ここで言う「好きなこと」というのは、その事に熱中して続けることができ、その事を仕事にしたり、生き甲斐にしたりできるという、生き方の指針のようなものです。趣味、副業などの軽いものではありません。
できるだけ、具体的な回答をお待ちしています。
「とにかくいろいろな事をしてみる」ではなく、いろいろな事といっても、どうやって何を使ってそれをチョイスするのか?また、その選択基準を単純に「好き度」で決めるにしても、どうやって好き度を測るのか?など事細かにお願いします。
ちなみに、30歳妻子持ち平凡サラリーマンが生きる目標を失っている場合としてお考え下さい。
好きなことを見つける方法としては
・これまでの経験の中で、楽しかったことは?
・これまでに、時間やお金、エネルギーを注いで取り組んだことは?
・人にやってあげて喜ばれたことは?
・あなたが魅力的だと思う人は? どんなところが魅力的?
・うまくいかなかった時、立ち直るきっかけになったものは? 支えになったものは?
過去の経験の中(これらの質問の中)に、好きなことを見つけるきっかけがあると思います。
抽象的で申し訳ありません。
迷ったときは、基本に戻れ、です。
ある選択をしたときに、なぜそういう選択をしたのかを最初に戻って考えてみるのがいいのではないかと思います。
どこまで戻ればいいか?案外、小学生くらいのときまで戻ってみるのがいいのではないでしょうか?その頃は、単純に「好き」という、いわば本能のようなものだけで動いていたでしょうから、そういう意味では極めて「自分に正直」だと思われます。
その選択の仕方が間違っていた場合にとても困ります。
「いい会社に入るため、大学に入る」という考えで、ものごとを選択してがんばってきたとします。
そして、無事にいい会社に入ることができました。でも、ものすごい虚無感を感じます。
「好き」というより社会的な体裁のために動いていた場合、確かに一度基本に戻って考え直さないといけないと思います。
はたして、小学生の時に好きだったものをそのまま仕事にしている人というのは、どれくらいいるのでしょう?
私も小学生の時から好きなものを作る会社に入りましたが、サラリーマン的な体質に疑問を感じています。
「好き度」ですが、
好き度というか興味を持ち続けられるかだと思います。
その好きな事について努力し続けられるかどうかというのが重要だと思います。
好きでもない事で努力するのは嫌ですからねぇ。
私もその意見に同意します。
でも、この場合は、なかなか初見から好き度はわかりにくいということでもあります。
好き度の高いものを、どうやって効率よく知ることができるのでしょうかね。
>どうやって好き度を測るのか?
自分で好き度を得点化すると比較可能な状態になると思います。
0点「全く好きではない」~100点「最高に好き」 といった感じで
90点越の物は選択肢として考えて良いと思います。
(その他、気になる事項も得点化すると良いでしょう。e.g. 「継続できそうか」)
>「とにかくいろいろな事をしてみる」
というのも必要ではあります。ただし、闇雲にイロイロやっても非効率的ですので。
①兎に角好きになれそうなことをブレインストーミングで無批判に数多く出す。
②その中で印象としての好き度を得点化する。
③70点以上のものを一定期間(例えば1ヶ月、1週間)続けてみる。
④再度、好き度を評価し、他の項目を試してみる
といった具合に基準を決めて取り組むと良いです。
最高に好き、100点!と思ってたものより、さらに好きなものが出てきたとき、この尺度がぶれるので難しいです。
一軸のスケールよりも、カカクコムの製品満足度のように5つくらいの基準にわけるとかで、尺度が間違っていたときのリスクの軽減するといいかもしれません。
ブレインストーミングでは、自分の知っている範囲しか得点化できません。
インターネットで「趣味リスト」のようなものを一回見たことがあります。
それには、ありとあらゆる趣味が書いてありました。それを得点化するといいかもしれません。
自分の気持ちってわかってるようでわからないんですよね。
多くの人は現実に抑圧されて自分がほんとうに何がやりたいか
わからなくなってると思います。
だから、現実の壁をとっぱらって考えるのがいいと思います。
妻子持ちとのことなので、これがやりたいけど
妻子がいるからできない・・ではなく
妻子がいてもこれがやりたい!と思えれば
かなり本物でしょう。
ジャンルの選定ですが、自分に偏見を持たないことですかね。
運動嫌いがスポーツにハマることもあるし、
体育会系が芸術の才能を持ってることだってありますから。
あえてやったことないことをやるのも手です。
それでやっぱりこのジャンルには興味がないとわかっても
それは無駄ではありません。
それに、同じ自分でも数年前と現在では違うはず。
今ハマらなくても数年後ハマることだってあるかもしれませんからね。
好きなことっていうのは頭で考えるものではなく
実感するものだと思います。
だからどうしても実際にやってみるしかないんですよね。
それと・・・質問者さんがこれからハマるものは
現在の時点で存在するものとは限らないですよ。
これから生まれるものかもしれません。
ひょっとしたら質問者さん自ら新しいジャンルを
産み出す可能性だってあるかもしれません。
現時点で存在してるジャンルだけに限定しないほうがいいかもしれませんね。
>現在の時点で存在するものとは限らないですよ。
これは!おっしゃる通りだと思います。
私もこれは薄々思ってまして、「自分の好きなものは、今自分が知らない可能性がある」ということです。
でも、このもやもやとしたものを目指して行動する、というのは勇気がないというか無鉄砲すぎないか?と思います。
ヘタしたら自分探しの旅に出てしまいそうです。
じゃあ、今一番好きなものを続けるか?でも、これは自分の目指しているものなのだろうか?
という思考ループだったりします。
「やりたくないこと」を紙に書いたのに使ってあげないのは可愛そうです。
「とてもやりたい」がなかったらどうしましょう?今そんな状態です。
もし、大まかなジャンルが絞れているならば、
(ビジネス、スポーツ、芸術、政治など)
そのジャンルで功績を残している人の自伝などを読んでみるのもいい刺激になるかもしれません。
たとえば、映画が好きならば、チャップリンの自伝。
経営に興味があるなら、松下幸之助の自伝など。
確かに、功績を残している人の話というのは非常に参考になりますし、刺激にもなります。
ただ、30までウダウダ過ごしてきた人には非常に酷だったりします。。。
できれば、偉人たちの引いたレール以外の抜け道で走りたいと思います。
そのためには、偉人たちの話は読んどくべきでしょうね。
何をしたら良いか、わからない場合は、消去法で、「やりたくない事をしない」という判断基準にします。
(例えばやりたくない事の判断基準は、健康阻害とか、環境悪化とか、人を騙して食うような不誠実さとか、胸が晴れる仕事かどうかとか。)
そうすると、やりたい事がなんであるか、自然着地するように思えます。
それでも世の中にやりたい事がない場合は、やりたい仕事をつくってしまう。=起業。(しかし、リスク大、そうしてでもやりたいかどうか、自分に問う。)
まず、妻子持ちで家庭を守る必要上、
食う為に何とかしないといけない実情があると感じます。
好き嫌いを判断する為にまず、生きるためになんとしてでも諦めない姿勢をつらぬくしかないのであり、
(判断に迷って何もしないで居ると、やがて家族みんなで生活に困るとやるしか仕方がなくなります。)
まず、良い悪いを、表向きで会社の肩書きとか経歴や表面的収入などで判断せずに、
面白そうと思える業種のバイトからでも良いので(ただし、異業種からはじめると、一番格下にてこき使われる覚悟)
好きな事に成るまで、小さい幸せを糧にして(小さい幸せとは月末にはお金が確実に継続的にもらえること。好き嫌いとか高級な望みをいわずに続けてみる事。
食う為か、食えない可能性があっても好きな事をとるか、問いながら、
仕事を通して誰かが喜んでくれる事を糧にして頑張ってみる。例、お客さんの表情とかを観て。
ともかく真剣に仕事を続けてみる。
仕事の実際は何でもそれなりの面白みがあるはずなので(まず、仕事にはそれぞれ面白みがあるはずだ、と信じる事が好きな事を発見する近道かと。)
まず、仕事の面白さにたどり着くまでやってみたかどうか?内省し、自己判断。
その面白みを見つけるためにはソコソコ現場でに悩んだり考えたり幾多行動して観ないと解らない事が沢山あり、
(何の仕事でも最初は自分に合わないのではないか?と悩む事ばかりでしょう。それを超えないと好き嫌いが見えにくいともいえ。)
その結果をみて是か非か問う。
好き嫌いが解る為には、なにがしか成果を得れるまで辛抱してみるのが必要。
もし、
そこで、喜んでくれる人が一人二人と増えてきて、次第に喜びが沢山出てくるなら、
(直接の接客などもあって、仕事の成果がすぐ見える仕事は好きな仕事になりやすいとおもわれます。)
それは結果「好きな事になり」、
また、あわないなら、仕方がないのでようやく腰を上げて、次へ変えてみる。
(その為には家族の理解と協力が必要で、本音で正直に話す)
そのような繰り返しによって、自然と好きな事が見つかる。
そういう事でないかとおもわれます。
私の場合は、幾多仕事や職場を変えつつ、今はどうにか自分が好きな事(やりたくない事をしない形)をして自営をしておりますが、
ゆえに、長い事仕事が少ないと苦しい事のほうが多い(それでも食う為にやりたくない事もしないといけないか?いつもしばしば悩みます)
なぜならば、好きな事とはいえ、この厳しい時勢で、
仕事を好きな事だけで連続的に受けて食うのはかなり大変であり、好きな事だけで仕事ができてまともに食えるのは本当に幸せでしょう。
しかし、大変でもなんとか好きな事だけで食いたいと思う情熱(それは、幾多仕事をしてみて、矢張りこれしかないと解った仕事だから。
また、年齢上これ以上転職が不可能なので、自然とこれしかなくなったわけです。)
と家族の協力があって好きな事をさせてもらえてるということでしょうか。
好きな事を続けるには、何年かかってもいずれ結果が出るように信じ精進を続けるのみかと。
自身の経験をお話頂きましてありがとうございます!話の説得力が違います。
好きなことで自営をされていて、なおかつ家族持ちとは、家族の理解とご自身の情熱を羨ましく思います。
1つ目。やりたくない事を考えること。
好きなことだけを考えがちなので、自分の中でも整理してみます。
まぁ、現在の生活の愚痴をたっぷり煮詰める感じになるかと思います。
2つ目。好きな仕事を作る。
これは、よっぽど好きでないとできませんね。妻子持ちの状態で、ここまで行ける様に精進致します。
3つ目。どんな仕事も面白みがある。
今している仕事を好きになる、という発想がありませんでした。楽しく働けるユートピアを目指して現実逃避だけしていた
ように思えます。他の仕事を探す前に、現在の仕事の好きなところ、面白いところをよく考え直します。
ここらへんのことが核心なような気がします。
どのような基準で「好き度」を決めるにしても
基準を決めてしまうと、おそらく相対的に常に新たな対象への目移りと格闘し続けることになります
それよりは疑問、飽き、惰性を消去する努力をして
今、現在の仕事や家族を、他の何よりも絶対的に好きになれる(生きがいにできる)よう努めれば良いのではないでしょうか
一応、子供の頃から好きなものを作っている会社には勤めています。家族も大事に思ってます。
ただ、子供に対して「好きなものを極めろ、チャレンジ精神を忘れるな」という教育方針を考えてます。
こういう方針の場合、「なんでお父さんは、好きなものを極めてないの?」と聞かれた場合、
「自分は好きなもの作っている会社には入った(あまり望むような仕事をしてないというのは隠しておいて)。」程度の逃げの説明しかできない。そこで、何か好きなものを見つけようかと考えてます。
今の仕事を好きに生き甲斐にするのは手っ取り早いです。チャレンジかというと、安定しすぎているように思えます。
とにかくいろいろな事をしてみる・・・・実際いろんなことをしてみるというのは現実難しい事だと思います。やりたくてもできないのが現状だと思うからです。でも新しく好きな事を見つけたい場合 そのいろんなことの詳細をある程度情報を仕入れて、あなたがその中で興味があるものをやってみてる、ということをしない限り 新しい好きなことというのは見つからないと思いますよ。また見つかったとしてもそれは趣味で終わってしまうのか、または副業程度収入が発生するのか または普通の仕事としてやっていけるのか、というのは誰にもわからないと思います。うちの主人も自営業で好きなことが収入になっていますが (私も事務として働いていますが・・)たとえば これは楽しいなっていうものがあったら 趣味で終わらせないで これを仕事としてやっていけるかな・・と考えながらやるといいと思います。人に使われて一生終わるのか、好きなことをしながら 家族と生活していくのかは あなたが探さないと無理だと思いますよ。生活しないといけないと思うので、とりあえず 派遣でもいいので生活できる収入を得て、毎日なんとなく過ぎ去るのではなく、自分に合う仕事を探すといいのではないでしょうか。
ご主人が好きなことを仕事にしている。奥様はそれを手伝われている。
なんて素晴らしいことでしょう。こういう話を聞かせて頂くと、なおさら好きなこと見つけたいと思えます。
(ご苦労も大変多いのではないかというのもお察しします。)
確かに、私が探さなくて始まらないと思っています。絶対に口をあけて待っていても降っては来ないことは確信してます。
だからこそ、効率よく探す方法を求めてます。まぁ、焦ってはいけないとは思いますけども焦ってます。
おもしろがれば面白くなる。「怪」という字があります。これは手に土くれをもってこれって何だろうと思うことです。興味の出発点だと思います。
自身の経験からすると面白く思うものは大多数がやっているようことにはないように思えます。自己に合ったおもしろさは本流よりも支流にあると思います。大きな川よりもどぶ川に面白さがあると思います。支流に人が知らないようなことがあちこちに落ちています。わたし自身は土地の文化に興味を持っています。その土地固有のちょっとした臭いを探し当てることに夢中になっています。
・人に話を聞くというのは一つ生き方の指針にはなります。古い人は分厚い一冊の本のようなものです。一人の人がいなくなると町の記憶が消え去ることも珍しくありません。結局わたしたちは人によって支えられています。人から話を聞くことはそれの確認でもあるように思えます。
・なんといっても自分で何かを発見できることほど嬉しいものはありません。それは神社の裏とかの小さな碑にいわれがあったり、また、どぶ川に名前がついていてそれにも伝説があったりします。人間の営みについておもしろがると際限なく話が繋がっていきます。
・なんといってもおもしろがることです。少しでも興味を持ったら、調べることです。また、体を動かすことも大切です。そこへ行くとかするのもいいと思います。するとデジカメでも持ってみようかということになります。子どもの興味に乗っかってやることができるのならそれもいいかなと思います。
生きる目標というと大げさですが、あなたの近辺に興味深い小宇宙は一杯ころがっています。ほんのちょっとしたきっかけで興味への冒険旅行は始まるとおもうのです。
・町中を自転車で走り回ってみると、ちょっとしたものかげに何かが眠っています。そういうものに目を向けるというのも出発点ではあります。
地元の土地の文化は確かに興味深いですね。特に、学校の社会科で教えない・教えられない歴史などや、河いっぱいの大蛇が出たときここから矢を打ったという神話に近いことが書いてある石碑などは、自分で調べないとわからず、調べてわかったとき非常に印象深く残るものです。
ただ、すべての事柄が地元の散歩などでは得られないと思います。本よりもインターネットで調べたほうが答えが得やすいのではないかと、今回質問させて頂いております。
支流が面白い、身近なところの小宇宙というのは同意します。自分しか知らないこと、そういうものを深く知ることに答えがあるとは思ってます。支流はどこか?まず本流を探すところからなのではないかと考えてます。
突然好きになる事もあるかもしれない、あるいは昔から興味はあったけど段々好きになる事もあるかもしれない。
今の奥さんはどのような状態で好きになったのかよく考えてみたらいかがでしょうか。
人を好きになるのも、人以外を好きになるのも感覚としては似ていると思います。
ただ、人は相手から嫌われたら人間関係がなりたたなくなり、人以外のものは嫌われる事はないという事です(動物から嫌われるを除く)
嫌われる事がないから、興味があればあるほど自分の世界にどんどん集中できるわけです。
これが人相手だったら、24時間べったり居たら嫌がられます。
※理解しやすいように人に例えて話をさせてもらいました。
自分の経験としては好きなことを探しているときは中々見つからないです。ある日突然、またはじわりじわりと好きになる事が多いです。
自分の友達にも何か商売を始めたいという方がいますが、自分の好きな事に集中した方が成功できるよとアドバイスしています。
99%好きはあっても100%好きというのは不可能かもしれません。好きなことを職業としている方でも多少の迷いはあるのでは、自分の道を自問自答しながら進んで行くことで結果的に成功できた人もいるのではと思っています。
恋愛は、消費者が物を買うまでのプロセスを説明するAIDMAの法則と考えてます。
1. Attention (物を知る)
2. Interest (物に関心を持つ)
3. Desire (物が欲しくなる)
4. Memory (頭の中に物が占める割合が多くなる)
5. Action (買う)
まず、物を知るきっかけとなるAttentionがなければ話になりません。
下品な言い回しになりますが、物事に熱中したことがない熱中童貞なんです。
童貞気質の高い人は、「世界には僕を好きになってくれるグラマーでクレバーな美人がいる。」と宝くじに当たるようなことを考えて悶々としています。でもこれは妄想にすぎません。自分を好いてくれる人は身の回りにいる、少なくともAttentionはしている人です。それゆえ、好きなことを見つける出会い系がないかと模索しているわけです。
また、好きなことで商売にすることは、絶対条件ではありません。例えば、バンドを組むことが好きになった場合、30過ぎたおっさんが食べれるくらい売れるというのは、現実的ではないからです。
好きなことをみつけるために自分がしたことは、友達の趣味に、一緒に参加することでした。
類は友を呼ぶ。
つまり、好きなことも似てたりします
確かに!まったくその通りで、好きなことは一人でする必要はなく、恐らく仲のいい人で集まって行ったほうが熱中、継続、興奮、共感できるでしょう。
友達が少ない場合は?
嫁の趣味に付き合うとかかしら?
ここまでの投稿とそれに対するコメント、拝読しました。
質問者さんは、もちろん、ご自身でもお気付きだと思いますが、アクションを起こすのを避けておられるようですね。
いわゆる理屈先行で、頭でっかちになっておいでのようで。
質問者さんを批判するのが回答者の役割ではないのはわかっているんですが、敢えて書きます。
質問者さんは回答を求めてはいらっしゃらない。
どんな回答にも何がしかの傷を見つけて、回答として機能しないように細工されておいでのようです。
つまり、質問者さんは回答を求めていない、なぜなら、回答を既にお持ちだから。そしてその回答とは「私には好きなものは見つからない」
もしもなんらかの方法で好きなものが見つかった場合、その好きなものに質問者さんはご家族を投げ打ってでも没頭できる、そういうお覚悟はないわけですよね。
ですから、そもそもの設問自体が間違っているように思えるわけです。
ご家族と一緒に生活できるという宝物、せっかくお持ちなのに。
青い鳥は家にいるんですよ。
それでもまだ、なんかモヤモヤするようだったら、他人に感情移入したらいかがでしょう。
小説でも映画でも舞台でも、他人に冒険やら研究やら命がけのチャレンジをしてもらうんです、それを眺めるんです。
一度、他人の人生を吟味してみるとなにか違った感じが得られるかもしれませんよ。
ご指摘ありがとうございます。その通りで、モヤモヤしております。
子供が自分より優先度が高いと仮定すると、安定した生活を求めがちです。
自分が大事とすると、家族に理解と協力してもらって、自己顕示欲の赴くままつっぱしるか。
そんな葛藤です。おっしゃる通り、よくわかってないので、アクションを起せず、足踏みしているというか、ボーっと立ってイライラしているどうしようもない状態です。
皆様のご意見に対して、穴を見つけて突っ込みを入れ、意見を受け入れていないのは、上記の葛藤があるのと、残念ながらしっくり飲み込むことのできる案がないと感じているからです。そのため「あれ?他の人って好きなもの見つけるなんてことはしてない?手元にある好きなものを続ける感じ?」と思い始めました。
また、他人への感情移入についてですが、その手もあるなと思いました。
ただ、小説や映画の主人公に感情移入については否定します。作品を何かに生かすならわかりますが、見るだけでは全く生産性がありません。他人のターゲットですが、第一候補は自分の子供、第二候補は自分がスポンサーになって間接的に命がけのチャレンジをしてもらう、というのを思いつきました。第一候補は親なら誰でもしますので、あえて考えないとすると、スポンサー案は新しくてやりがいがあるかもしれません。しかし楽チン過ぎます、自分はその人のチャレンジでは死なないし。やはり、「情熱」とは自分との戦いの連続なのではないかと。
atomatomさんは、私のどうしようもないコメントを見ていただいたとのことで。
そこで、私なりの現在の結論を報告させていただきます。
1つ目、1つのことも極めたことがない者がウダウダ言うな。とりあえずアクションを起すべき。手元にあるもので1番好きなものを選択して、10年単位で努力を継続できるような仕組みを考えろ。ある一線を越えると(学力の偏差値でいったら70を超えるとこらへんか、未調査)、どんなことでも金銭的な価値がでてくる。今の仕事と切り替えるのはそのタイミングだ。
2つ目、まだ見ぬ今の1番よりさらに好きなことへの出会いは頻繁にある。恋愛と違って浮気、2股でも、現在の1番の努力を続けるかぎり問題はない。そして、1番より魂を揺さぶられるならば乗り換えるべき。どっかのブログにあったが、物事や今の仕事を「好き」と思い込む必要なんてない。でも、今の1番より好きなことに会えないかもしれない。だが、「今は会ったことのない運命の人がいるかも。」のように待ってなにもしないと、そのまま死にます。そのため1つ目で、アクションを起すべきと。
青い鳥は確かに家にいるかもしれません。
青い鳥は1匹でもなくいっぱいいて、家の外にもいるかもしれません。
自分勝手極みですが、自分を押し殺している人が家にいたら家族は嫌でしょう。
青い鳥をいっぱい集めたほういいのではないでしょうか。
生き甲斐や仕事にしていけるレベルの「好きなこと」というと、単純に「いま興味のあること」程度ではすみそうにないですね。
計算的になるのであれば、現在のコネクションを整理されてもいいかも知れません。
友人・知人・親族などと意見交換しつつ、どのような世界(生き方)が身近に広がっているのかを確認すると、「好きなこと」というよりは「やってみたいこと」を発見しやすいのではないかと思います。
「現実味」は継続のモチベーションとして外せない要因ですからね。
当の私も親族に有名な作家や歌手など、普段の生活では関わることがないであろう「生き方」をしている人たちがいます。それを知ったとき、心躍るようなといいましょうか、ワクワクしたのを覚えています。そういう感覚を大切にしつつ、自分らしい生き方を見つけていけたらなぁ、と思っています。
参考になれば幸いです。
そうですね!
「好きなこと」というより、チャレンジ性の高い「やってみたいこと」なのかもしれません。貧乏性の性格なので、あんな楽しいことを経験しないまま死ぬなんて…、なんです。
有名になりたい、というより何かを極めたい。極めるには仲間がいた方が効率的で、仲間を増やしていくうちに、広がっていき有名になる感じでしょうか。
「ケイコとまなぶ」や 区でやっているカルチャーセンターなどのチラシを
集めて 読んでみてください。
興味を持ったものに 赤丸をつけていって
自分の好みの統計をとってみてください。
そうすると、文科系(絵画や陶芸)ダンス系 資格系 など
自分のやりたいことがわかるかと思います。
それで実際に 教室などに通ってみて
面白かったら その道にぞっこんに突き進んでいってみるとよいかと思います。
なにかの教室というより、地道に家でいつでもホイホイできる方が気軽に続けられると思います。
確かにお金を払って時間的に束縛することで、途中放棄はしにくくはなっていいのですが。
なんとなく、親身ではなく第3者的な解決策のように思えます。
過去の経験の中からのみ、好きなこと選択することになります。
例えば、とあるバンドを熱狂的に追ってきた人がいるとします。他のことには全く興味がありません。
しかし10年目でバンドが解散したとします。何か他の新しいことを好きになろうとしたとき、上記の質問には、そのバンドについて答えがでてくるのではないかと思われます。
という感じなので、できれば、新しく好きになるきっかけが知りたいです。