目にしろ耳にしろ、日本の古典には味わわれるような文章がたいへんに多い。いわゆる美文と称されるものはその代表的なものであって、内容などはどうでもよく、ただ味わうために作られた、ちょうど見るための美しい日本料理のようなものであります。われわれはなんでも栄養があるものしか取ろうとしない時代に生まれていますから、目で見た美しさというものをほとんど考えませんが、文章というものは、味わっておいしく、しかも、栄養があるというものが、いちばんいい文章だということができましょう。 三島由紀夫 文章読本より
これを読んでから何度も城崎に行った
この作品に限らず、鏡花の文章にはとても日本的な美しさがあると思います。使う言葉もですが、そのリズムも美しい。
元は小説でなく浄瑠璃なのですが、兎に角全編名調子が続きます。白眉は矢張り「死の道行」のくだりでしょうか。音読してみると実感しますけれど、どうもこの七五調と云う奴は大和民族の快楽中枢に根を下ろしてますね。
この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ、あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生(こんじょう)の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽(じゃくめついらく)と響くなり――
油のように継ぎ目のない言葉の連なりを、「あかつきの」「こんじょうの」といった辺りでぐっと締める感じが堪らないのです。
(しかしこのテーマなら私一人でも100ptくらいは行けそうな。いやホント。)
現代の作家では随一だと思います。
匂い立つような描写と、ノスタルジックな気分に浸れる描写が好きです。
美しい文章だと思います。少し耽美な香りがしますが…
私は20歳位のときに、少女っ朱みな理由から「女神」がすごく好きでした。
私も、この質問を見てすぐに、「草枕」を思い出しました。
他の方の引用している冒頭部分など、本当に美文だと思います。
漱石と「美文」で連想される作品に、『虞美人草』があります。『草枕』の翌年に発表されていますが、文体はまるで別人です(何かのパロディかもしれないと思うほど)。登場人物の会話が「何の変哲もない話し言葉」(のように見えることば)である一方で、地の文の部分の装飾的なことばの使い方(特に藤尾の描写など)は、読んでいて息苦しくなるほどです。文章が与える印象が、藤尾という女性の性格付けに大きく寄与しています。好きな作品かどうかは正直微妙ですが、最初に読んだときに、すごい作品だとは思いました。ゴシック・ロマン的というか。
この小説の「七」に、有名な、「小説は自然を彫琢する」ということばが出てきます。かなり長くなりますが、以下、引用します。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/761_14485.html
燐寸(マッチ)を擦(す)る事一寸(いっすん)にして火は闇(やみ)に入る。幾段の彩錦(さいきん)を捲(めく)り終れば無地の境(さかい)をなす。春興は二人(ににん)の青年に尽きた。狐の袖無(ちゃんちゃん)を着て天下を行くものは、日記を懐(ふところ)にして百年の憂(うれい)を抱(いだ)くものと共に帰程(きてい)に上(のぼ)る。
古き寺、古き社(やしろ)、神の森、仏の丘を掩(おお)うて、いそぐ事を解(げ)せぬ京の日はようやく暮れた。倦怠(けた)るい夕べである。消えて行くすべてのものの上に、星ばかり取り残されて、それすらも判然(はき)とは映らぬ。瞬(またた)くも嬾(ものう)き空の中にどろんと溶けて行こうとする。過去はこの眠れる奥から動き出す。
一人(いちにん)の一生には百の世界がある。ある時は土の世界に入り、ある時は風の世界に動く。またある時は血の世界に腥(なまぐさ)き雨を浴びる。一人の世界を方寸に纏(まと)めたる団子(だんし)と、他の清濁を混じたる団子と、層々相連(あいつらな)って千人に千個の実世界を活現する。個々の世界は個々の中心を因果(いんが)の交叉点に据えて分相応の円周を右に劃(かく)し左に劃す。……縦横に、前後に、上下(しょうか)四方に、乱れ飛ぶ世界と世界が喰い違うとき秦越(しんえつ)の客ここに舟を同じゅうす。甲野(こうの)さんと宗近(むねちか)君は、三春行楽(さんしゅんこうらく)の興尽きて東に帰る。孤堂(こどう)先生と小夜子(さよこ)は、眠れる過去を振り起して東に行く。二個の別世界は八時発の夜汽車で端(はし)なくも喰い違った。
わが世界とわが世界と喰い違うとき腹を切る事がある。自滅する事がある。わが世界と他(ひと)の世界と喰い違うとき二つながら崩れる事がある。破(か)けて飛ぶ事がある。あるいは発矢(はっし)と熱を曳(ひ)いて無極のうちに物別れとなる事がある。凄(すさ)まじき喰い違い方が生涯(しょうがい)に一度起るならば、われは幕引く舞台に立つ事なくして自(おのず)からなる悲劇の主人公である。天より賜わる性格はこの時始めて第一義において躍動する。八時発の夜汽車で喰い違った世界はさほどに猛烈なものではない。しかしただ逢(お)うてただ別れる袖(そで)だけの縁(えにし)ならば、星深き春の夜を、名さえ寂(さ)びたる七条(しちじょう)に、さして喰い違うほどの必要もあるまい。小説は自然を彫琢(ちょうたく)する。自然その物は小説にはならぬ。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。」
冒頭の、漱石の芸術家宣言、カッコイイ。
「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。・・・」
阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそういうだけの話で、自分で勿論亜房などと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。何にも用事がないけれど、汽車に乗って大阪に行って来ようと思う。・・・美しい日本語に最もこだわった随筆家だと思います。
「あらすじ」や「ストーリー」でこの作品を語るのは興ざめというものです。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/682_15414.html
或る日の夕暮なりしが、余は獸苑を漫歩して、ウンテル、デン、リンデンを過ぎ、我がモンビシユウ街の僑居に歸らんと、クロステル巷の古寺の前に來ぬ。余は彼の燈火の海を渡り來て、この狹く薄暗き巷に入り、樓上の木欄(おばしま)に干したる敷布、襦袢(はだぎ)などまだ取入れぬ人家、頬髭長き猶太(ユダヤ)教徒の翁が戸前に佇みたる居酒屋、一つの梯(はしご)は直ちに樓(たかどの)に達し、他の梯は窖(あなぐら)住まひの鍛冶が家に通じたる貸家などに向ひて、凹字の形に引籠みて立てられたる、此三百年前の遺跡を望む毎に、心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。
今この處を過ぎんとするとき、鎖したる寺門の扉に倚りて、聲を呑みつゝ泣くひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし。被りし巾を洩れたる髮の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面、余に詩人の筆なければこれを寫すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。
芥川はさまざまな文体を使い分けた小説家ですが、『舞踏会』(短編)の冒頭は実に「美文」であると思います。冷静に読めば単に細密描写といえるのですが、細密な描写を通して漂ってくる空気が濃厚です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/28_15270.html
明治十九年十一月三日の夜であつた。当時十七歳だつた――家(け)の令嬢明子(あきこ)は、頭の禿げた父親と一しよに、今夜の舞踏会が催さるべき鹿鳴館(ろくめいくあん)の階段を上つて行つた。明(あかる)い瓦斯(ガス)の光に照らされた、幅の広い階段の両側には、殆(ほとんど)人工に近い大輪の菊の花が、三重の籬(まがき)を造つてゐた。菊は一番奥のがうす紅(べに)、中程のが濃い黄色、一番前のがまつ白な花びらを流蘇(ふさ)の如く乱してゐるのであつた。さうしてその菊の籬の尽きるあたり、階段の上の舞踏室からは、もう陽気な管絃楽の音が、抑へ難い幸福の吐息のやうに、休みなく溢れて来るのであつた。
三島の世界は私には入っていきづらいです。美しく整えられすぎていて感情移入というものをできたためしが一度もありません。でも品のある美しい文章だと思います。
しっとりとして本当に美しいと思います。