作品全体を通して美文だと思う小説とその作家名を挙げてください。故人生人は問いません。




目にしろ耳にしろ、日本の古典には味わわれるような文章がたいへんに多い。いわゆる美文と称されるものはその代表的なものであって、内容などはどうでもよく、ただ味わうために作られた、ちょうど見るための美しい日本料理のようなものであります。われわれはなんでも栄養があるものしか取ろうとしない時代に生まれていますから、目で見た美しさというものをほとんど考えませんが、文章というものは、味わっておいしく、しかも、栄養があるというものが、いちばんいい文章だということができましょう。      三島由紀夫 文章読本より

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回答15件)

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芥川龍之介、『舞踏会』 nofrills.seesaa.net2008/09/01 21:35:00ポイント1pt

芥川はさまざまな文体を使い分けた小説家ですが、『舞踏会』(短編)の冒頭は実に「美文」であると思います。冷静に読めば単に細密描写といえるのですが、細密な描写を通して漂ってくる空気が濃厚です。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/28_15270.html

 明治十九年十一月三日の夜であつた。当時十七歳だつた――家(け)の令嬢明子(あきこ)は、頭の禿げた父親と一しよに、今夜の舞踏会が催さるべき鹿鳴館(ろくめいくあん)の階段を上つて行つた。明(あかる)い瓦斯(ガス)の光に照らされた、幅の広い階段の両側には、殆(ほとんど)人工に近い大輪の菊の花が、三重の籬(まがき)を造つてゐた。菊は一番奥のがうす紅(べに)、中程のが濃い黄色、一番前のがまつ白な花びらを流蘇(ふさ)の如く乱してゐるのであつた。さうしてその菊の籬の尽きるあたり、階段の上の舞踏室からは、もう陽気な管絃楽の音が、抑へ難い幸福の吐息のやうに、休みなく溢れて来るのであつた。

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