本人は生き延びて・・という説があるようです。
その説自体が歴史的事実に合致しているのかしていないのかは別にして、
「吉良は事件では死んでいない。生き延びて実は・・」という説が紹介されているページを
教えてください。
出来れば詳しく紹介してあるページだと嬉しいです。
私が見たところ、「生き延びて仏門に入って・・」みたいなことが書いてあるページが
あったのですが・・・
仏門に入ったのかどうかも確かかどうかはよく分からないのですが、
とにかく、「吉良が生き延びて・・」と書いてあるページであればどんな内容でも結構です。
よろしく御願いします。
吉良上野介は偽者だった
http://www.geocities.jp/toshio2003jp/kira.html
妖説忠臣蔵(?)に「生きている上野介」という話が載っているみたいですね。
http://homepage2.nifty.com/st_reguls/reguls/futaro/f_jedi7.html
上の方と同じURLですね。
このページ以外って無いんですかね?
くびあらためず ~ 現代法医学では証拠不十分 ~
── 白むくの小袖を着た六十ぐらいの老人である。苦痛に顔をゆがめ、
まぶたはとじているが口をすこしあけて力のない息をついている。その
顔をむさぼるように見詰めていた人々は、急にお互いにさぐり合うよう
な目付きで顔を見合わした。「上野介どのではないかな?」(略)
内蔵助は、老人の額に亡君の遺恨の刀痕を探していて見付からなかっ
た。(略)老人の肩をはいだ。そこには背骨をすこし外れて、歴々と、
黒い線をひいた刀痕が認められた。これこそ松の廊下で亡君が、逃げる
上野介にあびせかけた無念の一刀の名残りであった。(略)
「亡君の意趣をつぎ、たゞ今、御首級を申し受けまする」
動いている人々にかこまれて、内蔵助は佩刀をすらりと引き抜いた。
── 大仏 次郎《赤穂浪士 大衆文学代表作全集 2 19541220 河出書房》P406-407
このように、忠臣蔵の定本も、断定を避けているように読みとれる。
しかしもし、彼が偽者だったら、敵味方とも面目まるつぶれであろう。
現代人なら、つぎの諸点をチェックしたにちがいない。
1.高貴な身分であれば、肌色・頭髪・爪先の手入れが違う。
2.白小袖が、身の丈に合っていれば、身のこなしで分かる。
3.ひとこと語らせれば、声色・声音・発音の違いが分かる。
── 【首実検】1 昔、討ち取った敵の首を持ち帰り、首の主を大将
が検分したこと。また、面識者に首の主を確かめさせたこと。また、
その儀式。2 実際に見せたり会わせたりして、当人であるかどうかを
確かめること。── 大辞泉 Yahoo! 辞書
── 泉岳寺の記念館に吉良上野介の首の受け渡しの受領書が展示され
ていた。── nutrocker 東京駅ぐるっと一回り
http://mickey-mo.mo-blog.jp/nutrocker/2007/06/index.html
── 栗崎道有は幕府の御外科医師であったが、刃傷事件で吉良上野介
義央の負傷の手当をしたことが奇縁で吉良家の医師として仕え、また計
入りの役にも吉良上野介義央の首と胴を縫合している。
http://books.google.co.jp/books?id=fqx3h8alE_YC
── 柏原 新《赤穂義士の歩いた道 200405‥ 文芸社》
── 田中 徳三・監督《忠臣蔵異聞 ~ 生きていた吉良上野介 ~ 19870917 東映 テレビ朝日》
http://agua.jpn.org/film/c346.html
http://junjuns.akira.ne.jp/junjunland/99120001tyusingura.html
tyusingura
── 梅沢 富美男《大笑い忠臣蔵・生きていた吉良上野介 20070521 足立朝日》
http://www.adachi-asahi.jp/1010/07-04-20index.htm
梅沢武生劇団 シアター1010ストーリー
吉良 上野介義央 16411006 江戸 17030131 62 /寛永18.0902~元禄15.1214“赤穂事件討入”
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030131
忠臣蔵300年 ~ 元禄15.1214(17030130)~
最古の浮世絵“吉良邸討ち入り”立命大、古書店から購入
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031214
屈服と屈従 ~ 共通する態度 ~
それぞれ詳しく見させていただきます。
ありがとうございます。
妖説忠臣蔵の話はちょっと気になります。
ありがとうございます!