無理に空気を読もうとしたり、他人に合わせる事もないのではないでしょうか?
空気を読もうとして、逆に読み違えるからこそ、「空気読めない」と言われる/思われるのではないかと思います。
はじめから「空気?読む?何のことー?」くらいの居直り - むしろ飄々とした天然キャラになり切り、それをはじめから売り込んでしまえば、
southbayさんの個性次第で「空気読めないうざい奴」とかから、「ズレてるけど憎めない奴」みたいな評価になると思います。
ただ、常識の範疇での気遣いは必要です。極端な例だと、失恋して落ち込んでる人の前で自分の恋人の自慢話とか・・・居ないかそんな人?
もしどうしても上手くいかないのであれば、物理的に環境を変えるのも良いかも知れません。
例えば、現在コミュニケーションのほとんどが学校/会社で行われていて、その仲間内で空気を読み違えているのであれば、
もしかするとその人の輪自体がsouthbayさんに合わないのかも知れません。
転校しろ、転職しろとは言いません。が、もう少し学校/会社の外の人と交流を増やしてみるとか。
もしくは、同じ学校内/会社内でも他のグループと付き合ってみるとか。
もし抵抗がないなら、思い切ってまったく違う土地に引っ越して見るのも良いかも知れません。
極端な話、今は円高ですから1年くらい海外とかでも。文化が違えば、外国人はみんなKYなので居直るしかなくなります。
家庭も無く、お若いのであれば勇気次第でどうにかなるものです。
http://www5.big.or.jp/~seraph/mt/000108.html
日本は単一民族が中心なので、空気を読むことが重んじられますが、
色んな人種の寄せ集めの米国の様に他民族国家だったり、
北欧の様に男女平等で個人主義だったりして、価値観が多様なために
元々空気を読まない環境もあるようです。
そういう環境も考慮した上で、おおらかな気持ちで、
世の中には、自分とは異なる色々な人達がおり、
多様な価値観や考え方があるために、中には日本人でも
空気を読まない(読めない)人達もいるが、
それは世の中の多様性なので、無理にお互いの価値観を
押し付け合う必要もなく、それでももいいじゃないか、と、
なるべく細かいことは気にせずに
(気にしても、ストレスがたまるだけですから)
お互いの価値観の違いを個性として
尊重するようにしてみてはいかがでしょうか。
そのうち「あ、この人は空気は読まないので、
必要なことはちゃんと説明しないといけないかな。」とか、
空気の読める人なら雰囲気で対応の仕方が分かってきますので、
こちらから対応の仕方を覚えていけば、意思疎通も上手く行くと思います。
問題は空気の読めない人よりも、先入観や偏見を持っており
何を言っても聞いてもくれないし、分かろうともしてくれない人です。
(こっちの方が苦労すると思います。)
空気の読めない集団に対応していくことは、すなわち
将来、国際社会に出てたりしても通用する
コミュニケーションの方法なので、良い勉強になるかもと
前向きにとらえていけば、その都度に「空気読んでよ〜」と
ストレスをためこむこともなくなると思います。
逆に、勉強や良い経験(修行?)だと思って、
もし空気を読んでもらえなくても当たり前、
読んでもらえたらありがとうくらいの気持ちでいれば、
他人の配慮や思いやりに、感謝の気持ちもでてくると思います。
最初はしんどいかもしれないけれど、慣れもあると思います。
あと、多様性なので、別に空気の読めない集団にいるからといって、
自分までもが同じにならなくても良いと思います。
どうしても空気が読めないと感じるのなら、発言を控えることでしょうか。
余計な発言をしなければ、少なくとも空気を壊すことはなくなります。
最も、度が過ぎてまったく発言をしなくなると、それはそれで空気を読めないことにもなりますので、
その辺の判断が必要になりますが……
空気が読めない人はそれがわかってても空気を読めないから空気を読めない人なんです。
だから空気を読まない行動をして、周りから何か言われてもやっぱり空気を読めない。
「こうすればいい」という行動が出来る人ならその人は空気を読める人でしょう。
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空気が読めなくても、楽しく暮らしてる人はいますよね。
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空気を読むことを強要する社会(を構成する一人一人の人間)が全部悪いのです。
空気を読む必要なんかありません。
空気を読むことを強要する社会(を構成する一人一人の人間)でありながら、
具体的な「空気読み」の教科書も、教育プログラムもない
ということが、
「空気を読む」こと自体が、存在しないただの妄想(カルト宗教)であるということの証拠です。
「空気を読む」能力なんか実はそもそもありませんし
「空気を読む」人間なんか実は何処にも存在しないんですから、
存在しないルールに従う必要はありません
簡単な日記をつけてみたらどうでしょうか・・・何か気になることがあったら書き留めておいて、じっくりと考えられる機会を日々持ってみてはいかがですか? その積み重ねが自分を変化させてくれるような気がします・・・
空気が読めない人は誰かに 空気読めないね~とか言われない限り自分では気がつかないと思います。気がつかない 気を使えない人だと思います。人の為に人が喜ぶ事 沢山してあげると だんだん回りの空気も読めるようになると思いますよ。
コメント(1件)
「空気読み能力」自体が、そもそも存在し得ないのです。
ですから、
空気を読むことの判定ができないので、
そんなことは不可能であるのです。
存在しないルールに従うことなんか絶対不可能なので、
(困難ではなく)絶対不可能な要求をしてくる社会(を構成する一人一人の人間)が全部悪いのです。