でも星になるイメージで書かれてたりします。
天界の星たちは、地上の生き物たちの手がなかなか届かない永続的な秩序に属しているらしく
地上の者が星になるには例外的に大きなエネルギーが必要になる。
鳥仲間にさげすまれ、とてもつらい思いをしたみにくいよだかは、
極度のつらさからエネルギーをえて、夜空をどこまでも飛んで燃え上がって星になる話です。
よだかの気持ちに共感する人は多いようにおもいます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/473.html
●地球誕生事態が宇宙の星ですから、そこにも関係してるかもしれないですね
やはり「よだかの星」ですか。有力ですね。
ありがとうございます。
天体の擬人化というのは概念としてかなり一般的だと言うことが理解できました。人間や動物、物体のアイデンティティを、天体の持つ恒常的な識別性と対照させることにより、神秘性を持たせて神格化するという思想の系譜、といったところでしょうか?
しかし、そう考えると一つ、腑に落ちないことがあるのです――事故で無くなった父親、残された小さな息子はまだ物事を理解できないので、母親はそのショックを隠しつつやさしく「お父さんは、お星様になったのよ・・・」――というベタな文脈で使われる場合、それは神格化というよりも死を理解させないための婉曲表現と考えたほうが妥当です。死の婉曲表現としては「遠いところへ行った」などがありますが、遠い所→空の上→星、という連想からそのような表現が生まれたのかもしれません。
つまり、「お星様になったのよ・・・」という表現が成立するためには、「遠いところへ行った」ことを示す婉曲表現と「星になる」という神格化表現がすり替えられた、もしくは混線した点が必ず存在するはずなのです。
・・・というわけで、質問の意図が右往左往して申し訳ありません。もうしばらく回答受付してみますので、些細なことでもヒントいただけたら幸いです。そういえば「遠いところへ行った」の元ネタって何なんでしょうね?
すいません、少し説明不足でした。
「○○は、お星様になったのよ・・・」という「概念」ではなくて、「表現」そのものを探しています。どちらかというと文学的な好奇心から思いついた質問なので。
でも、このような宗教的背景があったことは恥ずかしながら知らなかったので、とても参考になりました。ありがとうございます。