森鴎外でそういった記述があるとしたら「独逸日記」だと思いますが、質問の記述は森鴎外ではなく夏目漱石ではありませんか?
森鴎外はドイツ留学で人種コンプレックスも無く非常にうまく現地に溶け込んだ生活を楽しんだようです。
http://blog.hix05.com/blog/2008/07/post_683.html
明治初期には多くの日本人が西欧に留学したり旅行したりしているが、そのなかで成島柳北を除けば鴎外ほど西欧に溶け込み、その生活を楽しんだ者はなかった。彼はドイツ人社会に速やかに溶け込み、彼らと親しく交わる一方、劇場に足を運んだり、パーティを楽しんだりしている。この点、明治33年からイギリスに留学した夏目漱石が、うつ状態に悩まされて留学生活を楽しむどころでなかったのとは、大きな違いがある。
夏目漱石については、『漱石日記』で
http://blog.hix05.com/blog/2008/07/post_697.html
「往来に向ふから背の低き妙なきたない奴が来たと思へば我姿の鏡にうつりしなり、我々の黄なるは当地に来て始めて成程と合点するなり」
http://gramophon.cocolog-nifty.com/blog/cat1560021/index.html
『漱石日記』岩波文庫版の1901(明治34)1月5日には
「往來にて向うから背の低き妙なきたなき奴が來たと思えば我姿の鏡にうつりしなり。」
という記述があるようです。
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24回 | 22回 | 2回 | 2008-08-14 17:28:33 |
ありがとうございます。
漱石ではなく森鴎外です。
彼が留学した際に、外国人を間近に見て、日本人との体形・体格の違いにどのような感想を持ったかを調べています。