「塩くじら」のほうは芭蕉の句(元禄5年)で、川柳などのように
それ自体が滑稽味のあるものではありません。一般的な解釈は
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/4128/761.html
によれば「豪華で美味な鯛はあっても、酷暑の六月ともなれば、
塩鯨の淡泊な風味にはとても及ばぬ。」
といったものだそうです。『父』のこの部分の後には
>夏、鯛を使うと父(露伴)は必ずこの句を云って、「元禄から
>何百年たってると思う」と云って歎じていた。
とあるので、露伴は夏の鯛を好まず、食卓に上ることがあると
芭蕉の句を引用して「元禄の時代から夏の鯛はいただけないと
言われているだろう」といった意味のことを毎回言っており、
それを孫(幸田文の娘)の玉子が聞き覚えていて冗談めかして
祖父の口調を真似てみせた…というところではないでしょうか。
幸田文が病床に臥せっている父・露伴の誕生日を祝うため、食糧
事情の悪いなか祝に相応しい食膳を整えようと奔走し、やっと
調達できたのはよりにもよって父の好まない「鯛」、それも
小さなもの一尾であった。露伴は既に箸をつけることはかなわず、
下げてきた小さな鯛を残りの家族四人で分けて食べる…という
「最後の誕生日」の場面ですね。
「ともしい」は、「乏しい・羨しい」のことではないでしょうか。意味:(1)不足している、少ない、とぼしい(2)貧乏である、まずしい、とぼしい(3)うらやましい(4)心ひかれる(5)ひもじい
これらを考慮すると、「海山ともしくない」=「海山豊かな」という意味になると思いますが、文脈にはあっているでしょうか?
塩鯨は、江戸庶民の夏の大衆食品(鯨の皮下脂肪を塩漬けしたもの)だったそうです。夏には鯛があるけれど、あえて塩鯨の方を好む、という対比のために用いられているのだと思います。
以下、http://www.osake.or.jp/colum/20060725/index.htmlより。
水無月は陰暦六月の呼称ですから、文字どおり暑い盛りです。この句は、誰もが賞味する鯛よりも、暑い折にはむしろあっさりしたさらしくじらの方がうまい、というように解説されています。ですが、皮付きの脂身をそのまま煮たりして、そのこってりとした味わいを楽しんだとも想像されます。
ありがとうございます。
「海山ともしくない」の方は、「海 山 とも 如くない」「海も山も及ばない」という意味だと思います。
俳句の方は、前後関係が分からないので全く分かりませんが、鯛は高級魚、塩くじらの方は安い保存食ですから、そのへんの対比でしょうか。鯛は「桜鯛」なら、春の季語ですので、水無月になると時期遅れの感もあります。
で、「鯛を食べてもいいんだけど、もう六月で俳句としては季節ハズレなので塩くじらにしようか」という貧乏を諧謔的に詠んだものでしょうか。
なにしろ幸田露伴は博識衒学の人なので、何か底歌や元歌があるのかもしれないし、故事来歴があるかもしれません。全くの私見ですので、間違っているかもしれないのでポイントは辞退いたします。
他に答える方がいらっしゃらないようでしたので考えて見ました。
ありがとうございます。露伴が死んだのちのこれからの人生について、文が、それをおそらくは嘆じて、「寂しくとも(父上よ)海も山も及ばない」と言っているということになりそうですが、ここからどう解釈したものでしょうか。「寂しくとも」でなく「寂しさは」であればぴったりはまりますが、そうでないところが悩ましいです。もしご意見あればお聞かせください。
海や山というのは鎌倉尼将軍・北条政子の頃から恩を表す比喩として使われています。
「父の恩は山よりも高く母の恩は海よりも深し」ということわざもあります。
よって父(両親)の恩に及ばないのが寂しいという意味になると思います。
自分の孝行が父親の恩に及ばなかったのが悲しいのか、それとも自分の子供への愛情が父親の自分への愛情に及ばなかったのかは文脈によるので判断が出来ません。
前後関係を見て、自分の父親母親、子供が全て出てくる場面ならばこの解釈で合っているかもしれません。
ありがとうございます。子供は出てきます。ただ文章的に、「恩」にあたる主語がないのが気になります。
上のfut573さんのおっしゃっている通り、「海山」は父(露伴)の
恩を表現した言葉かと(参考:「恩恵などの深く高いことのたとえ」
広辞苑より)。さらにsakrambomさんが1で書いておられる通り
「ともしくない」=乏しくない の意で、文全体を意訳するなら、
稚拙な表現で恐縮ですが
あろうが、父よ、あなたから生前受けた豊かな恩愛・恩恵に
全く不足はない。
といった感じではないでしょうか。その直前の文章で「しかし、
四十四年の想い出は美醜愛憎、ともに燦として恩愛である」
と父の恩を語っているのを受けた最後の一文だと思います。
「塩くじら」のほうは芭蕉の句(元禄5年)で、川柳などのように
それ自体が滑稽味のあるものではありません。一般的な解釈は
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/4128/761.html
によれば「豪華で美味な鯛はあっても、酷暑の六月ともなれば、
塩鯨の淡泊な風味にはとても及ばぬ。」
といったものだそうです。『父』のこの部分の後には
>夏、鯛を使うと父(露伴)は必ずこの句を云って、「元禄から
>何百年たってると思う」と云って歎じていた。
とあるので、露伴は夏の鯛を好まず、食卓に上ることがあると
芭蕉の句を引用して「元禄の時代から夏の鯛はいただけないと
言われているだろう」といった意味のことを毎回言っており、
それを孫(幸田文の娘)の玉子が聞き覚えていて冗談めかして
祖父の口調を真似てみせた…というところではないでしょうか。
幸田文が病床に臥せっている父・露伴の誕生日を祝うため、食糧
事情の悪いなか祝に相応しい食膳を整えようと奔走し、やっと
調達できたのはよりにもよって父の好まない「鯛」、それも
小さなもの一尾であった。露伴は既に箸をつけることはかなわず、
下げてきた小さな鯛を残りの家族四人で分けて食べる…という
「最後の誕生日」の場面ですね。
海山、塩くじらともにわかりやすい解説をありがとうございます。
海山、塩くじらともにわかりやすい解説をありがとうございます。