下のメモを斜め読みした上で答えてもらいたいです。
http://d.hatena.ne.jp/horoscopeweb/20081104/1225849452
天国についての具体的なイメージを自分の納得のいく形で考えることができていません。回答者様が個人的に抱く天国のイメージについてお教えください。洋の東西は問いません。追加で、天国と幸せは結びつくか、地獄が無いと天国は存在し得ないかどうかについての個人的考えもいただけると助かります。
これは小学生の頃に校長先生から朝礼で聞いた話。
知り合いのお坊さんが、極楽と地獄を見たいと祈っていたら、
仏様が現れて「だったら見せてあげますよ」とお坊さんの手を引いていきました。
最初にたどり着いたのは地獄でしたが、そこはとても美しい場所でした。
ハスの花がさいていて、美しい鳥が飛んでいて、
話に聞いていた極楽そのものでした。
ところが、地獄にいる人たちは全員がガリガリにやせ細って飢えているのです。
やがて食事の時間になりました。
テーブルには美味しいものが山とつまれています。
けれども箸が 1m もあって、料理をつまんで口に入れようとしても入らないのです。
誰もまともにものを食べられず、食事は下げられてしまいました。
次に仏様は、お坊さんを極楽に連れて行きました。
そこも美しい場所で、地獄とまったく変わらない様子でした。
ところが、人々はみなふくよかで、幸せそうな笑顔をうかべています。
食事の時間になると、テーブルに美味しそうなものが山とつまれ、
箸は……やはり 1m の長さがあります。
この状態でなぜ飢えないのか不思議に思って見ていると、
人々は料理を箸でつまむと、
向かい側に座っている人の口の中に入れました。
自分では食べず、隣人に食べさせたのです。
こうして、お坊さんは、地獄や極楽があるのではなく、
そこに住む人の心が作り出すのだと悟ったそうです。
これ、なんとかいうお経に出てくる有名な話なんですが、
わたしが校長先生から聞いたっていうのは実話です(公立のありふれた小学校でしたけど)。
個人的に、天国・極楽と言われて何を思い出すかというと、やっぱり「お花畑」かな。
ありふれた答えですみません。
おお、この話は小さいとき聞いたことありますね!ありがとうございます。
そして、ここはかなり今の私に響くところです。
>こうして、お坊さんは、地獄や極楽があるのではなく、
>そこに住む人の心が作り出すのだと悟ったそうです。
このあたりの流れは便宜上必要かもしれないですが、無しではないです。
>向かい側に座っている人の口の中に入れました。
>自分では食べず、隣人に食べさせたのです。
天国はいまいるばしょ、地獄もいまいるばしょ。
どういうことかというと、安らいでいられるときは天国、それ以外のプラスの感情のときは現実、マイナスの感情抱いてるときは地獄って感じですかね。
不幸がないと幸福感じにくいので地獄は必要悪ですかね。
というわけで自分次第ですぐに天国いけますしすぐに地獄にもいけます。しかし、すぐに現実に引き戻されると思うわけです。
自分の中で天使がいるような天国はないです。鬼がいるような地獄はないです。つまりイメージすると天国も地獄も現実です。天使も悪魔も自分の心と出会う人次第で感じることが出来ると思いますが、現実で。
天国に行く簡単な方法はと問われれば人のために何が出来るかを考えることだといいたくなりますね。
安らぎが天国への一つのキーワードとなりそうですね。ありがとうございます。「人のために何が出来るか」、これも大切な点なのですね。死後ではなく、「いまいるばしょ」を起点にして回り続ける天国・地獄・現実観も私にとっては新しいです。
天国は神様と一緒に生活する場所でしょう。
自分より格好良くて、性格もよい人と同棲するのを想像したらいいでしょう。
自分がその素晴らしい人を好きになれたらいいけど、
その人を好きになれずに自分と比べて惨めになるなら地獄の方がましだと思うでしょう。
余り性格のよくない人は、優れた人に嫉妬して嫌う傾向があります。
地獄は神に会えなくて、神の存在も信じられない場所です。
この世界では、無神論者は神を見ないし、
信仰心のある人は、神の存在を、思い込みではあっても信じる事が出来ます。
神と天国・地獄、神様と一緒に生活、嫉妬が地獄行きを自分で選択させる。
天国地獄行きを決めるのは自分の性根という風にも読めて、興味深い内容だと思いました。地獄にいた方が安心できるという人もいるという世界観もまた良いですね。ありがとうございます。
個人的に抱く天国のイメージとしては、よくあるお花畑でしょか。天国というのは、人それぞれが、心に抱く最高の理想郷のイメージではないでしょか。したがって、どこに存在するかは、その人の頭の中、あるいは、心の中に存在するものだと思っています。たとえば、あなたのパソコンの中のJPG画像と似たようなものではないでしょか。
天国と幸せは結びつくかと言えば、結びつきます。我々が人権を今、得ているのは、その宗教のおかげだからです。当たり前だから気付きにくいのかも知れませんが、人権をもらうこと以上の幸せって何があるでしょうか。
最高の理想郷、、、
一瞬、理想郷ってなんだ?思いつかんと思いましたが、私のPCのデスクトップにある壁紙はかなり理想郷です。これはすごい部分を疲れてしまいました!いやぁ天国ですねそれは、言い切られました。脱帽です。
http://members.jcom.home.ne.jp/stolatos/spirit/swedenborg.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A...
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/daiyogen15.html
実際に霊界へ行き、戻ってきた証拠を持ち、膨大な書籍を残した人物がいます。もちろん天国のことが書かれています。
私は彼の書いた内容は真実であると思っています。
さくっと眺めたところ、天国にいくか地獄に行くかはその人が決める、という話に見えました。
スウェーデンボルグは、「主が最後の審判について予告されたとき、働き以外のものは調べない、また、よい働きをなした者は永遠の生命に入り、悪い働きをなした者は永遠の刑罰に入る(マタイによる福音書25章32~46)、と表明された(中略)」と言っています。
上の引用と「地獄の誘惑」という言葉は良い表現ですね。面白いです。
ありがとうございます。
天国 = 世界の終末の後、不動産バブルを勝ち抜けた人間が行ける場所。
天国だって無限に広いわけではないだろうから――とくに界王様の所は狭い――善人が多すぎると、土地の供給が追いつかなくなり、不動産バブルが起きるのではないかと心配。
ラッパの音が聞こえた途端に天国を目指すサバイバルレースというのは辛いものがあるわけで、いわゆる善人は、生きているうちから天国不動産に投資しているんじゃないかと思うわけで。
でも、永住するとなると、永久に固定資産税を払い続けなければならないんだろうな――。
天国は、何でも一番を目指す、修行大好きで一発逆転型のマッチョでないと生きて行けないと思います。
最近、髪の毛に白いものが目立つようになりましたが、金髪になったりはしないので、これじゃあ天国には行けないなー、と感じます。
負け惜しみじゃないですが、永住するなら地獄の方が楽だと思うんですよ。マンションだって、最上階より地下室の方が安いし。日当たりが悪かったり、空気が悪いのは現世も一緒だから、我慢できると思うし。たしかに、温暖化で洪水が来たら困るけど、地上の人間が全滅すれば温暖化もストップするだろうし。
――なんてことを、ハインラインのお笑いSF「ヨブ」を読んでて思いました。
聖書「ヨブ記」に加え、「神曲」「ファウスト」という天国ネタをパロった作品なので、お暇でしたらご一読を。
>いわゆる善人は、生きているうちから天国不動産に投資しているんじゃないかと思うわけで。
この点、かなり応えますね。さっき友人と博愛主義者と金で買えない物を求める人は金で満足できない欲のかたまりだよね。あと環境とかも。なんでわざわざ業の深いことするんだろう?って話していて、なんとなくその話題に通じるところを見いだしています。
>修行大好きで一発逆転型のマッチョ
ここに一発逆転型とつけるところにセンスがきらめいていますね。
みなさん、面白いこといろいろ考えているのですね。生きるってことに関わる永遠のテーマの一つなのですかね。リンク先、品切れになっているのでアマゾンのウィッシュリストにぶち込んでおきます。
ありがとうございます。
自分が勝手に抱いてる天国のイメージは「意外と普通」です。
「あれ?天国ってこんなもん?」って言うと
普通の容姿をした天使に「皆さんそうおっしゃいます」って言われるんです。
なんかそこそこの部屋にプレステ
(プレステ2でも3でもないとこがポイント)とか置いてあって
ソフトもあまり名作がないけど
みんなそれしかないから仕方なくやってるような感じ。
みんな天国に幻想を抱きすぎてて行ってみたらがっかり。
ちなみに地獄もみんなが思ってる程過酷じゃなかったりするんです。
人の幸せは場所で決まるんじゃないと思ってます。
どんな場所でも幸せになる人はなる、ならない人はならない。
ありがとうございます。
私の質問文をきれいにくみ取ってくれた優しさに大変感謝しています!
地獄もそんなに過酷じゃないというのも面白い!!地獄巡り気分で観光してこれる程度なのですよね。そして最後に幸せと天国について書いてくれていることにも。天国にも嫌なやつとか不幸せそうな人がいそうな気になってきました。
私が思う天国とは全ての苦痛(精神的にも肉体的にも)が無くなる所かなぁと思います。
ですから死ななくても健康で自分の人生に満足できていればそこは天国なんじゃないかな?と思います。【幸せを感じられる=天国にいる気分】さらに神様がいたらまさにそこが天国でしょうね。
また、もちろん地獄もあると思います。この世は苦界と言うように、生きていれば苦しいこと悲しいことやりきれないことが沢山あります、だからこの世が地獄であの世は天国なんじゃないでしょうか。いっぱい辛いことを経験しても、死後は幸せに天国で暮らせると思ってます。
まさに「生きてるだけで丸儲け」と言う人はもう天国にいるということですか。ヘブン状態!!にかなり通じていますね。
この世を地獄、あの世は天国。この世で抱えたつらいことを天国に持って行って大解放、気持ちいい!というイメージがうかびました!
ありがとうございます。
現実的な話、天国はないと思ってます。もちろん地獄も。
人は生まれる前の記憶は無いですよね?
つまり「無」であったと思うんです。
なので、死 の後は 無 だと思うんです
その 無 を天国というのであれば、その空間は限りなく 無 であり、何も感じることの出来ない場所だと思います
無から生まれて無に帰るということですね。それが本当、真実または現実であると理解したときに人は様々な思いや行動をとりそうですね。これもまた新しい!
20世紀には大脳生理学が飛躍的に発展して、人間の意識とはホログラムのような
量子効果であるという一応の結論が出ています。
従って天国というものがもしも存在するのならこのホログラムみたいなものである
人間の意識が快楽のみで満たされるような電磁場が存在する世界であろうと思われます。
あるいはオーム心理教が使ってたあの不気味なヘッドギアが提供する電磁場のようなものかも。
もっともこれは人間が死んでもこの意識はどこかに残るという前提ですが、私見ではこれが
例え空中のプラズマが引き起こすものなどとして存在し得てももう生前の記憶もなければ
自意識も消滅してしまっていると思われます。
>人間の意識とはホログラムのような量子効果であるという一応の結論が出ています。
よく分かりませんが、すごそうですね!
>人間の意識が快楽のみで満たされるような電磁場が存在する世界
でもそこに行くのが人間らしいですね。けれども
>自意識も消滅してしまっていると思われます。
消滅、ちょっと切ない。
ありがとうございます。
質問者さんのはてなダイアリも、添付画像も、みなさんのご回答もおもしろいですね。
私は「葬式の時だけ仏教徒」みたいなユルい仏教徒で、キリスト教基準では「無神論者」と呼ばれるかもしれないカテゴリに属し、本気で「天国」を考えてはいません。それでも、イメージはいろいろあります。言葉によって違います。「天国」、「極楽」、「浄土」……。
「天国」というとイメージはキリスト教の宗教画にあるような、雲の上で白くてふわふわした衣装などを身につけた天使が飛んでる感じです。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Allegory_of_peace_and_he...
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Sebastiano_Ricci_029.jpg
「極楽」というと、単に言葉として、ちょっと現世的な響きがします。で、これはその言葉を知ったときの刷り込みが問題なのだと思いますが……お風呂(温泉や銭湯の大きな湯船)で適度に温まったお年寄りが何人か、笑顔で頭にタオルを載せている、というイメージです。あとは極楽鳥とか、極楽鳥花(ストレリチア)とか。
「ご浄土」は――うちのお寺さんはこの言葉を使う宗派なんですが――、私のイメージでは、ひたすら青いんです。濃い青ではなく(鮮やかな濃い青だとBlue Screen of Deathのイメージになりかねない)、ちょうど秋晴れの空のような。そして、何もありません。あるとしても薄い雲のようなものだけです。青くて、無。目に見える形もなく、要求も欲求も何もありません。そこでは、何らかの知覚は存在しているとしても、その知覚は人間の身体的欲求には結びつきません。そういう「無」になれる状態、というもの。わかりづらいかもしれませんが、そういうイメージです。
一方で、日常言語で比喩的に「天国」とかいう場合は、ふかふかの布団など、「身体的に快適で、精神的に快適で満たされている状態」だと思います。これを「幸せ」に言い換えることはできると思います。「やりたいことがやりたいだけできる」という意味での慣用表現(「釣り天国」とか)もこのつながりですよね。
「天国と地獄」の対比は、人の世の道徳として、慢心や思いあがりを戒めるためにしつらえられた枠組だと思います。(ということを言うと、「無神論者」にカテゴライズされたりもしますが。)
昨年一年間トロントにいたのでid名が他人のように思えません。NGを持ってくるあたりもツボですね。
天国、極楽、浄土、それぞれへのイメージの描写が素敵です。
天国→最初のURLの絵がかなり良いですね。一見して学びたい部分がいくつもありました。30mくらい離して見るとなんか本当に天国として機能しそうな何かがうごめいていますね。
極楽→"適度に温まったお年寄りが何人か、笑顔で頭にタオルを載せている"それ以上以下でもないところが良いですね。おかげで天国よりも極楽という言葉が好きになり、もっと頻繁に使いたいと思いました。
そして、浄土になるのですが2点 Blue Screen of Death と Blue Screen
of Heaven と同じ青でも2色の青があるというのが非常に面白いですよね。身体的欲求抜きの人間ってのも響いてきます。
最初の一行を読んだときに死後の世界は現世の全てが許されてしまう世界なんじゃないか?!?!と思った瞬間、悪いやつが許されるなんて信じられん!と思った私って何?と勝手に思いました。
ありがとうございます!
地獄:痛かったり、苦しかったり、具体的に自分に嫌な目にあう状況
天国:上記のような状態から解放されること。
例えば、死ぬほど喉が渇いて地獄を感じたあと、水を口にした瞬間に天国が現れる。でも喉が潤ってしまえば、それは消えてしまう。
だから地獄への片道切符はあっても、天国の永住はないという考えです。
というわけで、小さな苦しみや喜びを大切にして、地獄と天国の往復距離を少しずつ縮めて、その中間で安定したいなあ、などと思っています。
ありがとうございます。
私が不思議だと感じたのは、地獄と天国の往復距離を縮めていくというベクトルです。そんなことしたら快感を得る時のインパクトが小さくなるから、振り子は大きく振っとけとか、鉄は熱いうちに打てとか、あと谷は深い方が山は高くなるとかいう考えはどうなんだ?!と勝手にはしゃいでしまいました。でも、そこで小さな苦しみや喜びを大切にしてとあったので納得。
天国:行きたいと思うところ
地獄:絶対行きたくないところ
やはり人間は今生きている現世が重要です。
しかし、多種多様な人間が存在する中その規律を如何に守らせるための
定義づけのようなものから始まったのでしょう。
でもイメージ(風景)だとどうしても、トムとジェリーを思い浮かべちゃいますね。
雲の上で、何もないのですが望めば何でも得られる。
でも、あまり俗っぽすぎると天国の住人となる資格が奪われ、審査苦行の現世に
戻されてしまうとか・・・
でもトム・クルーズさんはいなさそうです。
ありがとうございます。審査苦行の現世って言葉と考え方が面白いです!
トムとジェリーに天国と地獄なんて回があったなんて、挑戦的だなと感じました。通勤の電車の中で観てみますね。
トム・クルーズ氏は現世にいる天国の住人(堕天使ではないです!)。。。というのが私見で、それ以上はノーコメントとします。
天国のイメージを一言で言うなら、”苦痛のない状態”でしょうか。
それも、とりたてて何か特別なことが起こったり、何かをしたり、
嬉しいとか楽しいとかの感情の動きがある状態というより、むしろ、
感情の波立っていない状態(”明鏡止水の如き心持ち”とでもいうか)、
なにものにもとらわれず心安らかな状態、というような漠然としたイメージが。
こういう言い方をすると仏教的な感じかもしれませんが、特に具体的な宗教の
イメージはありません。
視覚的なイメージの方は、場所的には西洋の宗教画みたいな感じを思い浮かべますが、
”天使”とかのイメージはないです。”天使”がいるとか”神様”なるものが
いるというイメージは、やはり宗教の影響(特に信仰心のない人の場合でも)が
かなり強いのではないでしょうか。それが比較的少ない(と思う)私の場合は、
天国・極楽に神様や天使や仏様やらがいるという考え方はしないです。
”天国的”な状態は、幸せと考える人もあれば退屈と考える人もあるのではないでしょうか。
退屈と考える人は、きれいで安らかなだけでない、大変なことや辛いこと、世知辛いこともある、
混沌とした、まさに”現世的”な俗っぽさに身を置く方が、それも含めて面白い、と
考える人かなぁ、という気がします。
”地獄”という概念がなければ、”天国”という概念もありえないかなぁ、とは思います。
かたほうだけだと、どういう観点から見てそこが幸せなのか、苦痛なのかの基準がないかと。
視覚的なイメージは、ベタに ヒエロニムス・ボスの絵が思い浮かんでしまいます。
これまでの流れを踏まえた回答、ありがとうございます。
AntoineDoinelさんの内容を読んでわたしは人間は死後、苦痛や娑婆の混沌感をまだ保持するか、それともそれらの”無い”状態かの選択を迫られる気がしました。地獄で嫌だなー、最悪とかぶつぶつ言うのが幸せそうという人もいそうな気もしています。
天国ってどんなところかなぁとワクワクしながら考えている瞬間が天国。
ありがとうございます。
たしかにそうですね。天国にはなかなか届かない要素もありそうな気がしています。
ぶっちゃけ天国も地獄もこの世にしかないと思うんですよね。
そして、あの世とはいずれこの世から消え去るって事を指しているんだと思います。
すなわちなんも無い。なんも無いけどそこに全て在る。
あの世のこととは割愛して、この世で生きていくことについてですが、
日々の暮らしで考えてる事は はなはだ排他的で…例えば
車に乗れば歩行者が邪魔者で、歩いていれば車が邪魔だと思ってしまう。
こういう風に自我に執着し欲望の世界に暮らすからこそ、天国や地獄を作る必要があったんだと。
誤解を恐れず言えば、差別の心で物事を分けているんだと思う。
「天国」=気持いいところ 「地獄」=苦しいところ
ってな感じで。
自我に執着せず、聞いたまま見たままにその一切を受け入れ
そして喜々としてその場その時を味わえれば…
この浮き世は大海のごとし。その海全体をそっくり我がものと思えば、
天国も地獄も分ける必要がないのだろーなと。
とはいえ、天国も地獄も無いこの世も、天国と地獄に分かれるこの世も
同じ宇宙この地球上にあるわけで、違うのは同じ場所に暮らす人の心持ちだけ。
個々の欲望や想いなどの色眼鏡によってこの世の見え方は違ってくるんだと。
でも、お互いの認識が通じないのは不便なので 見え方は違っていても
共通の言葉として「天国」「地獄」を無理矢理当てはめているだけなんかなー
と、思う今日この頃です。
天国も地獄というのもその人の心持ち次第であったりなかったりするということですね。
そこでtouson00さんは天国も地獄も現世にしかないという視点に立ち、一切をとらえてみると分ける必要がないと、なるほど。
都合で天国と地獄を作ったという考えも参考になります。
ありがとうございます。
いきなり脳死・魂・死後の生ときましたか、直接天国について書かれているようではなさそうですが、これを元にして天国について考えて見ろということだとお受けしました。
ありがとうございます。