アメリカの弁護士さんはもっと安く多くの
仕事をしてるのですか?それとも違ったシステムがあるのでしょうか?
依頼の単価は、アメリカの方がずっと高いと思いますよ。
大都市であれば、1時間300~400ドルしますから。
パートナークラスであれば500ドル以上。
日本の弁護士さんの料金って安いな~と思いますもん。
ちなみに、数年前、アメリカのロースクール出たての26歳の弁護士が、大手弁護士事務所に入った際、初任給16万ドル(当時の為替レートで約1700万円以上)もらっていました。これダラスの話なので、NYとかサンフランシスコだともっと高いと思います。
ちょっと古いですが、参考までに。
依頼の単科が高すぎるからだと思います
いいえ、違います。
弁護士の供給過剰と言われています。
アメリカの民事訴訟は年間約1800万件。対する日本は約230万件。
一方、弁護士の数は、アメリカでは人口約290人に対して一人。日本は6300人に対し一人。
単純に比較すると、訴訟件数が8倍弱なのに、弁護士数が20倍以上いるアメリカの方が供給過剰に見えます。
しかし、アメリカの裁判制度は日本と異なりますし、法律相談など裁判弁護以外の仕事も多いので、けっして供給過剰ということはありません。
一方、我が国の場合、20年前に比べ、司法試験の合格者が6倍になっているにも関わらず、裁判件数はここ数年減少傾向にあります。
このため供給過剰であるといわれています。
ありがとございます。少し詳細に質問しますね。
供給が多いのは、よく報じられますね。なのに訴訟が増えないのは、なんででしょ?
「長年、資格取得に費やしたんだから、そんな安い仕事はできんよ!」
というものが、根底にある気もします。武士は食わねど高楊枝?
(実際、提訴する被害者というものは、お金もないし、やってられないかと)
高いステータスの人を、弱者が使う仕組みってのはないのですかね。アメリカさんにも。
そういう仕組みがないなら、法律は実際に機能せず、強いものが何でもできちゃう世に
なってしまいますよね。今のように(^^;
アメリカでは、基本的に弁護士は各専門分野に分かれています。
例えば 離婚専門弁護士、交通事故専門弁護士、移民問題専門弁護士など。
日本のでは、お互いが同意し、離婚届に押印、役所に届けるだけで
離婚できますが、アメリカではお互いが同意していても、ほとんどの人が弁護士に依頼し書類処理をしてもらいます。
私は離婚の際、安い弁護士を電話帳で探し、400ドルくらいの料金を支払いました。
永住権を取得する際も、弁護士なしで手続きするのはとても難しいし、
時間がかかりすぎるので、これもほとんどの人が弁護士に依頼します。
交通事故を起こした場合も、お互いの弁護士同士で話し合うのが普通です。
友達が、飲酒運転で捕まったときも、やはり弁護士に依頼して保釈してもらい、その後の裁判ではもちろん弁護士が必要です。
と言うように、弁護士が普通の生活に密接に関わっているのが訴訟国アメリカだと思います。
値段も 日本の弁護士よりは かなり安い料金から依頼することができますし、有名弁護士になれば1件について数千万とる人もいます。
もう亡くなりましたが、OJシンプソン裁判の主任弁護人になったジョニー・コクランは1億と言う話もありました。
そして、多民族国家ですから、日本人弁護士、メキシコ人弁護士と
いろんな国の弁護士がいます。
イエローページ(職業別電話帳)で弁護士のページを見ると
各専門別にものすごいページ数の宣伝があります。
必要性も日本よりはるかに高いから 弁護士の数もかなりです。
URLは ダミーです
ほうほう。昔からの契約社会のためニーズがもともと多いのと
独立心旺盛で営業が得意そうな弁護士が、たくさんいて
なりたってる気もしますね。
カウンセラーや精神科医も多いみたいですね。
依頼の単価は、アメリカの方がずっと高いと思いますよ。
大都市であれば、1時間300~400ドルしますから。
パートナークラスであれば500ドル以上。
日本の弁護士さんの料金って安いな~と思いますもん。
ちなみに、数年前、アメリカのロースクール出たての26歳の弁護士が、大手弁護士事務所に入った際、初任給16万ドル(当時の為替レートで約1700万円以上)もらっていました。これダラスの話なので、NYとかサンフランシスコだともっと高いと思います。
ちょっと古いですが、参考までに。
そうなんですか!
これは意外な回答です。高い弁護士から
安い弁護士までフルラインナップな文化な
気もします。日本のすし屋さんのように笑。
日本は近代の司法や政治システムを輸入したのはいいけれど、
あんまり活用されてないという印象があります。
料理や技術のように、うまく発展してませんね。
http://q.hatena.ne.jp/1226499692
アドレスはダミーです。
コメントが開放されていないので、こちらで私見を述べさせて頂きます。
なので、ポイントは不要です。
>供給が多いのは、よく報じられますね。なのに訴訟が増えないのは、なんででしょ?
弁護士の供給と訴訟件数自体には直接の因果関係はないと思います。
訴訟件数の変化に直接関与するのはまず原告となる被害者の意思です。
「公に訴えてケリをつけてもらわないと納得できない!」という人たちが実際に裁判を起こすわけですから、そう思う人達自体がまずは増えないとどうしようもありませんよね。米国では、事故および医療訴訟専門で救急車を追いかける弁護士もいるという話もよく聞きますが、逆にいうとそれだけ弁護士の宣伝活動が活発なのだと思います。それと日本人の気質として、論理よりも感情優先で判断しがちなため、「裁判で自分の主張を通すことで周囲との和を乱すよりも、多少我慢してでも何とか穏便に済ませたい」という気持ちが先行してしまうのかもしれません。
>「長年、資格取得に費やしたんだから、そんな安い仕事はできんよ!」
>というものが、根底にある気もします。武士は食わねど高楊枝?
日本の場合は依然として結審までの時間が相当に長く、その分弁護士にも調査などに膨大な時間と費用がかかります。簡易裁判所があちこちに増設されれば短期決着がつくのかもしれませんが。それに、弁護士の大半が高給取りとは思えません。前述の意見は「ステータスが高い=高給取り」という図式を一般化しすぎた思考のようにも受け取れます。最近何かと話題の医師も大半はコストパフォーマンスの低い方々ばかりですし。
>(実際、提訴する被害者というものは、お金もないし、やってられないかと)
確かに1回当たりのの裁判費用が不透明っぽいのも訴訟件数が伸びない一つの原因だとは思いますが、最近は割と各事務所が積極的に公開しているほうだと思います。あとは原告側がそれを妥当と見るかどうかですけど。むしろ日本人と欧米人の最大の違いはこういった訴訟成立前後での当事者達の心理だと考えます。たとえ裁判で結果が出ても、特に日本人の場合は感情が先走ってあーだこーだ言って結局泥沼化しがちだし。
>高いステータスの人を、弱者が使う仕組みってのはないのですかね。アメリカさんにも。
>そういう仕組みがないなら、法律は実際に機能せず、強いものが何でもできちゃう世に
>なってしまいますよね。今のように(^^;
”高いステータス”が何を指すかですが、端的に捉えるならば”立場・身分”でよね。しかし、弱い立場の人が強い立場の人を積極的に使役できるというシステムはどこか矛盾してませんか?
そもそも法律はその共同体で最も強い人が定めたマイルールです。なので基本的に強者に有利なのは今も昔も変わりません。別の法律で弱者救済を掲げているものもありますが、これもまたこの法律を作っている人達自体が強い立場の人であり、結局弱い立場の人を助けることができるのは必然的にその社会の中でより強い力を持っている人ということになります。この基本構造を維持しつつ弱者が強者をコントロールするためには、どこかで弱者が暫定的な相対的優越性を何らかの手段で獲得する必要があり、一つは情報戦略(=自分に有利な情報を一つでも多く収集してそれを積極的に活用する)であり、もう一つが報酬を利用した契約関係になります。しかし、もっと安い費用で利用できるように!ということになれば、その効率化を図るためにもより強力な支配力を持つ国が弁護士の財政をサポートしなければならなくなるでしょう。それとて、最終的には税金として巡り巡って来るのでしょうけど。全てはバランスのとり方一つだと思います。
個人的には訴訟件数が増えること自体が社会にとって良い事だとは思えません。それだけ大規模な争いが増えているということであり、共同体として不安定な状態にあることを示していると思うからです。そもそもなぜ弁護士が過剰供給に至ってしまっているのかが謎ですが。
お粗末さまでした。
長文ありがとうございます。専門家のサービスを受けれる
医療のような保険制度とかはどこにもないみたいですね。
法律の歴史を紐解くと、法律の中には、ある程度は、市民が
特権階級から獲得してきた歴史があると思います。それを維持
していくのは、時代時代の人が意識を持ってやってかないと完全な
マイルールになると思いますが…。また何かあったらコメント
お願いします!
共同体はどこにいくのか…。日本ではかなり深刻な感があります。
自由は輸入したが、それを規制するものがあまりにもなく。
聞いた話ですが、アメリカでは訴訟に負けた場合、訴訟費用を払わなくていいとか。その代わり、弁護士も訴訟を受けるかどうか、選ぶ自由がある。結果として、依頼主は増えるのではないでしょうか。
日本は勝敗にかかわらず、弁護士費用は負担ですよね。
ありがとうございます。日本でも、個人レベルの訴訟というのは、
ほとんど受け付けてませんね。控訴されるとお金の続くものが勝つ
みたいなとこありますよね。相当お金持ってないと相手にされません(^^;。
本人訴訟が基本なので提訴はできますが。印紙のお金とか訴訟額によってかなり
高いですよね。大事なのは、それが刑事告訴関係の対応の遅れに響くのもいかんと思います。
>供給が多いのは、よく報じられますね。。なのに訴訟が増えないのは、なんででしょ?<
>「公に訴えてケリをつけてもらわないと納得できない!」という人たちが実際に裁判を起こすわけですから、そう思う人達自体がまずは増えないとどうしようもありませんよね。<
日本の損害賠償額の低さもあると思います。
(というより、アメリカが世界で飛び抜けて高いんですが。)
たとえば、医療ミスで息子が大きな障害を持って生まれたアメリカ人を知っています。数年前、息子が高校生のときに、当時の看護師などの証言で医療ミスがあった、ということがわかり、彼女は裁判に勝って、(息子に代わり)数億円というお金を手にしました。(彼女は当時の担当医師らを個々に訴えているようで、裁判は完全に終わっておらず、「もっと取ってやる」と言っています。)
一方、日本の産科医療保障制度の補償額は、20年で3000万円です。
http://www.sanka-hp.jcqhc.or.jp/outline/index.html
上記の息子は、2年前にも高校で何らかの病気を移され、心臓手術をしました。その際も、彼女は「学校を訴えて数億円取ってやる!」と息巻いていました。
アメリカでは、事故や医療過誤を専門に扱う弁護士らは、成功報酬で引き受ける場合が多いので、訴える方はコスト負担が少なくてすむわけです。
損害賠償額が高いと、このように「取れるだけ取ってやる!」という考えの市民が増え(またそれをけしかける弁護士も増え)、訴訟件数の増加につがなる要因になるといえます。
懲罰的損害賠償--アメリカの損害賠償額が高い一因
http://www.kengosuzuki.com/casestudy/archive/entries/200705/29po...
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/012/021002c.h...
それくらい高いと一回勝つだけで、生活はある程度保障されますから、
弱者の裁判も引き受けようと思うかもしれませんね。
国民皆保険にしている日本は、日ごろ世話になっている分あまり
訴訟にならないのかもしれません。ただ、昨今の医者の診断力の低下は
何かの歯止めがないといけないと思います。数の問題でないような
気がします。どうしちゃったんでしょうね。日本人。
再コメントで失礼します。
引き続きポイントは結構ですが。
>専門家のサービスを受けれる医療のような保険制度とかはどこにもないみたいですね。
http://blogs.yahoo.co.jp/sisyphe_dans_le_mythe/45875916.html
http://teru.sub.jp/ofc/2006/05/post_162.html
http://www.doblog.com/weblog/myblog/73674/326
訴訟を起こすのは基本的に任意なので、これに対する保険制度はまず成立しません。訴訟に勝てば賠償金から支払えば良いわけですし、負けても保険でカバーできるのであれば、訴訟を起こす側にとっては気楽ですが保険会社にとってはあまり旨味の無い(※むしろ積極的に起こされると益々大損な)ビジネスです。その代わり、訴訟を起こされる可能性がある人たちは裁判保険に入る事で賠償金をカバーしてもらうように対策しています。最近は特に医師への風当たりが無闇に強いので、この保険の需要は高まるばかりでしょう。一般職であれば自動車保険や災害保険以外はあまり必要ないかもしれませんが。それよりも気になったのが訴訟の最終目的ですね。
>たとえば、医療ミスで息子が大きな障害を持って生まれたアメリカ人を知っています。
>彼女は裁判に勝って、(息子に代わり)数億円というお金を手にしました。
>(彼女は当時の担当医師らを個々に訴えているようで、裁判は完全に終わっておらず、「もっと取ってやる」と言っています。)
>一方、日本の産科医療保障制度の補償額は、20年で3000万円です。
o-yaさんの回答を一部お借りしますが、日本の場合は「金で済む問題じゃない!」と言う言葉が表す通り、精神的苦痛の代償として賠償金そのものよりも相手への懲罰を熱望する傾向にあるように思います。もちろん原告側が希望する程の額を手にすることができなかった判例が数多くあることを皆が通念として知っているせいもあるのでしょうが、それも日本人が裁判において裁判に望むものが単に金銭的保障だけではない事を示しているように感じます。一方、米国ではアメリカンドリーム(※http://www.aac.pref.aichi.jp/aac/aac31/aac31-2-3.html)が示すとおり、最終的には個人の幸福と自由は自分で勝ち取るものであり、それの根幹といえるものが金銭的豊かさであるように推測します。だからこそ、米国における裁判の賠償金はそれによって時に当事者達の立場を完全に入れ替えてしまう程に破格に高いのではないでしょうか。
>法律の歴史を紐解くと、法律の中には、ある程度は、市民が特権階級から獲得してきた歴史があると思います。
>それを維持していくのは、時代時代の人が意識を持ってやってかないと完全なマイルールになると思いますが…
http://www.infosnow.ne.jp/~kneto/osirase3.htm
http://www.komazawa-u.ac.jp/~nishi/Nishi-text/compara-cons1.htm
確かにこれまで一般の方々の献身的活動によって成立した法律がいくつかあることは事実ですね。これらの法律が成立するためには、不遇に悩まされる人達が一定数以上存在し、長期にわたって権利を主張し続けていく必要があります。しかし法律が成立するまでには社会的強者達の間で様々なやり取りがなされる訳ですし、これら強者は制定後も自由に改定を行える立場にある訳ですから、弱者が権利の主張を続けなければ維持できないのも然りです。民主主義を貫く以上、弱者は弱者であり続けることに安住してはならないのですが、日本人の気質がそれを強く拒めずにいるのが問題なのかもしれません(※仕事っぷりを見てもわかるように日本人は基本的に”御主人様”を欲しがるマゾ気質!)。ただ、今後も欧米型の”自由な”気質の上辺だけを取り入れた風土が蔓延すれば、これまでの日本社会の基本構造が瓦解して無秩序な社会通念が横行するようになるのは間違いないでしょう(※と言うか既になりつつあるような・・・)。
細かいことですが、「単科→単価」「専門科→専門家」が正しいので。
お粗末さまでした。
夜中の漢字変換はミスが多いようで(^^;すいません。気をつけます。
訴えられる側の保険はあるのですか~。弱者の側にも(といっても一般ピープルレベルで)
弁護士、警察、医師の間に入って、スムーズに最低限の権利侵害を防ぐ仕組みがあるといいのですが。
まぞ気質は、ごもっともで、何かと組織に入りたがる傾向ありますよね。村とか世間体という組織がなりたってる
間なら、恥があるので暗黙の法律で、下手なことはできないメリットもあったのですが。
今後裁判員制度などで西洋で生まれた法的なものが日本にどこまで根付くかが注目ですよね。
西洋はキリスト教というモラル基盤もあっての社会システムなので、日本風にうまくアレンジ
しないと片手落ちになりますよね。近代からのテーマではあるのですが。
文科系のことはどうも日本は苦手なようです。
テレビなどで弁護士が活躍する番組がたくさん放送されて、司法試験をめざす人も増えて、日本もアメリカのような訴訟社会になるのかと危惧していましたが、どうも日本人はそこまで馬鹿じゃないみたいです。
昔の人々は娯楽もそんなにありませんでしたが、縁日などで、「おおいたち」の見世物がありました。子供たちは、「大きなイタチ」を見ようと思って、見世物小屋の入場料を払って入るのですが、実際には「大きな板に、赤い血のようなものが付いている」ものしかなく、がっかりします。
これは、言葉を信じるなという教育をしていたのだと思います。
言葉には意味がない。言葉を振りかざして相手を口論で言い負かしたとしても、それは何の意味もないという教育が日本にはあります。
そんなことをしても、最後には損な目にあうのだから、真心で付き合うのだという村社会の教えです。
アメリカ型の訴訟社会は、基本的には、弱肉強食が許されている開かれた社会、あるいは常に植民地や搾取される階級が流入する社会移動の大きな国だからできることでしょう。
100年、200年といわないまでも、何十年も同じ人たちと暮らしていかなければならない日本的農村社会で、そんなことを荒立てるわけにはいきません。
「弁護士ざた」というのは、「刃傷ざた」とか「色恋ざた」と同じように、貶められた表現です。そんなことをやってなにになるんだ。もっとまっとうに生きなさい。これが日本の文化です。
幸いなことに、このあたりは、まだ健全さが残っているのではないでしょうか。だから、弁護士の仕事が増えないのではないかと思います。
むしろ示談とか、腹芸で、見えないところで、みんな納得していくほうが、コストも安いし、あとあとにしこりが残りませんからね。
言わぬが花の文化は、訴訟社会よりも高度な文化なのだと思います。
言葉には意味がない。
いい言葉ですね(^^。現代日本人は言葉に
とらわれすぎだと思います。
直接の会話でなく見えない論理で、対話してきた日本人は
どうも「言葉」を平面的に捕らえたり、マニュアル対応
したり絶対的に捕らえたりして、問題を起こしてしまって
ますね。西洋では対立する概念があって初めて現実を表す
ということや、言葉との距離感などがしっかりしてて
慣れてる感じがしますね。
日本人、個人レベルではとてもいい人なのに、
組織、政府単位でみるとどうしようもなく
だめになってしまう性質もあると思います。
字面だけ捕らえて操られている人、最もらしいこと言って偉いと
思ってる人。ちょっと多い気がします。
西洋の自由や平等という言葉を間違って
輸入してしまった以上、それとセットに
なってる厳罰的なものも輸入していかないと
いかんのかなとも時代の乱れようを見て
感じます。
随分と本題からそれてきましたが(^^;。
アメリカで弁護士の資格を取ることは日本で取るよりも簡単です。そのため国の人口に対する弁護士の割合が日本よりも圧倒的に高いです。そのため弁護士は仕事を取ることに苦労しています。
アメリカの弁護士が仕事を取るために着手金を取らないという方法をとっている人もいます。その代わりに成功報酬が高い(半分なども有り得る)ですけど。。。
ご存知の通りアメリカは訴訟大国と言われていますが,日本と比較して訴訟件数が多い理由の一つは上記のように弁護士の数が多くて訴える時点で弁護士費用がかからないので安易に訴訟を提起する人が多いからです。そもそも何故簡単に訴訟を提起しようと考えるのかというと,アメリカは陪審員制を採用しており,裁判上のパフォーマンス次第で勝訴に持ち込める可能性が日本よりも格段に高いからです。しかも,損害賠償の額が日本のように実損害に限定されておらずその何万倍の額をとれる可能性があるからです(懲罰的損害賠償といいます。マクドナルド事件を参照してみてください。)。その為ambulance chaserと呼ばれる弁護士がむやみやたらに訴訟を提起することを一般人に持ちかけ一般人も着手金がいらないので損をしないことからその弁護士の考えに乗っかりとりあえず訴えを起こすからです。
日本の弁護士が就職難になった理由は司法制度改革で新人弁護士の数が急激に増えた為です。
新人弁護士の数が増えても事務所の数は変わらないため(通常新人弁護士はまずどこかの事務所に就職します)就職できない新人弁護士が溢れてしまっているのです。
もう少しあまってる弁護士を有効活用できる案を
考えたいですね。もう少し声を上げた方が不正との
バランスが取れるかなと思います。
そうなんですか!
これは意外な回答です。高い弁護士から
安い弁護士までフルラインナップな文化な
気もします。日本のすし屋さんのように笑。
日本は近代の司法や政治システムを輸入したのはいいけれど、
あんまり活用されてないという印象があります。
料理や技術のように、うまく発展してませんね。