目にしろ耳にしろ、日本の古典には味わわれるような文章がたいへんに多い。いわゆる美文と称されるものはその代表的なものであって、内容などはどうでもよく、ただ味わうために作られた、ちょうど見るための美しい日本料理のようなものであります。われわれはなんでも栄養があるものしか取ろうとしない時代に生まれていますから、目で見た美しさというものをほとんど考えませんが、文章というものは、味わっておいしく、しかも、栄養があるというものが、いちばんいい文章だということができましょう。 三島由紀夫 文章読本より
芥川はさまざまな文体を使い分けた小説家ですが、『舞踏会』(短編)の冒頭は実に「美文」であると思います。冷静に読めば単に細密描写といえるのですが、細密な描写を通して漂ってくる空気が濃厚です。
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