目にしろ耳にしろ、日本の古典には味わわれるような文章がたいへんに多い。いわゆる美文と称されるものはその代表的なものであって、内容などはどうでもよく、ただ味わうために作られた、ちょうど見るための美しい日本料理のようなものであります。われわれはなんでも栄養があるものしか取ろうとしない時代に生まれていますから、目で見た美しさというものをほとんど考えませんが、文章というものは、味わっておいしく、しかも、栄養があるというものが、いちばんいい文章だということができましょう。 三島由紀夫 文章読本より
元は小説でなく浄瑠璃なのですが、兎に角全編名調子が続きます。白眉は矢張り「死の道行」のくだりでしょうか。音読してみると実感しますけれど、どうもこの七五調と云う奴は大和民族の快楽中枢に根を下ろしてますね。
この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ、あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生(こんじょう)の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽(じゃくめついらく)と響くなり――
油のように継ぎ目のない言葉の連なりを、「あかつきの」「こんじょうの」といった辺りでぐっと締める感じが堪らないのです。
(しかしこのテーマなら私一人でも100ptくらいは行けそうな。いやホント。)