車幅統一により、流通促進をさせた実績を持つ歴史上の人物がいたと思うのですが、ネット上で検索しても見つかりません。
どなたか歴史マニアの方教えてください!
「車幅」ではなく「道幅」のほうですが,織田信長が有名ですね(日本では「車」はあまり交通手段として重要視されていなかったとされていますし).
信長は,流通の活性化のために街道の規格統一もしています.具体的には,街道を「本街道」「脇街道」「在所道」の3つのランクに分け,それぞれ約6.5m, 4.5m, 2m の幅を持つものとして定めました.
あと,7世紀ごろから始まったとされる古代街道の整備も,規格化されて行われていたことが発掘調査により推定されています.しかも,6m, 9m, 12m, 18m 幅と,3m 単位のかなり広い道幅で整備されていたようです.これは,律令国家ということで中央集権指向が強かった(信長にしても始皇帝にしても,インフラの強化と規格化は中央集権指向が強い体制でなされる傾向にあります)こと,遣隋使や遣唐使などを通じた中国の影響が強かったことなどが理由として考えられています.
(このあたりのことは http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf110-1/115-120.pdf に詳しく書かれています)
あ!まさにこれです!
織田信長ですか、仲間にコーヒーおごらないといけません・・・
でもすっきりしました。ありがとうございます!
日本は轍の統一が行われませんでした。
そもそも始皇帝が轍を統一したのは、当時、すでに馬車(といっても当時は戦闘用
が多かったみたいですが)に使用が盛んで、それによって道に溝が形成されたいま
した。そのため、幅を統一すると溝の間隔も統一され、道が痛むことも少なくなり
交通が便利になるためでした。
それと比べると、日本は馬車(特に長距離輸送用)がほとんど普及しなかったため、
轍を統一する必要がありませんでした。
日本では交通関係の規格統一は余り進んでいたとは言えませんね。
もちろん、流通の促進は楽市楽座の実施、江戸時代の通貨の統一などの施策があっ
たのですが。
ありがとうございます。
今あるいろいろな制度のルーツを辿るのは面白いですね!
自動車の規格は現在ですら統一されていません。多くのカテゴリーでおおよその範囲が決まっているだけです。
日本の街道は歩行者用として整備されたので輸送用車両の規格は最近まで厳密には存在しなかったようです。
車輪の幅としての規格と車両の幅の規格は違いますし、道路の幅も昔は狭かった。
歴史的なものでは棚田の通路は牛が通る幅が基準になっているそうです。所々離合のため広くなっている。
日本では戦前までは物資の輸送は主に海路が担ってきた。
アップダウンの大きい地形なので自動車用の道路の建設そのものが困難で、コストパフォーマンスは圧倒的に海運が優勢だった。
オート三輪の車幅など大八車程度だった。製造当初は法定されたものではありませんでした。
道路の幅も何度か改定されて、現在では建築基準法や消防法で4mの道路に面した宅地でなければ家屋の建設が許可されない状態です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A...
近代的な車幅の規格統一は鉄道が先鞭をつけました。
軌道幅によって幾つかの規格が存在しますが、日本では主に広軌道と狭軌道ですね。在来線と新幹線と言った方が通りが良い。
どちらの規格も輸入品で、主にイギリスが先達です。
ありがとうございます!
ありがとうございます。