ひとつひとつの単語を、対応する画像といっしょに大脳新皮質に記憶(記録)して、言葉を使うときにいつでも参照しながら、話すときには言葉に意味を与え、聞くときには言葉から意味を取り出すという、エンコーダー、デコーダーの機能を、我々の脳はしているのでしょうか。
このことが、我々の大脳新皮質が大きいことの理由なのでしょうか。とくに画像をストレージすることから、大きなメモリーサイズになるので、大きな脳が必要だったのでしょうか。
http://www.milestone-art.com/MILESTONES/issus89/htm/p8toku.html
言葉を記憶する以前に、目に見えている事象をどう捉えるかが重要のように思います。
そもそも大昔は言葉も文字もなかったですね。
言語学者のソシュールによれば、人類はモノを区別するために「名前」を付けた。
それが言語の始まりとか。
例えば、「石」や「川」や「草むら」はすべて自然全体の一部に過ぎず、本来は切り分けて区別すること自体が不自然なのですが、人間がそれぞれ別のものとして捉えられるのは言葉の概念があるから。この特異な能力が人と他の動物との差でもあると思います。
したがって、目に見えるモノ同士を区別するために言葉という定義を用い、関連付けて記憶していたものと思います。それが、言語として体系化され、今日に至ったと。
一方で、盲目の方がどうやって事象を認識し、言葉として理解するか?という疑問も湧きます。
経験が無いのでわかりませんが、画像認識とは違う次元で、別の知覚が代用しているのかもしれません。聴覚や嗅覚、触覚などを総動員して生まれるイメージとの関連付けでしょうね。それが体験・記憶として刷り込まれる。
フェルディナン・ド・ソシュール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8...
うーん、でも、ほらあれが馬だよ、あれが象だよといえば、すんなりと切り分けできてませんか。
>ほらあれが馬だよ、あれが象だよといえば、すんなりと切り分けできてませんか。
動物のように個体がはっきりしていて動きのあるものは他と切り分けしやすいと思いますが、
それでも、言葉の定義がないと表現のしようがないのでは?
原始人は指差しながら「あー」とか「うー」とか言ってたのかもしれませんが。
質問を拝見して興味を持ちました。科学的な根拠はないのですが印象批評的にはこんなことが言えるかなと思いました。
先だって会合をしました。その時の話の内容をまとめる作業をしました。自身の手順なので一般的かどうか分かりません。
まず、まとめるに当たって開催された場所をイメージに思い浮かべます。お寺でした。つぎに参加した人のメンバーが浮かんできます。するとそこでの交わされた言葉の断片が浮かんできます。いつもこういう会合に出ているので自然と、キーワードにくくれるものを思い浮かべます。三つとか、四つになります。その一つを取り上げると空襲となります。すると自然的に大きな爆撃機が浮かんできます。証言に基づいて赤とか黒とか銀色とかも思い出されます。黒の場合は焼け焦げたもの、発言の中では焼けた色が黒で水中にあった色は白なので対比的その場面が思い起こされます。
まず、大きな場所を特定し、そこでの会合に参加したメンバー、つぎにキーワードというふうに操作的には言葉を使いながら対象を狭めていきます。言葉は浮かんだ対象を形にしてくれる大切なものです。
自身の一連の作業手順からすると、場面情景を言葉で規定し、それを操作によってさらにシーンを分けて、意味領域に踏み込んでいるように思えます。
情景と言葉、それによって狭めていって当日の会合の様子を言葉にまとめて言い表す。いつもやっていることですが、単語と情景は自身の経験からは深く関わっているように思えるのです。言葉は情景を規定するもの、形にするもの、それの繰り返しによって言語という形、意味を持った形になるのではないかと経験的に思ったことです。恣意的なので一般的かどうかは分かりません。ただ情景と抽象的な意味との関係はよくは分かりません。
わたし自身は言葉による切り分けはよくしていると思います。
回答への書き込みは参考事項として記しました。しかし、まったく筋違いかもしれません。
回答ありがとうございました。
パソコンでいうとディレクトリ管理のようなものでしょうか。
それが時、場所、相手、話題、などなどのサブディレクトリに分けられて管理されているというのでしょうか。
場の雰囲気や、形や色といったものが、記憶、そして意味となって、それが言葉に結実するのかなと思いました。
同じ場所にいた人同士は、時がたったとしても、同じ記憶、同じ言葉の意味を共有できるでしょうが、その場所にいなかった人にとっては、言葉の意味も違ってくるかもしれませんね。
なるほど、これらのサヴァン症候群の人たちは、大脳皮質が作用・機能しなくなって、古い脳が機能しているから、このような症状を生み出すのでしょうかねぇ。
でも私が知りたいのは、このような症例の人たちのことではなく、一般人である我々は言葉をどうやって記憶しているのかです。
たとえば、「りんご」という言葉と「りんご」という物体とは、「海」という言葉と「海」という存在は、私たちの脳(大脳新皮質)の中で、どのように結びついているのでしょうか。
イメージではないのでしょうか。だとすれば、どのように結びついているのか、興味があるのです。
本の紹介、ありがとうございました。